親とかでも別

「自分のやっていること」を肯定してくれるひとばかりじゃない。「やろうとしていること」に関してはほとんどが反対される。

中には「自分自身のこと」を肯定してくれないひともいる。

「行動を否定しても、人格は否定してはいけない」とよく言われるが、言われるだけだし、理想論だ。現実という枠組みの中で人間をやっていると、人格なんてものはゴミクズ程度の価値でしかなく、バシバシ否定される。

「味方ばかりじゃないし、晴れの日ばかりではないぜ」という現実は辛くもあるが、慣れもする。慣れないとやっていけないし、晴れの日があるのもまた事実だ。LET IT BEなのだ。なるようになっていく。

否定的なひとたちも味方ではないけれど、全面的に「敵」ではない。ふつうに生きていたら「敵」なんて存在はいくつもない。

彼らは応援してくれなかったり、「できるわけがない」と言ってきたり、誰かのやることなすこと反対したりしてくる。

だけど、その程度なのだ。

わざわざ妨害してくることもないし、邪魔をするわけでもない。みんなそんなにヒマではない。

だから、ちょっと賛成してくれないぐらいでケンカすることもないのだと思うのだ。挑戦前だと否定の声は大きく聞こえるけど、蹴り返すほどでもない、と思う。

「言わせとけ」ぐらいでいいのだ。すべてのひとに賛成してもらって生きているひとなんていない。

進むひとたちはきっと「言わせとけ」を胸に携えて、逆風へと進んでいる。
「言わせとけ」を抱えながらひとの助言を頂戴して走っている。

強さが無いとひとの助言を受けとめすらできない。

ほぼ味方がいないのもこれまた人生だ。自分のすべてを受け入れてくれる人間なんてこの世に一人もいない。味方だって概ねは味方だが、親だろうが家族だろうが別の生命体だ。誰かを好きになってもその誰かには絶対になれない。

僕たちは寂しい。寂しくできているからこそ、本を読んだり歌を聴いたりするのだ。

その中で、誰かとたまに交わし合う言葉に温度感が宿ったりする。それぐらいで歩いていける。それぐらいには人間は強く造られている。


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