帰ってくる奴隷

辞めたい会社に勤めている男は、不思議とそこから逃れることはしない。

「会社」に限定してしまったが、それだけではない。

解散したいバンド、別れたい恋人、絶交したい友達、絶縁したい家族。

人間、これらから不思議と逃れることはしないものだ。肉体的にも精神的にも不自由な生活だが、それを辞める気はない。

辛い労働をする肉体も、ストレスに苛まれている精神も、対象先に預けてあるのだ。委ねているのだ。

これらは「依存」しているということだ。
仮に「依存」させている側の立場に立ってみると、合法的にハメてしまえば、そこで奴隷化できるということが分かる。本質的にはシャブと変わらない。

離れられない理由はいくつもある。
その対象先の放っていたかつての輝きが好きなのかも知れない。「いつかまたあの頃の快楽が蘇るんじゃないか」と、一度覚えてしまった脳の快楽に負けているのかもしれない。
対象先の周りと仲が良いというのもある。もちろん、「会社」に関しては、辞めたら食べていけないのは最大の理由だろう。

しかし食べていけないから、嫌な仕事を続けなければいけない国ではない。好きな仕事も、もう少し給料が良い仕事も見つかる国だ。

最近思うのは、「それができないのは、その人は不自由が好きだからなんじゃないか」ということだ。

別に重症ではない。きっと、不自由に慣れてしまっただけだと思う。

むかし、アメリカで黒人の奴隷たちが、白人の家から逃げだすことに成功したのに、戻ってきた話があった。彼らは奴隷生活に慣れてしまっていたのだろう。

不自由に慣れてしまうと自由になるのが怖くなる。自由には批判が付き物だからだ。枠の外、規制の外、前例の外に踏み出すと、そこに留まる人々から石を投げつけられる。

「自由になっても何していいか分からない」と言うひともいる。それは強者と長く過ごしすぎたのかもしれない。

親、上司、先輩、束縛する恋人、会社組織、レーベル、事務所。自分を上回る強権には思考を奪われがちだ。

万能な対策など無いが、やはり自分が強者になるしかない。別に最強にならなくたっていい。

今現在より強くなって、目の前の対象先の恩恵無しで呼吸ができるぐらいを目指すのだ。

「ある程度の力」で、かなり自由になることができる。この「ある程度」は想像以上に少ない。

それにはまず、自分を縛っている強者と決別することだ。もちろん、もしも自分が強者になったとしても、誰も縛らないでいるのがカッコいい。



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