がっかり!

いつまでたっても「がっかりされる勇気」を持った方がいい。
他人にため息つかれる覚悟を持っていないと、「認められないと全部駄目」みたいな考えになりそうになる。そして奈落の底へと落っこちそうになる。

自分に言い聞かせるための言葉だけど、「がっかりされる勇気」が薄れると、誰しも何かしらの歪みが生じると思うのだ。

しかしがっかりされた、失望されたということは、一度はその誰かを期待でワクワクさせたってことなのだ。
もうそれで十分ではなかろうか。今回はがっかりさせてしまったけど、十年後に見直してもらえるように、反省してやり直せばいいのだし、他のひとは喜んでいるかもしれない。

僕は「君にはがっかりしたよ」という言葉を何度も貰って大人になったが、あの言葉の破壊力は凄まじい。一気に人格を否定された気になるし、打ち砕かれる。

それゆえに「がっかりされること」に耐性があると強度がずいぶんと増す。それでいて人間生きてたら、まわりをがっかりさせっぱなしだとも言える。

だけどがっかりされたから何だというのだ。失望上等である。別にそいつらに好かれるために生きているわけではない。痛恨のダメージでもなんでもない。

むしろがっかりされることにさえ耐えられるならば、何だってできるしどこにだって行ける。

「失敗」いくつかのファクターで成り立っている。
「損をする」とか「見損なわれる」とか「身の危険がある」とか「時間が減る」とか「今の位置に戻れなくなる」とかで「失敗」は出来ている。

このうち「見損なわれる」はどれほど占めているのだろうか。案外半数以上ではないだろうか。
吉本の経営陣も連日がっかりされているが、「別にがっかりされてもいいや」と思えれば言うことも変わってくるのかもしれない。保身はいつだって男をスベらせる。明日は我が身である。

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