出場者の視点① エキスパンダー☆ユミ

たくみちゃんカップ、こういうことをやってしまう人たちがいる世の中が好きだ。

行くまではほとんど情報がなかった。パフォーマンスの出場者を募集していて、「評価」にまつわる実験的なことをするようだった。一度しか会ったことのないひろぽんから、なぜか「出場者募集中です。よろしくお願いします」というメッセージが届いた。エキスパンダーをやる機会があればどこでもやる、それがエキスパンダー☆ユミだ。スーパーでバナナを購入し、たくみちゃんカップの会場となっている東新宿に向かった。

ビルの屋上で行われた、10人ほどの出場者のパフォーマンスは、いずれも後からじわじわくるものばかりでかなり面白かった。たくみちゃんが出場者としてのパフォーマンスに重ねて、評価者のパフォーマンスをするのも面白いと思った。1人の人物が裏返せば、評価する側にもされる側にもなる、ということをパフォーマンスを通じて示したところが、たくみちゃんカップの肝であり、強烈な独自性がある。第2部は最後までいられなかったが、優勝者総取りのバナナを焚火で焼きながら全員での話が続く(これも最高)VS? Collectiveの記録動画を、つい全部見てしまった。(パフォーマンス部分の動画が全くないのは何故だろうか…)

ところで、この面白いというのは、完全にわたしの嗜好だ。他の人がどう思ったかは分からない。面白い、面白くない、という判断はそれが社会情勢や集団の思想をいかに反映していようとも、基本的には個人の主観に違いない。第2部でたくみちゃんが「すごいエゴイスティックだけど、一つの物語を作りたいと思っていた。最後にうらあやかのパフォーマンスをもっと見たいと思って、それがストーリーとして自分の中ですとんと腑に落ちた」というような話をしていたのが象徴的だと思った。ここでは、評価という行為が、個人の主観を通して作品化されているように感じられた。自分はその演者の1人のようにも。

社会の評価システムについては、私もこれまで様々な局面で疑問に思いながら生きてきた者の一人だ。実際のところ、表現から離れた場で他者から評価されるように想定して行動することは容易い。でも、自分の主観を反映しているもの、本気の思いや考察、表現などを、世間で評価されている人物や集団の主観で判定されることに対しては強い警戒心を持って対峙してきた。私の思いは誰かの思いと比較する類のものではないし、何よりある既存の枠組みに囚われて、自分軸がぶれることを恐れた。そもそも、自分の表現に確信があるときには評価など全く気にならないものだし、逆に言うと、評価を意識するということは、自分の表現に確信が持てていない証拠ではないか。表現や作品に対して誰かが下す評価は、それがいかにもっともらしいエビデンスを並べ立てようとも、それは自分とは異なる他者の主観であり、嗜好であることを明確に意識して、ぶれることなく己の道を進んでいきたいものだ。危うく評価する側になってしまいそうな時も、これは自分の主観で嗜好である、ということを明確に態度に示したい。

だから、たくみちゃんカップを面白がりつつ、怪しみ、疑っていたいとも思う。実験と言いつつ、もし第2回、第3回と続いていくことがあるならば、誰も気づかないうちに枠組み化する可能性がないとは言い切れないからだ。今回、評価する側/される側のパフォーマンスがたくみちゃんだから面白かった側面は大きいと思うが、こうした危険を考えるとパフォーマーを別の人物に変える必要も出てくるかもしれない。例えば第2回カップは優勝者のうらあやかさんがたくみちゃんのパートをやるとか…結構見てみたい気もする。焼きバナナは最高なので続けて欲しいな〜

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