辞め時

「ここまで積み重ねてきたこと」に縛られてしまうときがある。

ここまで勉強してきたこと、ここまで働いてきたこと、ここまで付き合ってきた恋人、ここまで育ててくれた家族。

何かを選択するとき、過剰に作用してほしくないと願っている。

年齢を重ねると「それまで積み重ねてきたこと」はより重厚になってくる。僕にとっての音楽なんて、もう十八年続けていることになる。僕がギターを手に取ったときに二歳だった人間が、今年成人してしまったのだ。

しかし「ここまで半生を捧げてきたのだから辞めるわけにはいかない」というスタンスはいつだってクオリティを下げる。

なぜならあした始めたことが、一年足らずで十八年の成果をブチ抜いてしまったりもするのだ。

それだけ物事はタイミングや世の中の情勢や周りの人々の力、外的環境に左右されている。
というより自分一人の力なんて(もちろん無くてはならないが)じつは微々たるものなのだ。

「今ある環境を飛び出たとき、新しく始められる人生の準備をして力をためている感じ」を覚えたことが何度かあった。
次の施策を考えていたり、転居の前だったり、進路の前だったりがそうだったように思う。

「ここが無くなったら、そのときの自分がなんとかしてくれるだろう」という感じとも言える。あの自分を信じられる感じで、いつも過ごせたら嬉しい。

しかし「積み重ねてきたもの」に縛られているときはあの感じがまったく出ないのだ。

「守りに入ったらいかんぞ!」という話でもない。
なんていうか、無理に留まらずに先々へと飛んでいく身軽さは、ゆるゆるとストレスを溶かすのだ。

いつだって荷物は少ない方がいいし、持ち物をポイポイ捨てられる方が良いことばかりである。自分に言い聞かす日々の繰り返しだ。

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