いそがしくてもやめる

多くのバイトをしてきた

多くのバイトをしてきた。

僕は長く勤め上げる能力は無いが、新しい環境や初めての試みに耐性が強い。そのせいかたくさんの業種に関わってきた。

料亭の洗い場
スーパー
マクド
ローソン
シュークリームにクリームを詰める仕事
結婚式でビールつぐだけ
音響
ガスの営業
バンド
作家
よく分からん施設の受付(何をするところなのか不明)
古本屋
家庭教師
治験(事前審査で落ちた)
墓のコラムの執筆
映画、本、AVなどのレビュー
ずっと夜中マンガを読み続ける仕事
メイドカフェで歌う仕事
ピンクチラシのポスティング
データを入力する仕事
不動産の地上げ
地震の心配をする仕事
NTT、KDDI,SOFT BANK関係の販売
葬式の見張り
音楽講師
バスケットボールプレイヤー
クラファンの顧問
個人事業主 etc...

色々やってきた。忘れているのとかもあるから実質コレよりも多い。

しかし「いろいろ経験してる」というワケでもない。一瞬で辞めたりするので、何もわからないまま辞めているのもある。三年続いた仕事も一つも無い。

10年ほど前に就活センターのおっさんに「まず三年はやめないこと!」とか言われていたけど、完全に達成できなかった。すまない。

でもまだ僕は人間をやってるし、不自由も無いし、税金も納めている。ならばそれでいいんじゃないだろうか。

「そんなちゃらんぽらんなのは若い時だけだぞ!」とか言われることもあったが、最近言われなくなった。「若い時」が終わったからだろうか。それならば雑音が減ってよしである。

おっさんの唱えた「どんな仕事でも石の上にも三年論」に対し、僕は否定的だ。ていうかその三年信仰に対して僕が祈りを捧げていたのならば、人生大失敗だ。背きすぎだ。

「どんな仕事でも石の上にも三年論」は、それを唱えていないと、耐えきれない大人が多かっただけじゃないだろうか。自分が我慢しているのにポンポン辞めるやつが許せなかったのでは、と思ってしまう。

表面的な仕事にはやはり差異がある。

三年経った頃にようやく分かってくる仕事もそりゃあるだろう。
ただ、三年で極めてしまう仕事だってあるし、三年程度じゃ何一つ分からない仕事だってあるし、そもそも時間なんてものでキャリア形成が培えないものだってある。

それを全方位的に「まず三年!」と決め込むのは、思考停止してしまう恐れがある。思考停止してしまってはもうただの羊だ。

反対に思考が働いているひとに備わっている力がある。
年上の発言や世の中の常識に対して「ホンマにそうか?」とちゃんと思える力だ。

何でもかんでも鵜呑みにしてしまっていたら、どんどんおかしくなってしまう。もちろんある程度の妥協点はゆとりとして持っておきたいが、デッドラインは作っておいたほうがいい。

「ここから先は許せない」というところが無いと病んでしまうし、何を信じればいいか分からなくなってしまう。

「世の中はそんなに悪いところじゃないよ!」というひともいるだろう。
もちろん理想を追うのは大事だ。理想の達成に近づいてこそ生きている意味がある。

でも人間という二足歩行の生き物は、様々な面を持っている。これはまぎれもない事実だ。

募金していたひとがその手で金をパクったりする。
娘を抱いた手で、立場の弱いひとを殴ったりする。
騒いだ後に一人で泣いたりする。

良い人、悪い人。なんてデジタルにはできていない。聖人も悪人もいないし、聖女も娼婦もいないのだ。

「みんな矛盾を抱えているし、様々な一面がある」ということを分かっていないと、いいようにされてしまうときがある。

でもそれはアンフェアなワケでもない。弱肉強食というほどシビアでもない。「責任をもって自由に生きる」というだけだ。

仕事の責任とかそんなショボイ話ではない。自分という人間を最後までやりきる責任だ。とりあえず現世が終わるまでは逃げられないのだから。


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