プロ野球の引退

プロ野球が好きだ。
スポーツとしても興行としても好きだし、シーズンオフでも飽きないほどに好きだ。

好きなポイントはいくつもあるが、ひとつは「職業」として見たとき、極めて厳しいところだ。

シーズン終盤から各球団の引退、戦力外通告選手が続々、発表されていく。野球は他のスポーツよりもこれらのニュースがずっと多いように思う。

自ら現役生活に幕を引くプレイヤー、戦力外を通告されて引退を決意したプレイヤー、通告されるも現役続行を模索するプレイヤーがいる。

年齢も、彼らを取り巻く環境も人生に対する考え方もそれぞれ違う。

先にはいくつもの道が待ち受けている。

プロの世界は厳しい。いらなくなればポイポイ捨てられる。公務員の真逆。不安定極まりない。

野球選手の平均寿命は約9年、年齢では29歳というデータがある。邦楽ロックバンドのプレイヤーと似たり寄ったりだろうか。うーむ。

つまりバキバキ働き盛りの30歳前後で、多くの選手がグラウンドを去るわけだ。

現役時代は怖いものなどなくとも、現役を終わってからの人生は想像以上に長い。

僕の敬愛する野村監督いわく、「野球選手にとって引退後どう生きるかが最も大事」だそうな。

ところがだいたいの選手は現役時代、その自覚もなく過ごしてしまうものらしい。
でもわからんでもない。同世代より所得もあって、体力もあり、人気もある。調子に乗らない方が無理がある。

「野球さえうまければ人生思い通り」というような人間になってしまう傾向がある。でもそれはプレイヤーのあいだだけだ。名選手が引退後に栄職にしっかり就けているかと言われると、そうでもない。

各球団のスラッガーやエースが、必ずしも監督やコーチとしてやれているという法則は無い。

野村監督は30代のうちから「辞めた後のこと」をずっと考えていたそうだ。

「野村−野球=ゼロ」という言葉は著書によくよく出てくるが、監督自身はそれだけ「引退後も野球でメシを食う道になんとかしがみつかなければならない」とシビアに考えられていた。

当時、プロ野球の監督の座には大卒の人間しか就けなかった。野村監督は高卒で、しかもテスト生上がりだったので、相当なハンデがある。

「それなら名評論家を目指そう」 と思った監督は日本シリーズに出られなかった年、テレビやラジオ中継の中継席でゲスト解説として野球を見るようになった。

他にもキャッチャーの真後ろに陣取ってスコアをつけるなど、大いに野球の勉強に勤しんでいたそうだ。

東京五輪でシーズンが早く終わった1964年には、自費でメジャーのワールドシリーズを見に行きもしている。

「現役引退してから生のワールドシリーズを見ても仕方ない、現役時代に見ておきたい」とかねてから思っていたらしい。

しかし、実際は野村監督に指導者としての声が掛かった。

一度、人生をしっかり見つめ直し、「名評論家になろう」と思って積み重ねてきたことが、監督になったとき、すべて役立ったのは言うまでもない。

過酷な競争社会のプロ野球界は、基本的に1年契約だ。成績が悪ければ、あっさりクビになる。つまりは失業だ。

ロックバンドを並列させるのはナンセンスだろうが、似たようなものだ。というより「レコード会社との契約」なんてものも都市伝説と化しつつあるし、環境はより過酷である。1年契約以下だ。

しかし改めて「ロックバンドという過酷な業種をやっていて良かったな」と感じるのだ。
僕よりも年下の人間が「ロックバンドやろ思てんねん」と言ったら、「厳しい仕事だからぜひやりなさい」と薦めてもしまいそうだ。

キツイことに正面から取り組むというのは財産になる。「苦労しろしろ野郎」にはなりたくないが、「大変かつ面白いこと」なんて世の中にいくつも無い。

そんなことに正面から触れてきたやつがつまらないはずないではないか。「バンドなんて不安定で将来性も無いからやめときなさい」というのはじつは的外れでもある。

自営業そのものであるバンド活動はやれる環境があるなら、やりたいスピリッツがあるなら、後々役に立つ。

ちゃんと本気でやらないと意味はないし、やると大変だが、それだけ面白いものだ。「マジで生きる」というそのキャリアは、もはや一つの「安定」でもある。

「そんなに甘くない!」というひとはいそうだが、それはそう思いたいだけだ。「マジで生きる」を一度もやらないで、安定が手に入ると思う方がそれこそ甘く見ている。

リスクを取らないで生きられるほど世の中は甘くない。

ただ、どうしても現象みたいなものだ。狙って結成するのは難しい。

juJoeを計算もプランニングもゼロで起ち上げたせいで、余計に思うのかもしれない。

「決められたリリーススケジューリングに沿ってソフトを出荷する」という約束事も少しずつ無くなりつつある。

「決められたサラリーを請け取る」よりは「宝物を掘り当てる」という側面は大きくなる一方だ。

2010年代も今年で終わりだ。次の10年はさらに大きく流れが変わり、在り方もさらに細分化していくと思う。

「やりたいようにやる」が一番いい。その時々に襲いかかる爆風は、ちゃんと後々すべらない話になる。
すべってなければそれなりに人間にウケるし、モテるし、刺さる。

タワーレコード難波店でも手に入るようになった。ありがたき幸せ。

ちなみにこれ以後、配布店舗が増えるかと聞かれたら微妙である。枚数がいよいよ少なくて配送料が想像していたより5倍高かった。

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