友人のブッキングマネージャーの給料が十三万弱だった

ちょっと深めのダチがいる。彼はライブハウスのブッキングマネージャーである。先日、「給料が十三万弱なんだよね」という相談を受けた。

二歳の子どもがおり、金銭面で育児に限界が来ているそうだ。

同情せざるをえなかったが、「もう辞めるっきゃないんじゃない?」という言葉を置いた。そのライブハウスで勤務を続ける限り、苦しみは続くのではないかと思ったからだ。

だが、彼の答えは「音楽の仕事が好きなんだよなぁ」だった。
音楽屋の端くれとして、キリで刺されたように胸が痛んだ。

しかし、どんなに音楽が得意だろうが、勤続年数が長かろうが、金銭的に報われない仕事であることは事実だ。

彼が宝くじの当選者だったり、地元に名士の親がいて、湯水のようにお金があるなら別だ。でも給料が安すぎることに納得がいかないなら、そんな仕事はバキッと辞めるしかない。というか辞めるべきなのだ。

職業は誰しも選べるし、音楽業界との関わり方も多種多様なはずだ。ブラックな業態や経営者に一泡吹かせてやった方がいい。

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実際、ライブハウス勤め、というか音楽業界勤めは長続きしない。
もはや労働者が団結して、低賃金労働に中指を立ててしまえばいいのではないか、とさえ思う。

もちろん経営陣は困るだろう。そうなると、時給やら待遇やらを改善せざるをえなくなる。

僕の知る限りでは、音楽業界に低賃金を講義する政治団体は無い。ならば組織的に展開すれば、何か変わるのではないだろうか。

音楽業界で働いているわけでもない僕が外野から言うのも恐縮だが、「自分らの身を自分らで守る」というスピリッツは大事だ。
「空気読めないやつ!と思われるかもしれない。でも常識を動かすと、何にだってストレスは生まれる。

誤解されたくないが、僕はハコの雇用自体を否定してはいない。「音楽が好きだし」という気持ちを基軸に、頑張るのは素晴らしいことだ。

何よりもその方々のおかげで、僕は今も昔もライブができるし、CDだって出せるし、自らの音楽を広めていけている。

でも「音楽が好きだし」という気持ちだけで、労働を続けているひとたちがいるかぎり、労働単価は上がらないのだ。

原因はわからない。

ライブハウスが多すぎて利益が分散しているのか、市場がそもそも小さすぎるのか、経営陣が搾りすぎているのか、知る由も無い。
ただ、知り合いの現状を聞いて「さすがにいくらなんでも、ヤバくない?」と思っただけのことだ。

その手の相談に「辞めたいなら一刻も早く辞めた方がいい」と言うことが、多いのだが、冷たくしているわけではない。

奴隷でも下僕でも家来でもないのだから、働き続ける理由なんてないはずだからだ。

ブッキングマネージャーの給料アップのために、国から補助金の投入はないだろうし、環境や待遇が革命を起こすことも無さそうだ。

こういうことを書くと「そんなこと言ってライブハウスが無くなったら、お前だってライブができなくなるだろうが!」という声も飛んできそうだ。本当にそうだろうか。たぶんできる。

今検索してみたのだが、都内のライブハウスだけで、なんと六百近くの店舗があるそうだ。

平均のキャパ数が二百人だとしても、そのキャパ数の合計は十二万人だ。

この「ライブハウス」にはブリッツやZeppなどの数千規模のハコも含むだろうから、実際の平均キャパ数は四百〜五百なのではないだろうか。こうなると合計人数は三十万人近くになる。

少子化(都内の二十代前半人口は八十万人)+ネット全盛の時代から考えると、完全に供給がオーバーしていることが分かる。

「ライブハウスの数、減らすといいと思う」などと短絡的なことは、一人のバンドマンとしても望んでいないが、「友人の賃金が上がって笑顔が増えるといい」と思う気持ちも、これまた強いのだ。

その未来にたどり着く道程で経営陣の「そんなことしたらうちの店が潰れるだろうが!」が飛んでくるのかもしれない。
しかし、そんなことを言われるならば、「そんな店は潰れてもいいのでは」と思ってしまう。そうなれば、友人は別のライブハウスでアップした賃金で働けるはずだ。

簡単な仕組みにはなっていないように思う。というより願う。

きっと猛烈に複雑な事情があるのだ。それほど問題が簡単ならば、それこそ都内からライブハウスはますます減ってしまう。

馴染みの場所が消えると寂しくなる。渋谷kinotoがあった場所はもう面影も無い。地元の雄、松原さんさえこの世にいない。

何だって永遠には続かないと、ここんとこ痛感している。

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