難局を乗り越えていくには
2018年は本当にいい年だった。二位に大差をつけての平井史上ベストスコアだ。良い事が限界まで降り注いだ。
しかもそれら「良い事」は「自分が受け身だったら起きなかった事」ばかりだった。
解散したりうつ病になったりアル中になったりもした。でもその後にずいぶん這い上がった。
現状満足とかではないが、音楽以外にも色々立ち上げた。しかも珍しくガッチリ立ち上がった。
誰でもいいから褒めてほしい。今年ばっかり褒められても謙遜しない。「あそこ大変だったろな。よくやったよ、俺」があるので、もう全面的に喜ぶ。「俺が良かった年」の打ち上げがしたいぐらいだ。
しかし改めて痛感したが「苦あれば楽あり」であるし、「山も谷もある」だし、「冬の後には春が来る」という仕組みはある。ゲーム『人間』って本当にそうできている。
そりゃ平穏無事に過ごせれば人生言うことなしだがそうもいかない。やはり困難は次から次へと飛んでくる。
しかしようやく困難を避けていく方法があると分かった。それは「困難よ、来い。殺すぞ」という覚悟だ。どうしようもない困難があったのだ、本当に今年は。ひねり潰した。
ではなぜ、「困難どんと来い」は有効なのか。
たとえばイジメの問題がある。
この世の中に起こしていいイジメなど本来は存在しない。しかしいつの世もにもイジメはある。残念ながら人間の性だ。
かわせればかわせる方がいいが、どうしても逃げられない場合がある。そのときは「来るなら来い。殺すぞ」という覚悟がモノを言う。
こいつの言う通りなのだ。実際に勝つか負けるかではない。「腹をくくれるかどうか」である程度人生はコントロールできる。やりたくないことやされたくないことから距離をとれるようになる。
逆説的だが「無事じゃなくてもいい」という心持ち無くして安息は無い。
やられ続けるひとには共通点がある。それはどうにかして逃げる方法を考えたり、相手にへつらったりすることだ。しかし、これは逆効果である。
ナメられるとさらに相手の攻撃は大きくなるのだ。
ナメられていると、ゴウモンされてしまうのだ。
やられている少年が悪いわけではないが、悪人の心理はいつだって「弱いものを叩く」だ。「世の中に悪い邪悪な男はいる」は目を背けてはならない真実だ。そんな悪党から身を守る最大の武器が勇気と覚悟だ。
反対にすべてを受け止める覚悟で行くと、相手の方から引いていく。
腹をくくっている人間は悪人からすると、めんどくさい。ナメられていると面倒ごとはいつまでも続く。
職場の人間関係にしてもそうだ。
転職の八割は人間関係で起きる。人間関係で辞めたひとは、不思議といくら転職しても同じようなカタチになる。
恋愛関係も同じだ。DV男と付き合うひとは、次々とDVに合う。
「嫌な人間との出会い」はもう天から与えられた試練だと思うことだ。同じような邪悪なひとに新天地でも出会ったら、試されていると考えた方がいい。
もしここで気にならないぐらい自分を高められれば、一つ関門クリアだ。課題は与えられる。だがガッチリ乗り越えれば次に行ける。
「起きた困難すべて試練」という考えは使い勝手が良い。自分が止まるか伸びるかはキツイときに決まってくる。
難局を乗り切るには、すべてを受け止める覚悟でいけば何とかなる。多少の波乱は付き物だ。アレもコレもおもくそやれば何とかなるものである。
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