ただで野菜を食い放題する技

貧乏な話とかちょっとした不幸な話、ついてない話とかって面白かったりする。

僕は高校を卒業したタイミングで実家が消滅したので、そこから男一匹で大阪十三に放り出された。そのときに舐めた辛酸あってこその現在である。

いきなり放り出されて、力無き人間が通用するほど世の中甘くない。
金も無いし何も無い、家もちょっとギリ危ない、みたいなゴキゲンな暮らしだった。
しかし、それでも男一匹状態っていうのはすごいものである。何やっても食っていけるし死ぬことはないのだ。

日本という国は多くの問題もあるが、やはり豊かも豊かであって、吉野家とかコンビニのおにぎりとかみたいなローコストで腹一杯に出来る食事ってのが、そこら中に箒いて捨てるほど溢れている。

貧乏と言っても「金が無い!メシが食えない!そして死ぬ!」とかのレベルにまではならないのだ。もちろん基本的に金が無いので腹は空かしているけど、一応生きていくことはできるインフラがある。
「死ぬぐらいメシが食えない」なんてことには、この国では起きにくい。

しかしそんな飽食大国の中でも、整備されていないフードコンテンツがある。それが野菜だ。

ベジタブル。緑とかのやつ。「身体にいいよ」と言われており、食わないだけで親とか教師が狂ったように怒りだすアレだ。そんなに怒る方が身体に悪いと思うが、年配ほど野菜に対する健康信仰が異常である。

もう僕みたいなやつに言われるまでもないが、野菜を摂ると摂らないとでは、人間のパフォーマンスは相当変わってくる。マジで疲れやすさも変わるし、摂らないと自律神経も狂うんで鬱まっしぐらである。

しかも一種類だけ食ってりゃ良いわけではなくて、そこそこにバランスを考えて様々な野菜を網羅して食さなければ、真の健康と最高のパフォーマンスは得られない。

本当に厄介だと思う。
車なんてガソリンだけで良いわけだし、パソコンも電気食わしてりゃ良いわけである。我々人間がいかに厄介で不便な稼動をしてるかが分かる。

この野菜の摂取を著しく怠ると、ホントもう何をやっても上手くいかない。

ピンと来ない人は、試しに全然野菜食わないで暮らしてみてほしい。
多分「ビタミンって結構人生でも大事な方のアイテムやねんな」と悟る。

ワーワーうるさいヒステリックな菜食主義者みたいになってきたけど、何が言いたいかと言うと、ギガンテス貧乏なときって野菜に金をつぎ込む程の余裕が無いってことだ。

この国は「メシが食えない!そして死ぬ!」というフローに関しては、脱することが出来ていると先述した。しかしまだまだ全ての国民が野菜の摂取を満足に行えるというところまでは来ていない。

貧乏人は常に腹を空かしているので、「なけなしの300円」をどこにつぎ込むか、となると、米だったり肉だったりになってしまうのだ。
希少な財源を腹が膨れるわけでもない野菜に、つぎ込むことは出来ない。

後、金がないやつは基本的に飲酒量がK点を超えているので、精神的なアルコール依存にも陥っている傾向にある。肉食って酒飲んだらもうスッカラカンである。

ともかく野菜ってのは「空腹を満たす」という観点からすると、コストパフォーマンスがよろしくないコンテンツだ。つまり牛丼とかオニギリみたいなメシと比べると、ブティックフードと言えよう。

もうそのブティックさは他の追随を許さないレベルで、僕の当時の目標は
「野菜とかを自在に摂取出来るほどブルジョアな暮らしをすること」になっているほどだった。

そんな様々なアレコレのせいで「野菜を本当に食わない」というか、食えない時期があった。

たしか基本うどんとシュークリームで暮らしていたことを覚えている。

大阪には『宮本むなし』とか言うアホ丸出しの名前をした定食屋がある。その「むなし」のうどんがかなり安かったのだ。

そもそも大阪はやたらうどんとかそばが安くて、220円ぐらいで食える。それにうどんって一応ネギやらも食えるのだ。野菜の端くれである。ネギも。

でもこれはホント焼け石に水であった。いくら食ってもネギだけでは健康を維持できないのだ。ポジション的にも薬味だし弱いから当然だ。

そんなこんなで丸ひと月ぐらいまともに野菜を食っていない暮らしが続いた。すると夏頃、栄養失調でぶっ倒れた。水飲んだり炭水化物は摂るんで腹は減っていないのだが、徐々に元気じゃなくなっていった。

上手く言えないけど、「腹は減ってないけど力が出ない!」みたいな不思議な状態だった。髪の毛とかにもなんか栄養が届いていないのかバサバサだった。髪質などどうでもいいけど、流石に切れ毛のバーゲンセール状態は心なしかブルーになったことをよく覚えている。

