なんか良かったなを目指して

「バンドやる」と言ったら多くの方が好意的に受け取ってくれた。嬉しい。

こちとら「もうやらん」を「やっぱやる」にひっくり返した負い目もあるはあるのだ。ホッとした。やはり言論の非一致というのはストレスになるらしい。

でも、これは言い訳ではないのだが、「前はこう言ってたけど今は違う」は誰しもが噛みしめるものじゃないだろうか。

その位置、その地点、最新ベースで感じていることというのは常々変化する。環境が変われば変わるほど変化する。

嘘をついているとかではなくて、そのときは本当に「メジャーに行くぐらいなら野球を辞める」と思っていたはずなのだ。

組織の下のひとが上の立場のひとに対して「前と言ってることが違う!」と怒っているケースをよく見る。

ブレだ、嘘つきだ!と鬼の首を取ったように騒ぎたてているが、船長は波風の調子を都度判断して、進行方向や速度を決めているのだ。

一度他人に従ったり、属するだけでなく自分で決めて自分で生きてみるとよく分かる。

海では「このまま進もう」よりかは「変えないと死んじゃう」ってタイミングだらけなのだ。

バンドをおもくそやりまっていたときは絶賛しんどかった。「もうこれしかない!」と思ってやりまくっていたが、めちゃくちゃキツくて大変だった。

失敗や屈辱だって盛りだくさんだ。振り返ると無い穴に入りたくなるぐらいの気持ちにはなる。
こんなこと書くと布団被って引きこもりたくなる記憶が痛々しく蘇る。

でもキツめの思い出の酸味は、時と共にちゃんと中和される。
美化されるかは置いといて、だんだんと角がとれて柔らかくなり、飲み干しやすくなる。

そしてなんか少し、ほんの少しだけ良かったなと思えるようになる。

その「ほんの少し」を「これで良かったのだ」にするしかない。

生きたいように生きる!と決めたひともいる。誰かのために生きる!と決めたひともいる。

10年後に「これで良かったのだ」と納得できるなんて、こんなに淡く幸せなことはない。

人生の主原料は後悔と諦めじゃないか。

そのなかにたまに、本当にたまにだけど、ポタリと一滴、納得したものがある。そんな風にできている。

解散して僕がそのままバンドをしていたら、そういう歌は書けなかったように思うのだ。そんなことを感じすらしなかっただろう。

https://linkco.re/1y8mtCP5

ヒトという動物がヒトという動物の間に挟まって、『人間』という茶番をやるのだ。そこで「全部が全部楽しい!」なんてあるわけない。

後ろ向きではなく、「楽しい!」をいったん諦めた方がいい。

「楽しさ」って最強じゃなくても別にいいではないか。最高値を狙うから話がおかしくなる。「楽しい」なんてほぼ無い。

でも今がむちゃくちゃにキツくても大丈夫だ。「なんか良かったな」はやってくる。

そこ目がけて、今しか味わえない苦み、酸味、辛味のなかにあるちょっとした甘みに浸かればいい。味わい倒すのが正解だ。

だって「なんか良かったな」と思えた頃には、もうそれは二度と蘇ることがないのだから。

1/5の公演e+もあります。ちなみに入場順はe+の方が先です。


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takuro(juJoe)

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