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干からびずに大人になって。

水たまりにオタマジャクシがいた。水たまりが干からびる前に大人になって欲しい。

この場面から想像が膨らんでしまったので少し書きます。。

「大人になる。」とはどういうことかなーと思ったのですが、オタマジャクシの場合は、足が生えて水辺から外へ出れていけるようになることでしょうか。もし大人になる前に水が干からびてしまったら、死んでしまうでしょう。

一方で、人が大人になるのはいつでしょうか。社会人になるといえば区切りとしてはまあ、ちょうどいい気もするけど、これはオタマジャクシがカエルになるというほどの変化じゃありませんね。社会人ってのは、たかが社会が与えた位置づけでしかない気がします。

僕は、人が大人になるタイミングは、内省するときなんじゃないかなーと思ってます。なので、かなりいろんな段階があると思ってます。

内省ってのは人それぞれいろんなタイミングで行うものなのでしょうか?よくわかりません。僕は今のところ1度しか記憶にないですが。

僕が内省してあらゆる経験を言語化した時、自分を理解し、自分がアップデートされた気がしました。1段階大人になったのでしょうか。

もう1つ、思ったことがあります。

最初に、オタマジャクシに向けて、「干からびる前に大人になって欲しい。」と言いましたが、この言葉を人に向けてみたら面白い気がしました。

・干からびる
・大人になる

「大人になる」ってのは、僕の中では先程述べたものとさせてもらいます。では、人にとって「干からびる」ってなんでしょうか。

干からびる、というのは、気力がなくなるみたいな感じですかね。。何でしょうか。。

僕の周りを見てみて干からびてるなーと思うのは、前に進まない人ですかねー。干からびているとまでは言えない気もしますが、、今を楽しく感じてない人は干からびてると言えるでしょうか。人生の栄養を失った感じですかね。まあ、そういうことにしましょうか。

そうだとると、僕的な、人に対応する「大人になる前に干からびる」ってのは、「内省という自己アップデートが行われず、今に物足りなさを感じてる状態」とでも言い換えられるでしょうか。さらに言い換えると、「生きる心の栄養がない」とか「RPGで溜まった経験値を使わず、レベルアップを行わない状態」でしょうか。どれかひとつでもピンと来てくれたら嬉しいです。。

ただ、いずれにせよ、上記のような言い換えでは、人は干からびても死ななさそうですね。

(干からびることが死ぬこととは言わなくていいと思います。理論はメチャクチャっぽいですが、まあオタマジャクシとは状況は違うんじゃないでしょうか。)

人はなんとなく生きていく力があると思います。ただ、出来れば干からびるより、栄養満点で生きていきたいですね。

僕の理想の社会は、みんなが栄養満点で生きていける社会です。

以上、本日の脳内垂れ流しのコーナーでした👏👏👏

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