変に物知り

「なんとかインチキできないもんすかね」と言ったら、税理士に目を見開かれたので自主規制した。

朝からスリリングな幕開けだったが、生きていると色々と仕方ないことがある。
納税したって政策が好みじゃないこともその一つだし、インターネットで[納税 したくない]と検索しても逃れられないことだって、もちろんそうだ。逃れられないことを知った分、絶望の深度が上がるだけだ。

僕の子ども時代にはインターネットは無かった。

道ばたでiPadを操作する子どもを見て「子どもでもネットが使える時代なのだな」と再認識した。

ネットを活用すると、とんでもない情報を浴びることができる。僕もネットが使えるようになった中学生以降、知識量が倍増したように思う。

あれやこれやと物を知り、なんでもかんでも分かった気になっていた。

しかし知識の詰め込みと、信念の構築の両立は少年期には難しい。

知識で得た幸せはとても簡単に体験できそうに思えるが、現実はキツイ。キツかった。

「学んだことを使おう」ではなくて「教えてもらった通りにやろう」と、僕が安易に考えたからだろう。ミスり倒した。

「ネットで得た知識どおりにやったのに!」と見当違いのクレームをビルゲイツに送り付けたくなった。スーパーにいるババアのごとく理不尽にわめき散らしたくなる夜がある。

ネットには「金なんか無くても大丈夫」と貧乏を励ます言葉が並んでいたが、若い頃にやった家賃も払えない環境は大丈夫でもなんでもなかった。バッチリ死にかけたし危ない目に何度もあった。

「上京してバンドマンになるのは素晴らしい」と聞いたから夜行バスで片道4,100円払って来てみた。

すると即解散した。

素晴らしくも何ともなかった。「来るんじゃなかった」と1000回は吐き捨てた(もちろんそれで今があるのも事実なのだが)。

「成功するにはひとの話をよく聞くこと」と聞いたのに、事務所の人間は音楽のおの字も知らない素人ばかりだった。絶望した。

「そんなひとたちも、助けてくれたのだからちゃんと感謝を向けること」と聞いたが、そのストレスに何度も狂った。

結局、結論は「自分で決めて自分で進んだこと以外は納得できない」という何とも救いのないものだった。さらに言うと、自分が動かしたものぐらいしか、ちゃんと動かないのだ。

「誰もやってくれない」と言っているひとは、それだから日々は微動だにしないのだろう。僕がそうだったからだ。

自分で決めて、自分で動かすのには力も知識もいらない。見当違いの方向にでも動かせばいい。動くは動く。

その正解率を高めていくことや、効果を増すためには力が必要だ。だけどそれは後から手に入るのだ。「お金は後からついてくる」という言葉の本質はそこにある。

そして「ネットで知る」が原因なる僕の「分かったフリ」は少しずつ治っていった。

情報を発信した者は体験者だが、その情報を安易に受け取った若者は未経験者だ。その情報がいくら正しくても使うものが未熟なら同じように運用できるには至らない。

そんな当たり前が肌感として分かるようになるまでには年月を要した。

一日一冊は本を買う。

画面のデカイiPhone Xになってからは、本を持ち歩く必要もなくなったので読書量は増えた。

だけど賢人たち、先輩たちが書いた言葉の洪水の中、理解できることは一部だったりする。具体的であればあるほど分からなくなる。

「よく分からないこと」に出会ったとき、「分かったフリしてイキる」ということだけは控えている。

謎のイキりが呼び込む破滅的な大惨事の恐ろしさを骨身にしみているからだ。何はともあれイキらないことである。そして納税するしかないのだ。だけど、もちろん国は助けてくれない。そんな歴史は無いからだ。

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