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【帰任エントリ】大阪からニューヨークに行き、また大阪に帰ります

アメリカに来てちょうど2年。noteを始めて約1年。あっという間ではありましたが、アメリカ駐在を終え、8月末で日本に帰ることになりました。会社はそのまま、勤務地は再び大阪になります。色んな意味で節目になるので、今回は帰任エントリなるものを書いてみようと思います。長くなりますが、よかったらお付き合いください。帰国してもnoteは続けます!

摩天楼の対岸からNYを見るのが大好きだった。しばらくこの景色も見れなくなるのか~。。。寂寂寂寂

はじめに

先日YouTubeを見ていたら、ピースの綾部がインタビューされていた。今綾部はこっちであまりうまくいってないらしいのだが、本人曰く、「海外に行けば、ニューヨークに行けば、何とかなると思っていた。行動を起こせば何かが変わると。」「でも、行ってもわからないことだらけで、結局何もどうにもならなかった。」と言ってて、周りの芸人さんは笑っていたのだけど、僕はそれを聞いて「わかるーーーーーー」と膝を100回ほど打った。

僕も駐在すれば、何かが変わると思ってた。アメリカに住んで、アメリカで仕事をして。それは自分を変えようとするきっかけにはなるのだけど、それだけではどうにもならないと、住んですぐに理解した。

行動することは大事なのだけど、どの行動が結果に結びつくかはわからない。すごく思い切って行動したことが、大成功につながるとも限らないし、逆に小さな行動でも、大きな変化をもたらすこともある。事前準備も大きく影響する。

ただこの1年間こつこつとnoteとTwitterを続けてきて思ったのは、行動してもうまくいかなければ、その多くはそのうち忘れてしまうこと。でも残しておけばいつかまた思い出して、次の行動につなげられるかもしれないということ。そして自分だけの気づきを誰かにシェアすることで、それはアイデアになることかもしれないということ。

この2年間で数えきれないくらいの驚き、発見、気づきがアメリカでの生活にはあった。それを常にコンテンツとして残し、誰かと共有し続けたことで、今は日本に帰った後に挑戦したいこと、継続したいことで、頭が溢れそうになっている。そういう意味でも発信を続けて本当に良かった。

ということで今回のnoteでは過去の投稿を振り返りながら、この時の気づきや学び、日本に帰ってからも続けたいことをシェアしていこうと思う。(ちょっと真面目すぎる気配がしてきたので軽めに行きたい~~~🐤🐤)

5月に開催されたPride paradeの様子。日本では考えられないような熱気と、集まった人の多様性・・・老いも若きもダイバーシティ。

情報は発信する人のところに集まる

元々、学生時代にmixiにドはまりして毎日日記を書いていたし、仕事で社内報を書くこともあり、文字を書く機会は多かった。そこで1年前からnoteとTwitterを始め、ニューヨークで集めたマーケティングの情報や、面白いと感じた日々の気づきを投稿するようになってからというもの、皆さんからの反響が嬉しくて、少しでも面白いネタを提供したい、とお店を練り歩いたり、英語記事を読み込んで翻訳をアップする、、というのが日課と化していた。

ニューヨークのトレンド関連で、反響が大きかったのはこの2つかなあ。

これまで日記帳となっていたソーシャルメディアで自分の考えや、良いと思ったものを紹介する中で、近くに住む同世代の方と仲良くなったり、日本から質問をいただき交流が始まったりと、0からの人間関係が沢山生まれた。

特にしおたん(@ciotan)との出会いは革命的で、日本にいた時から普通にファンで記事読みまくってたので、NYで出会えて相談にものってもらって、noteで僕の記事を紹介してもらって、、とこれは感激以外の何物でもなかったな。何度もしおたん砲にはお世話になりました。

更にほなみちゃん(@sit_bite) に見つけてもらって、寄稿の話をいただき、アドタイや販促会議に載せていただくところまで、一緒に仕事をさせてもらって。自分の書いた記事がWebに載り、紙面に載り、、とこれも新鮮な経験だったなあ。。。

日本に帰ったらアメリカのトレンドからは少し遠くなってしまうかもしれないけど、身の回りの気づきや日本で起こっているトレンドに関する情報発信は継続していきたいし、メディアとご一緒させてもらえることがあれば、ぜひやってみたい。


D2Cから学んだブランド部門の在り方

多分この記事が発端なんだけど、面白いファッションスタートアップの記事を翻訳している中で、D2Cというビジネスモデルがあることを知った。

これが調べてみると色々楽しくて・・。調べるどころかユーザーになり、あれこれ買って、allbirdsとかもはや無いと暮らせないまでに生活に馴染んだ。

EC中心のブランドであってもNYにならショールームあります!というところが結構あったので、特にSOHOに足しげく通っては、ツイートしたりnoteに書いたりしていた。徐々にその想いが強くなり、会社でD2C勉強会まで開催してしまうという気合の入りよう・・・笑 良かったらスライドシェアするのでご覧あれ。ちょっと情報古いけど。

特に惹かれたのは、自分が仕事としている、ブランドコミュニケーションの部分だった。大企業でブランディングの仕事をしていると、つい自分の仕事はブランディングだから(商品に近いところは見れない)、と線を引いてしまうことがあった。でもD2Cを活用してユニークな商品や体験を手掛けるブランドに出会い、彼らを調べて情報発信をしていくうちに、自分はなんと狭い目線で仕事をしていたのだろう・・・!と恥ずかしくなったのだった。

知ってる人には耳タコだけど、例えばファッションブランドのEverlaneは「究極の透明性」を謳い、自社の洋服の原価をWEBで公開している。これ、調達や物流部門の取組が、むちゃくちゃ会社のブランドに寄与している

