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故ジャニー喜多川氏の性加害行為の内容【2】

 故ジャニー喜多川氏の性加害についての暴露本は何冊か出版されているのだが、再販か文庫化することもなく、電子書籍にもなっていない。価値がプレミア価格になっており、ネット通販Amazonやメルカリなどで入手できるのだが、気軽に買うような値段ではない。
 故ジャニー喜多川氏が未成年の少年達に行っていた性加害行為は、眼を覆いたくなるようなセンスティブな内容ではある。しかし、子供達の人権を守るためにはより多くの人にこの問題の全容を知ってもらい、尚且つ真剣に向き合わなければ、日本特有の臭い物に蓋をする隠蔽体質によりこの事件が無かったことにされてしまうだろう。
 暴露本を入手しづらい人や自分で調べるのが面倒臭い人のために、ネット上にある故ジャニー喜多川氏の性加害についての情報から、一部文章を抜粋したものを載せます。


「マットレスの下のほうから足をマッサージしてきて、手がだんだん上がってきて。若いので身体が反応しちゃうんです。すごく違和感はあるんですけど、射精して気持ちいいという感覚もある。でも相手は男性だし、どう捉えたらいいんだろうと。眠れないですよね。整理がつかなくて。」
 
隣には別のジュニアが寝ている。だが、眠ってはいなかったという。次は自分の番かもしれない、と思うと眠れないからだ。
「3回泊まったら1回の確率で当たるみたいな感じ。3年間、ほぼ毎週行っていたので、50回くらいは経験していると思います。」
 
性行為があった翌日、「はい、タクシー代。」とジャニー氏は3万円ほど、お金を渡してくるのが常だったという。アイドルとしての成功を夢見ていた石丸氏は、代償として仕事も得た。
「必ずお金をくれるのはわかったので、仕事ももらえるんじゃないかと。2年目くらいになると、もう感覚がおかしくなっていた。それが成功したのが『ヤンヤン(歌うスタジオ)』です。された翌日に、みんなでリビングのソファでテレビを観ているときにジャニーさんの隣に座って、『最近テレビに出てないから、出たいよう』って言ったんですよ。そうしたら、『じゃあ、来週からテレ東でヤンヤンあるから、行ってくるといいよ』って言われて、翌週行ったらもう台本ができてました。」
 石丸氏への性加害は、口腔性交だけではなかった。
「3年目に入って、バリバリ活動しているときでした。昼間に合宿所に行って、他の人もいなくて、くつろいでいると、ジャニーさんに雑魚寝部屋に呼ばれた。一対一で迫られて、股間を触られて、フェラチオされて、と思ったら。」 
 
肛門への挿入を強要されたのだ。部屋のカーテンは開いたままだったという。「ジャニーさんがお尻に自分でクリームを塗ったのです。で、四つん這いになって、僕のことを引っ張るというか、押すというか、(石丸氏の)お尻をこうやって。で、これ入れなきゃいけないのかと思って、さすがにこれは……と思ったんですけど。でもやんなきゃダメか、その代わりにでかい仕事もらおうと思って。とにかくイケば終わるので。」