入院費がめでたく丸々借金になってしまい、クールでホットなクレイジーサラ金ライフが始まってしまった。

入院生活はそんなに長引くこともなく、めでたく退院できた。
問題は別に財政難が解消されたわけでもなんでもないということだった。ていうかむしろ借金増えて絶賛悪化していた。

つまり野菜を食うレベルの人間になったわけでもないのに、病院を追い出されたと言っても過言ではなかった。いっぺん退院しても、どうせまた病院送りになってしまうノーベジタブルノーライフ状態だった。

入院を繰り返さないために、僕も色々考えた。

そしてその末に僕が辿り着いたアイテムがヨモギだった。

ヨモギという野草は日本全国至るところに自生している。淀川の河川敷なんてヨモギだらけ。もうヨモギ王国だった。

ヨモギはドラクエの薬草のような入手難易度の割に、別名「ハーブの女王」とまで呼ばれるほど、様々な効能を持っている。ダンゴ以外にも色々あるのだ。
たとえば食物繊維に関しては、あのほうれん草の十倍という驚異的なスコアを記録しているし、鎮静効果やガン予防など、消炎効果なんかもある。

野菜を食わねばならぬ。だが金は無い。そして野菜を食わねば、また借金が膨れてしまう。

そのチェックメイトライフを救ったのがヨモギだった。

そこからはヨモギをひたすら炒めたり、パン粉付けて揚げたりと色々な手法を試していた。ヨモギの本とかも持っていたし、パソコンのブックマークもヨモギのページばかり。「YOMOGI」というフォルダがあるレベルだった。

自宅ももう一時期ヨモギ溜め込みすぎてて、なんか危ないハッパ育ててるひとみたいな状態になっていた。

ただヨモギは摘んできてから、あまり保存が効かない。
すぐにダメになるから基本的に「その日に食う分だけ摘んでくる」というのが、ヨモギストとしてあるべき姿なのである。しかしこれがまぁめんどい。いちいち摘みにいくのがダルいのだ。

そのあまりのめんどくささから考えると、完全に当然の流れなのだが、「自家栽培できれば最強なのに」という結論に達した。保存はできないし、採取は面倒。ならば作る。

その頃は「ヨモギ自家栽培計画」ばかり考えていたので、友達に「誕生日何が欲しい?」と聞かれたときも「ビニールハウス」などと答えていた。ほとんど農家の人間だった。

もう何をしていてもヨモギのこと。他にも色々食える雑草みたいなのも調べたが、ヨモギほどあちこちに自生していて、調理が手軽な物は無かった。菊も食えるのだが、菊なんてザラに生えていない。

ヨモギ生活が一ヶ月を過ぎるぐらいの時期に、友達が誕生日プレゼントで植木鉢を三個くれた。どう考えてもヨモギを育てている僕を見たかったのだろう。家でヨモギ育てて食ってるやつとか、どう考えても知り合いに一人は欲しい。

そうこうしてアパートの一室でヨモギガーデニングは始まった。

当たり前なのだけど、土とか様々なコストを考えると色々とよろしくないのだ。世話はそんな大変でもないけど面倒。そもそも金だの手間だのをかけてしまうと、「コストパフォーマンス最強」というヨモギの長所を殺してしまうのだ。

そんなヨモギガーデニングだったけど、アルバイトに受かったことと、淀川の野犬がホームレスに噛み付いたニュースが流れたことにより終わりを遂げた。その後二回目の入院をした。

二回目の入院は少し長くなったので、友達も見舞いに来てくれたり「野犬なんかに負けるな!」と、ズレた励ましの言葉をもらったりした。

他者の温かさを知るには良い機会だったし、野犬についてゆっくり考える時間もできたので無意味ではなかったと思う。

野犬はホントに怖い。犬と思ってナメていたらヤバイ。あいつらはいくら頭が良くて、人間との付き合いが歴史的に古いと言っても、所詮獰猛なケダモノなのだ。

「野犬をぶっ殺して干し肉にして、ヨモギ畑の隣りに精肉工場を増設しようぜ!」など友達が色々なプランを立ててくれていたが、どう考えても犬を殺して、それを食ってる僕のことが見たかったのだろう。
たぶん「ヨモギの次はもっと過激なことさせよう!」ぐらいに考えていたんだと思う。でも友人にそんなやつ一人いたら盛り上がること請け合いだ。

しかし残念ながら肉は足りている。吉野家は330円で満腹にしてくれる。犬を殺す必要はないのだ。

イマは僕も野菜を食ったりできるようになったが、たまに足りなくなる。二、三日食べないと、すぐに調子が悪くなる。そんなときはあの淀川に生えまくるヨモギを思い出してしまうのだ。

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