老人はひとのいうことを絶対に聞かない

老人はひとの言うことを絶対に聞かない。

夏になると「熱中症が増えているのはなぜか。ほとんどが高齢者だ」と、市役所などが悩んでいるが「冷房をつけましょう」と言っても、老人たちは昔ながらの方法で涼んでいる。

職員が自宅を訪問し「今日は冷房をつけてくださいね」と爺さんに優しく指導しても、うちわを使っているか、庭に水を撒いて窓を開けているのだ。

絶対に若いひとたちの言うことは聞かない。それが老人だ。若いひとたちと言っても40.50歳くらいの男でも老人からみれば若造なのだ。

あなたの親はあなたの言うことに従うだろうか。相手の声を飲み干せる度量があるなら、その方に「老人」というカテゴライズは失礼かもしれない。
年齢よりも若く見えるひとは、それ相応に「まだ知らないことがある」という謙虚さを持ち合わせている。

車を運転している老人たちは交通ルールを守らない。知らないのではなく、わざと守らない老人も見受けられる。

彼らは「自分たちがこの国、この地元を支えてきた」という自負が強い。「苦労してきたのだ。老後くらい楽しませてくれよ」と思っているのだろうか。分析が難しいが、たとえば車の一時停止を怠り、こちらとぶつかりかけたらそれなりに若い人たちは「あ、しまった」という顔をする。

ところが老人たちは「何が悪いのか」と相手を睨むことさえある。まるで暴力団である。

知り合いに「父の車が乱暴運転で乗りたくない」と言っている女の子がいる。「ぶつかっても保険が下りる」と言って、わざとぶつけに行くらしい。「娘が乗っているのにどういう心理なのだろうか」とビビってしまう。

失うものがないやつが一番怖い。というか何が目的なのか、それの何が楽しいのか。

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車の免許は不思議である。何故ここまで平等なシステムになっているのだろうか。国の愚行としか思えない。

「長年無事故なら車の購入サポートが使える」などとするならまだ分かるが、「色を変える」というのはかなり意味不明な褒美である。色なんて何でもいい。

男には暴走運転をするひとが多いが、女は車のマナーを理解できないひとが多い。男女ともに試験を厳しくし、受かるひとにだけ免許を与えたらいいのではないだろうか、と思ったりもしてしまう。

ドライブレコーダーの喧嘩映像を見ていると「こんなやつでも免許皆伝なのか」と恐ろしくなるのだ。ドラレコの普及により、気の狂ったドライバーの存在が具現化し始めた。

70歳を超えたら反射神経、運動能力検査と共に心理面も徹底してほしい。

心理カウンセラーがたくさんいるのだから、彼らに雇用を作るチャンスでもある。

「俺はもう老い先短いからコーナー攻めまくるぜ!」という老人がゴリゴリいる。

ショッピングモールの大型駐車場でもバキバキに逆走運転したりする。孫が乗っていようが妻が乗っていようが関係ない。

「待つのが面倒じゃ!ワシはそういうのが嫌いなんじゃ!」と言っても聞かない。

人間はどれだけ偉くなっても、経験を積んでも、金を稼いでも。バンドで売れても、国を築いても、「謙虚」な気持ちを忘れてはいけないのだ。これは絶対だ。

ネクタイをしないと入れない店にTシャツで着たら大統領でも天皇でも入れない。そこでその大統領、天皇が「ごめん、ネクタイのこと忘れてた。ユニクロで買ってくるわ」と言ったら、まわりも唸る。「謙虚さ」なんてそんなものだ。

別にヘコヘコする必要もないし、おかしいと思うことに対して泣き寝入りする必要もない。「これは一言言っとこう」と思うならば物申すもありだ。

だけど老人たちはまったくそんなレベルにない。「わしはわしは」で完全に幼児化している。脳がしぼんで内臓が傷むとそこまで堕ちるのか、と言いたくなる。

僕が祖父祖母ともに疎遠だったからだろうか。老人という存在が僕の人生と交わったとき、よく作用したことがほとんど無い。

大家族だったらまた違うのだろうか。ちなみに波平が死ぬほど嫌いだ。




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