死ぬ瞬間の後悔

最優先課題が「安楽」と「安定」になると失うものがある。

ローギアで徐行を続け、何としてでもリスクを避けようとしていると、思わぬマイナス面が出てくる。

「死期が近づいていることに鈍感になること」だ。

残された日数が限られていて、刻一刻と減っていくルールの中で僕たちは競技をしている。サッカーのように時限性があるのだ。

「いつか死ぬ」は学校で教わらなかったとしても知らないひとはいない。

少し前に屋久島を訪れた。そこで軽く死にかける体験をしたのだが、思えばあれから死に対する実感が変わってきた。

解散というイベントもそれに拍車をかけた。「終わりを迎えることで、一つの完成を成し遂げる」という流れは万物に共通するのだと、骨身に沁みた。

肉体をもってここに存在していることのあまりの短さにアレコレと思う。誤解を恐れずに言えば、いい意味で「どうせ死ぬからいいや」と考えてばかりだ。

すると失敗に対して大きく落胆しなくなり、自分のことも大事になってきた。

機会を失う方が損失だし、気だるいのも疲れる。とりあえず死ぬまではこの身体と心でやりくりしなければいけないのだ。

そうして小さい頃よりも「安定」と「安楽」に価値を見出さなくなってきたが、みんなそうなのだろうか。

「年をとると守りに入っちまうぜ」という伝説もある。しかし実際は逆ではなかろうか。

成人するとゲームの前半戦は終わろうとしていくし、脳に言うことを聞かせるだけの自制心も生まれてくる。

「それは君、家族が増えてくるとそうはいかないものなのだよ」という声も聞こえてきそうだが、本当にそうなのだろうか。

そのひとは家族の有無に関わらず、単純に「安定」と「安楽」に価値を見出しているだけじゃないだろうか。もちろんそれはそれでいい。

だけど僕らはちゃんといつか死ぬのだ。

死ぬ直前のひとの声をまとめた『the top five regrets of the dying』という本がある。

最も多いのが「もっと自分らしく生きれば良かった」だそうだ。

幼い頃は死ぬことばかり考えていたが、死のことを考える時間が増えたのは大人になったからだろうか。









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