人生最後の日
"今日がもしも人生最後の日だとしたら今日の過ごし方はベストだったか" と聞かれたらどうだろうか。
Noの日がずいぶん続いていくようだったら、今の暮らしを少しずつ変えていく方がいい。
「すべてが白か黒かだけ!」というわけではないし、すべてが負ではない。
でもNoが続いているならば、何かしらに負け越しているのだろう。誤魔化さなくとも自分ではわかるものだ。
僕も去年の冬から春にかけては、とてつもなくNoが続いていた。あれから一つずつYesを増やそうとしてきた。完全にYesで染まったわけではないが、あの頃よりはYesが増えた。
「今日がもし人生最後の日だったら」と考えて、悪くない過ごす方が出来た日が並ぶようになってきたというのは、充足感が増している証だ。
もちろん今だって、YesもNoも口に含んで生きている。そもそもいつもYes、全部Yesなやつなんていないのだ。
しかし「自分」という人間をしばらくやっているせいで覚えてきたことがある。
僕はYesとNoを一定のサイクルで繰り返す傾向があるということだ。
さらに重要なキャリアがある。
しばらくNoが続いた後こそ、大きなYesを得ることが多かったという事実だ。
つまり"これじゃない"という毎日から得るものはあったのだ。その日々の果てに、ちらほらとYesが増えてきた。
霧中の自分には分からなかった。目の前の問題をさばいていくうちに、近づいてきて、だんだん鮮明に見えてきたのだ。
禅問答みたいだけど、得ることは失うことでもある。
何が嫌いというわけでもない。何が気に食わないわけでもない。
だけどすべてがつまらなくなる前に、Yesの手掛かりを見つけないといけない。
クソみたいな毎日を送っているタイミングこそ、何かに気付くチャンスだ。
自尊心の耐久性はそんなに高くない。完全に冷めたら、その日々から得ることは難しくなる。
そして「やった方がいいかも!」と少しでも心に火が灯ったならば、仕掛けた方がいい。
残念ながら、基本的に僕たち男は自分の意見をハッキリ持たないと、人生ハードモードになる。
自分の指針で行動しないと、幸福にはなりにくくできている。もちろん、そうなるとまわりを護ることなんてない到底できない。
「手助け」は貰えても、誰も助けてはくれないのだ。自分自身で掴んでいくしかない。
仕掛けると、誰一人味方がいなくなる瞬間もある。
それでも自分の熱が自分を暖めてくれる。そこからしばらく時間が経ったら、仲間が増えていたりするものだ。
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