食べたくても食べられないひと!のおっさん

先日、デニーズで一人、食事をしていた。基本いつも一人である。

隣りから「食べたくても食べられないひとが沢山いるんだぞ!」とおっさんの怒号が聞こえた。子どもが食事を残していることで折檻しているのだ。

子どもからしたら「胃の容積がいっぱいやねん。それか満腹中枢がサインを出してんねん。黙れや」と言いたいところだろうが、言葉と知識を持たないのは無力だ。彼女は大きい声で泣き始めた。力が無いというのは本当につらい。助けてはやれないが、同情する。

しかし、まだこんなやつがいるのだなと思った。

僕もメシを残すと「食べたくても食べられないひとが沢山いる」という文言をくらい続けた世代だ。でも世代の問題ではないのかもしれない。

今年僕も三十二歳になるので、あの頃から二十数年の月日が流れたわけだ。「世の中には食べたくても食べられないひとが沢山いる」状態は、現在もそうなのだろうか。

あなたはあの「食べたくても食べられないひとが沢山いる」という言葉を疑ったことはないだろうか。ていうか世界は良くなっているのか、変わっていないのか、悪くなっているのか。

シリア内戦が原因で戦死者は増えつつあるし、テロの数も増えている。海洋汚染も深刻だし、十年前には住宅バブルがふっとんだ。

じゃあ悪化しているのだろうか。

データから読み解くと、世界は確実に良くなっていると思うのだ。少なくとも僕のガキの頃と比べると、信じられないほどに良くなっている。

認知しているひとは少ないが、極度の貧困にあるひとの数は半分になっているのだ。極度の貧困とは「水を汲みにいかなきゃいけない。自転車も買えない。食事も満足にできない。粥以外のものを食べられない」という状態を指す。それこそ、上記のおっさんが述べた環境のことだ。

このひとたちは、なんと地球の人口の9%しかいない。十年後には3%になると言われている。

これよりちょい上のレベルに低所得国がある。チャリも乗れるし、鶏も飼えるし、冷蔵庫を使えるほどではないけど、電気も通り始めている。

これらの国では初等教育を修了できない女子も2%ぐらいしかいない。地球上で最も過酷な国であるソマリア、中央アフリカ、アフガンほどひどくはないのだ。

今から二百年ぐらい前になるとエグい。地球の85%が極度の貧困にあったのだ。星丸ごと貧しい。イギリスでも児童労働が当たり前で、子どもの働き出す平均年齢は十歳だった。

二百年前、平均寿命は三十歳で、生まれた子どもの半分は大人になることなく死んだ。現在の世界平均寿命が七十歳であることを考えると、世界はやはり良くなっている。

僕が十歳のとき、消費税が5%になり、コナンが映画化され、たまごっちブーム、エヴァブーム、ポケモンブームの頃が到来した。そしてインドと中国では人口の40%が「極度の貧困」にあった。

現在インドの極貧率が12%、中国では0.7%であることを考えると、八億人近い人々が、地獄から脱したと言える。中南米では14%から4%になった。

地球全体の30%の人間が死にそうになっていた。これが9%まで下がったのだ。

飢餓というホモサピの苦しみの根源が消えるのも時間の問題である。

だけど、僕たちの国の大人は今も「けっこうほとんどの地球人が極貧!」と思っている。二十年前から何もアップデートされていない。テレビの番組やCMも9%の極貧生活ばかりクローズアップする。それに影響を受け、おっさんはデニーズで怒鳴る。

おっさんが気付かないうちに、数十億人が貧困を脱して、スマホをいじくりだしている。水を汲んだりせずに、消費者や生産者へと進歩を遂げている。

今日書いたデータは国連ソースなので、異論の余地もない。しかもこの数値は極秘でも何でもなく、全世界に発表されている。ただ、それが周知されるには時間をかけても駄目なのだろう。印象よりも真実を見ないと、本質は掴めない。怒鳴るおっさんと距離をとりたい。

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