会社のブランドはブランド部門だけが作るのではない。会社の理念に基づいて、しかるべき戦略を打つ中で、取り組んだ1つ1つの挑戦がブランドとして残るのだと。Everlaneでいうと調達や物流部門の努力によって、ブランドの果たす大義や価値が形作られているように思う。

こうやってあらゆる職能が、会社の理念や実現したい世界、顧客に届けたい体験に向かって1つにまとまっている様子を見ると、自分自身が組織の縦割の中で仕事の幅を狭めているような気持ちになった。最新のテクノロジーを使っていても、理念やハートは熱いブランドを見ていると勇気がわいてきたし、彼らが今後どう進化し続けるのか、日本から追いかけ続けたい。


これからの会社と従業員の関係について

2年間、アメリカで会社員をしていて、うちの部は30人いる社員のうち、日本人はわずか2人。当然日本のやり方は通用しないぜという雰囲気だったわけだけど、その中で特に良いな~~と思ったのは、

会社と社員の関係はフラット。お互いに甘えが無く、合わなければその組織を去る、という前提を共有している。

・役職は役割でしかない。上司の指示は絶対だが、人間関係に上下は無く、社員が対等な関係でい続ける

・ずっとその組織にいないからこそ、今いる組織に貢献したいという想いが強い。(今いる場所で評価されることが、次のキャリアにつながる。)

この3つだった。このことはこのnoteで詳しく書いている。

自己責任という点では厳しいけど、なんてさっぱりヘルシーなんだろう、と日本流の忖度に疲れた僕には少し羨ましく感じてしまったんだよね・・・。会社が自分を生涯雇用し続けてくれたとしても、その中で自分がヘルシーに働けていなければ意味がないじゃない、と。

日本で大きな組織で、その末端で働いている人であっても、会社と対等な関係を築いて尊重しあい、健康的に働くことはできないかと。それをしかも、人事部門でなく、コミュニケーション部門からのアプローチで実現できないかと。そういうことを考えるようになり、会社にも色々と提案をしていた。

例えば先ほど書いたように、自分がnoteで発信をしたことで、記事を寄稿する話をもらって、メディアに取り上げてもらった。こんな風に社員個人がメディア・インフルエンサーとして自立して、自らの専門性と発信力でもって会社の魅力を語ったり、逆におかしいと思ったことを健全に批判することで、周囲から見た会社を、「名もなき社員の集合体」ではなく、「個性的なタレントの集まり」にすることはできないだろうか。こんなプロジェクトを帰国後はやりたいと思っている。超がんばる。


地元・関西とつながり続けること

最後だけなんかやたらと壮大なんだけど笑 僕の実家は奈良で、人生で最も長い期間住んだのは大阪。この2府県で人生の2/3を過ごしている。大学で横浜に行き、就職しても暫く東京にいたから東京近郊のことも知ってるし、東京・横浜は大好きだけど、将来も住み続けたいのは関西だったりする。住み心地、カルチャー、人間性、その全てが大好き。めっちゃ好きやねん。

でも日本って、東京!!!と地方・・・。って感じがすごくある。何せ東京にはすべてがある。日本の大企業の半分は、東京と神奈川に本社がある。GAFAの日本法人も東京。ビジネスも政治もカルチャーも、みんな東京・・!だからわくわくする、エキサイティングな仕事を探すと、殆どが東京(というか渋谷・六本木!!)にあったりする。。地方の辛み。

日本にいた時はそれが当たり前だと思っていたのだけど、アメリカは違った。それはこのnoteに書いたこと。

アメリカの主要都市って、それぞれが何かの分野のグローバルプレーヤーなんだ!と驚いた。ニューヨークならファッション・デザイン、サンフランシスコ(シリコンバレー)はソフトウェア・サービス、ロサンゼルス(ハリウッド)はエンタメ、ボストンはロボティクス・バイオ、シカゴは金融、ヒューストンは宇宙産業・・・と。ニューヨークはミラノやロンドンを見てるけど、サンフランシスコは深センやバンガロールを見ていたりする。

故に、(今は割と是正されつつあるようだけど、)少し前はニューヨークで良いソフトエンジニアを探したり、サンフランシスコで良いデザイナーを探すことが難しかったらしい。そのあたりのことは、BonobosのFounderがPodcastで話してるので、ご関心あれば。

更にそうやって都市の人気が高まると、地価があがって、人はまた次の都市に移動する。ポートランドとか、リノとか、デンバーとか、今後この街が伸びるぜ!というニュースを頻繁に見る

東京は全てが集まってて最高なんだけど、家賃高いし、人混みすぎてるし、せかせかしていて、ずっといるとしんどい。日本は人口減ってて、本当はもっとゆったり生活できるはずなのに、何故全てを東京に集めてしまうのだろう?自分も最先端の情報や人脈に触れたいけど、東京に行ってしまって本当に良いのだろうか?と思い続けてきた。

そしてこのたび念願かなって、大阪に帰れることになったので、関西にまたしばらく根をはって生活をしてみようと思う。そしてそこから世界と勝負できる文化や産業をサポートできるようなことが、最初はボランティアであっても出来ればいいな、、と思っている。何か面白い話があれば、ぜひ教えてください。

長くなりましたが、日本に帰ってもnoteもTwitterも続けますので、引き続き仲良くしてください!皆さんのおかげで、アメリカ生活、最高に良い経験になりました。ここまで読んでくれてありがとう~~~🐤🐤🐤

Tak Tsubouchiさんによる家族写真。全員、まぶしそう・・・!笑

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