他人に期待しないで
幼いころは明るくなったり落ち込んだりを繰り返していた。
他人に嬉しくなる日と、絶望する日を交互に味わうのだ。勝手に期待して勝手に裏切られたと泣いていた。25,6歳ぐらいまではじつに顕著であった。
期待通りに他人が動けば喜び、期待ハズレになるとガッカリするのだ。こう書くとなんと嫌なヤツなのか。
「すべての人間関係は相手に期待しないための修行だ」と、禅を組みに行っていた頃の和尚が言っていた。
この「ひとに期待すんなよ」は「絶望してコミュニケーションをとれ」という諦めの意味ではない。
「他人には他人の考えがあって、自分には自分の考えがある。それらをちゃんと分けとけよ」という意味だ。
何よりも「他人の考えは変わらない、だから変えようとしてはいけない」と自らの胸に刻むための教えなのだと思う。
人間に期待するとその分、人間にさびしくなる。 ひとは10割の打率では期待通りに動かないからだ。
だけど僕らは「人と人とのあいだ」で生きていかなくてはいけない。人間だもの。
それに哀しい事実だが、人間関係は時限制だ。じつは摩耗していくものだし、消耗品だから終わっていくし、ヘタっていくのだ。
互いの価値観は変わるし、生きる上で大切なものだって変わる。守らなきゃいけないものが増えたり減ったりする。
そうなると、続けられなくなる関係だってある。喧嘩しなくたって僕たちはいつか共に歩めなくなるのだ。
「これ以上関わらない方がいい」というリミットもある。これは仲の良し悪しだけでもない。
解散や離婚、退職、退部、退学、退塾。
生きていれば立場に変化も訪れる。
でもその中でも破滅させずに保存することだってできる。
二、三年に一回しか会えない親友だっている。毎日会えば仲良しなわけではない。
「ひとに期待せず」を使えば大半が保存できるのだ。「ひとは自分とは違う」と分かっていれば破滅を免れることが可能だ。
隣りに過度な期待をするとリバウンドの絶望を食う。そしてその絶望には毒性がある。
一度期待をしてしまったら、その期待を手放すのには時間がかかる。
近しい人間だと期待をしてしまうのが人情だ。
でも近いからこそ分かり合えないと思っておいた方がいい。近さと期待はセットだからだ。
だけど期待をグッとこらえて、減らすだけで不思議と分かり合えるようにもなる。
家族や親友や恋人だからこそ、甘えないほうがいい。それだけで失わずに済んだものがいくつあっただろうか。
「親しき仲にも礼儀あり」というのは「仕方ねーな」と言って、相手の恥部に片目をつむることだ。
とか言う話を神泉のバーでしていた。椅子はボロボロで足も付かなかった。男同士の些細なすれ違いの話を聞いていた。
ビジネス上の付き合いが多い人間だったのだが、ダチとして話ができたのは初めてだった。なんだか嬉しくなってしまった。
それにしても熱かった。案外、男と女がヨリを戻す!の1000倍熱かった。
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