何も無い、が有る

「先日ドラえもんのひみつ道具でほしいなら何?」の議題を設けた。(もしもボックスはNG)

この話は1時間以上は話せるし、どんどん発展していく。友達と試してみてほしい。僕は日本国民全員がそれなりにドラえもんに詳しいと思っている野郎だ。

しかし「なぜこの話は盛り上がるのだろうか」と考えていた。

そのひとの求めているものが分かるからだろうか。たしかに、ひとは欲しいものを教え合うと仲良くなれるケースがある。

そして「タイムマシン」と答えるひとが意外と少ない。

僕のまわりのやつらは、未来にも過去にも意外と興味が無いのかもしれない。

反面、どこでもドアは意外にも人気がある。
タイムマシンは「今の暮らしを良くする」ではないけれど、どこでもドアは「今の暮らしを良くする」に繋がるからだろうか。

だけど、どこでもドアについて考えるといつも少し寂しくなる。

どこでもドアが発明されたら、世界中の流通システムや交通システムが洗いざらい無くなるだろう。

車も電車も飛行機も無くなる。国境という概念も必要なくなる。宇宙船地球号の真の誕生と言える。移動時間なんて概念は消失する。

だが、失うものがある。

たぶん、「情緒」とか「趣き」みたいなものだ。

宇多田ヒカルのtravelingは歌えなくなるし、電車男のようなロマンも見られない。

時刻表トリックも使えなくなるし、あらゆる脱出系パニックフィクションもこの世から消える。

携帯電話の誕生は近いかもしれない。たぶんいろんなものがこの世から消えた。

命がけの待ち合わせが無くなった。「ごめん、今日行くの無理になったわ」が可能になったのは最近の話なのだ。

80年代って遅刻がとてつもない大罪だったんじゃないだろうか。想像の域を出ない話だ。

でも、その中で生まれたロマンがきっとあったのだ。

「きっと君は来ない。一人きりのクリスマスイブ」という歌詞を今の時代に書けるひとはもういない。

「足りないからこそ起きる面白さ」がこの世には存在する。

江戸時代に比べて、炊事洗濯掃除などの家事が楽になった。でもそのせいで基礎体力や筋力が落ちてしまい、結果体温が下がって病気を招いているという説もあるようだ。

「足りない足りない」と言っているかもしれないけれど、じつはそれ故に手に入っているものもある。そんなことばかりなのだ。足りすぎていると満腹中毒になる。

困ったら静かな海とか見にいくといい。あそこにはタイムラインも悩みも数字も無い。何もない。ただただ、欠落が有る。「何も無い」がちゃんとある。


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