ひとり!
ぼっち。一人の状態。ソロ活動。
リア充。現実世界が充実している状態。
最近は意味が歪曲してきて、友達が多いひとみたいな意味になっているそうだ。
下記はちょっと前に書いた歌詞に『毎日のお仕事やお付き合い、かけがえの無いお友達、輝く毎日、でもそれが全てじゃない』
というフレーズがある。
2014年の年末に書いた曲なんだけど、自分でも気に入っている。録ったものをよく聴いている。
何故こういう歌ができたのだろう。
じつはあるタイミングで、少しだけ僕の人付き合いが良くなったことがある。冒頭の言葉で述べるとリア充ってやつになった。
いつも誰かといた。どこかにいた。独りの時間が無くなった。
それに対して自分の中の何かが急遽警告音を鳴らした。これはヤバいぞと。
何がヤバいって誰かといると、楽しいし寂しくない。
だけどその「誰かといるあいだ」だけは自分に向き合う状態が消滅してしまう。
誰かと遊んでばっかいると、自分が今現在どういう心持ちなのかを分析できなくなるのが怖かったのだ。
そうなると、どうしてもモノが作れなくなる。
面白いアイディアも浮かばないし、満ち足りているからか、自らの気持ちに鈍感になってくる。
反対に「足りない」という感覚が日常にほどほどに供給されておくと、鋭さと嗅覚が増してくる。
空腹だったりもそうかもしれない。
ボクサーの減量中は感覚が研ぎ澄まされて、遠くの蛇口の水の落ちる音が聞こえるそうだ。「はじめの一歩」に書いていた。
心もそれと同じだ。
足りなかったり欠けている状態じゃないと、拾えないフレーズやチャンスがたくさんある。
日本は先進国として、君臨している。
ますますSNSも発達し、ブロードバンドを通して、ただでさえ僕らは常々誰かと繋がった状態にある。
僕も多くのひとの支えによって生かされている。
ただ反面、独りでいる時間も必要なんじゃないかと思うのだ。「みんなに助けられているからこそ」だ。まず独りにならないと何も成せないのかなぁ。「みんなに何かを返すために独りになる」というのも、また本質的である。
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