心の傷の処理り方
どうしても一生ついて回る出来事がいくつかある。
「心の傷」とかいうと、ゴボウみたいで嫌なのだが傷一つ無く生きているやつなどいないではないか。自分の中に消えないで残っている傷がちゃんとあるし、まだまだ消えない。たぶん一生消えないのだと諦めもしている。
簡単にいえば、人を裏切った。
嘘がままならなくなって、なかったことにしたくてその人間関係から逃げ出した。しかもこんなヤワな過去がいくつかある。
だけど傷一つ無く生きているやつもいないのと同様に、誰も傷つけないで生きてきたやつもいない。みんな誰かしらに危害を加え、迷惑をかけ、泣かせ、悲しませ、自らの生命をキープしている。
「自分、バカ正直がモットーです!」という男が稀にいるが、怖い。「正直であるならば誰を傷つけても構わない」というある種のストイックさが怖い。たまにそれを「俺は優しいから」という危うさにエンコードしたりするから怖いがとまらない。
正直だろうが、嘘つきだろうが誰かしらを傷つけて生きているなら、嘘つきの方がまだ救いがあるんじゃないかとさえ思う。「自分愚直っす」というためらいのなさに、自決する爆弾魔のような無責任さを感じるのだ。
もちろん真実によって相手が救われるなら、真実のままでいいと思う。そういうシチュエーションもある。でも、人間をやっているとそうでないときがある。全部が全部「真実はいつも一つ!」だと無理がある。真実や正論なんて正しいだけで誰も救わないことばかりだ。
そんなタイミングで墓場まで持っていける嘘がつけるかつけないかだと、つけた方がいいのではないだろうか。
もちろん自分の中でもついてきた嘘や裏切りは何年経っても消えなかったりする。
幸せを実感する瞬間だったり、何気ない朝の喫茶店だったりで突如フラッシュバックして襲ってくる。あの瞬間、嫌な鈍痛が心臓近くに襲いかかる。
相手の方が嫌な気持ちになったはずなのに、自分も痛いという自分勝手なエピソードが誰の胸の中でも鳴っている。「もう一度あそこから人生をやり直せたら」のポイントが幼稚園なんかじゃないことを知る。
でもそんなモヤモヤと苦しみを抱きしめながら、自分自身の罪として痛みと付き合っていくのだ。軽い言い方なら罰だし、もっと軽くするなら深みにカテゴライズしてしまいたくなる。
あっさり忘れられたり、乗り越えられてしまうような痛みもある。あれは傷とは呼べないのかもしれない。「あの苦しみがあったから今がある!」的な痛みは筋肉痛のようなものだ。千切れた後にちゃんと強くなる。だけど、人間を三十年ぐらいやると、健や粘膜の損傷のような、元には戻らないような傷だってある。
映画や小説を楽しむ理由はここにある。
昨年はいくつか映画を観たけど、『万引き家族』は未だに刺さって抜けていない。『カメ止め』も『ボラプ』も『ゼロシコ』も面白かったけど、『万引き家族』の虚無感と演技を超えた迫真の素を凌がない。
いつまでも消えないものと、乗り越えられないものと、割り切れない事情がある登場人物たちが綺麗だった。彼らが自分自身の傷口のサイズとマッチした。
フィクションに触れると、痛みの種類を言い当てられたような瞬間がある。刹那的でも救われる。解決策にはならないし、正しくもないし、前進したわけでもないけど、傷口にちゃんと名称が付いた気がする。
そういや「万引きは良くないと思います!」という感想を持つ人がいた。シンプルに友達になれない。
タワーレコード渋谷店で1stAlbum『juJoe』が手に入るようになりました。価格はもちろん¥0です。
心苦しいのはお店に利益がまったく出ないこと。
取りに行ったらなんかしら買うでもよし、来店写真撮ってツイートするでもよし、なんかしらしてもらえると心苦しさが和らぎます。
音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!