「YOU、ださいね。」
 当時流行のスーツとスラックスを着ていたが、ジャニー氏の第一声はこれだった。
「YOUは、顔がいいから絶対スターになれる。ソロで秋口にデビューさせたい。」
 と口説かれた。当時、テレビはほとんど見ておらず、光GENJIの名前が分かるくらいでアイドルに全く興味がなかった。
 父親の事業失敗でそれどころでなく、就職も決まっていると断ったが、ジャニー氏は「学費は全部出す。東京に来てアルバイトできない時は、その分は全部払うから、秋のデビューまで専門学校に入ってはどうか。」と諦めなかった。
 3日後、いろいろ悩んでジャニー氏に電話し、渡されていた新幹線のグリーン車のチケットで東京に向かった。公衆電話から連絡すると、ジャニー氏は白の高級車で迎えに来て六本木の高級マンションに向かった。
 ジャニー氏の自宅マンションは広いリビング、大きなキッチン、室内に階段があり、衣装部屋もあった。ジャニー氏に「(少年隊の)東山紀之と話をするから部屋で待ってて。」と言われた。
 部屋でくつろいでいると、ジャニー氏が入ってきた。ジャニー氏の膝の上に座って頭をなでられながら、このマンションの何階に大使館員が住んでいる、何階に国会議員が住んでいるなどと話してきた。「デビューしたら、このマンションに住めるから。」と言われた。その日は風呂に入り、寝た。何もされなかった。
 翌日、疲れからか発熱した。ジャニー氏はかいがいしく世話をしてくれた。米国の劇場街ブロードウェーの話などをしながら、体温を唇で測るようなしぐさをしておでこにキスをしてきた。「汗もかいたし、お風呂に入ってきな。」と促され、風呂に入ると、ジャニー氏に執拗しつように体を洗われた。
 その翌日、熱が下がった。芸能雑誌【Myojo 明星】の撮影に行くと言われ、撮影に向かった。夜、寝ていると下半身がぬれている感触があった。恐る恐る掛け布団をめくると、ジャニー氏と目が合った。性加害を受けていた。怖くなり布団をかけ「これを断ったら住む場所や学校、デビューの話も全部なくなる。」と思い、痛かったがとにかく耐えた。
 翌朝、ジャニー氏から2万円を手渡され、「昼ご飯を食べていきなよ。」と言われたが、ショックで「学校の出席日数が足りないから大阪に帰る。」と伝えた。しかし、ジャニー氏はあきらめず、しきりと都内にある多くの芸能人が通う高校への編入を薦めてきた。
 大阪へ帰った翌日、95年1月17日に阪神淡路大震災が起きた。予定していた引っ越しのバイトのため現地に向かったがそれどころではなく、一週間泊まり込みで被災地の荷物の搬入などを手伝った。ジャニー氏からポケベルに連絡が入り、公衆電話から電話すると「とても心配していた。」と言われた。
 95年2月になり、再びジャニー氏に連絡。東京に行くと、車の中で肩を抱き寄せて手をつないできた。テレビ局やNHKホールなどに行ったが、歌や踊りの訓練を受けておらず、番組でSMAPの後ろで踊るという話も出たが踊れず、外で見ていた。3日間泊まったが、どんな被害に遭ったかをよく思い出せない。ただ枕元に2万円が置いてあったのを覚えているという。
 3月になると高校卒業間近だが授業も行けなくなった。ジャニー氏は「大丈夫、大丈夫。」と言い「バレーボールはできる?」と聞いてきた。学校の授業程度だがやったことはあるので「はい。」と答えると、「秋からワールドカップバレーボールが始まる。それに合わせてグループを作る。」と記者会見の日付まで告げてきた。そのグループこそ、95年9月にデビュー会見をしたV6だった。
 「ソロではないのか。」と思ったが、目立つのが好きな方でもなく、グループの方が逆に安心と思った。しかし、その日の夜に再びジャニー氏が襲ってきた。痛みでベッドから転げ落ち、その後の記憶がはっきりしない。翌朝、ジャニー氏は5万円を手渡してきた。
 再び「大阪に帰ります。」と言った。ジャニー氏は何度も引き留めたが、すぐにでも離れたく「帰る、帰る。」と大阪に戻った。電話にも出なかった。その後また東京に出てくると、デビュー話はなくなっていた。学費も出ず、住む場所もなく、再び新聞配達を始め、稼がなければならなかった。
 「YOU、なんで出てきちゃったの。」とジャニー氏になじられ、振られた仕事は、日本テレビの人気番組だった【天才・たけしの元気が出るテレビ!!】のオーディションのコーナーだった。コーナーではデビュー予定だったが、ジャニーズのファンたちからジュニアにいたなどと批判され、デビューできず落とされる役になり、番組終了と同時に事務所を離れた。


 座長であり元検事総長・林真琴弁護士、精神科医の飛鳥井望氏、臨床心理士の斉藤梓氏からなる特別チームは、被害者21人にどのような性加害を受けたのかを聞いた。
 ヒヤリング結果を踏まえ、ジャニー氏が自宅や合宿所や公演先の宿泊ホテルなどにおいて、一緒に入浴をする、添い寝する、キスをする、体を愛撫する、性器を弄ぶ、口腔性交を行う、肛門性交を強要するなどの性加害を行っていたことを認めた。
 ジャニー氏は古くは1950、60年代に性加害を行っていたことが認められ、それ以降も繰り返していた。ジャニーズ事務所においては1970年代前半から2010年代半ばと長期間にわたって多数のジャニーズJr.に対し性加害をしていたと認められた。調査報告書に記載された性加害のヒヤリング結果には、以下のようなものがある。
「ジャニーズJr.の間で、『昨日ジャニーにやられていただろう』などと冗談めかしたり、武勇伝的に話したりしていた。ジャニー氏からホテルの部屋に1時間程度監禁された子がおり、後に性加害を受けたと言っていた。」
「ジャニー氏から肛門性交をされたり、ジャニー氏に対して肛門性交をするように求められたりすることもあったと聞いた。また、ジャニー氏の性器に口腔性交をするように求められる者もいたと聞いた。どのようなことをするかで渡される現金が違っており、3万円や5万円をもらった者もいた。」
「肛門性交もされそうになったが、痛いと言ったらジャニー氏は諦めた。」
「合宿所で寝ているとジャニー氏が後ろから添い寝をして股間を触られ、射精させられるまでやられた(中学1年頃)。」
「ジャニー氏の肛門に性器を挿入させられたことが1回ある(17歳頃)。」

「ジャニー氏に陰部を触られ、耳から首、陰部、足の先に至るまで、全身を舐められた。」
 
被害者のヒヤリングによると、少なくとも数百人の被害者がいるとの証言が複数あった。




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