正直でいられない
すべてに対して正直ではいられない。むしろ嘘が多い。本当のことは怖くていつも言えない。
その中でも正直にやっている、やっていたい。やらざるを得ないものがある。それらは友人でもない。恋人でもない。
人間関係にまつわることではきっと無理だ。というか人間関係を正直にやりすぎると、おかしくなる。
きっと僕にとって、それは「歌詞を書く」なのだ。
「書いた内容が真実」だとか「心の根っこ」とかそういうことなのかは分からない。
うまい言葉も見当たらないのだが、なんというか「正直でいたい」のだ。歌を書くことについては素直を保ちたいのだ。
書いたものに心が入るか、気持ちが宿るか、愛しているか、抱くように作ったか、尽くしたか。そんな類いの言葉に近い。
だから着地を誤魔化せない。
「良くする」とかではない。ストイックなつもりもない。むしろクリエイターとしては無頓着な方である。
着地を綺麗に決められない日がある。
だけど出来るだけ両足の裏で、しっかりと地面を掴むように舞い降りるのだ。そうやって書き終えないと駄目なのである。
「たしかな手ごたえ」というのだろうか。
自分が「それにちゃんと胸打たれたのだ」と心が鳴らないと不味い。自分で作った何かにちゃんと心を鳴らすことが一つの掟だ。
もしも「心鳴らずして」を続けると、たぶん取り返しのつかないことになる。きっと、おかしくなる。
おそらく裁きをうけるのだ。自分の中に在るお天道様的な何かに。
プロ意識とかそういう話でもない。ていうか一銭も貰わなくても変わらない。
それにもう僕もメジャーでもなんでもない。
だけど、これは一銭も貰わずに歌を書いていた10代のときから続いている。
友人に何人かクリエイターがいる。その数少ない数人をリスペクトしている。音楽家ではなくとも、リスペクトしている作り手もいる。
そんなひとたちと話すと、「嗚呼、この人も自分自身に言い訳や誤魔化しをやめたのか」と思うのだ。
人生なんて長くなればなるほど嘘だらけだ。
黙っている本当のことだらけだ。そして哀しいが本当なんて何も救わない。
みんな嘘で塗り固めてでも、大切なものを守って、疲れ果てて死んでいくのだ。
でも人間にはどこか一ヶ所だけでも、何か一つだけでも、言い訳や誤魔化しを含まない場所があるのではないだろうか。
そんなものがあれば、他がどれだけひどくても歩いていけるかなぁと思う。
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