両立しない選択肢のさばき方

いわゆる「矛盾」について昨日書いたのだが、矛盾というのは何気に意味合いが多い。

「『The.純粋』以外はすべて矛盾である」という考えだと余白が無くてしんどい。というより現実的ではない。

ではどれぐらいが矛盾と処理してもいい程度なのだろうか。
これは僕個人的な見解だが、「両立しない選択肢を抱えている状態」を「矛盾」として定義している。

しかし「AもやりながらBもやりたい」なんて実例は生きていたらボロボロ出てくる。
QOOLANDをやっていたときも、やりたいことは他にも沢山あった。だけど、それは現実問題できなかった。

ちなみに僕と一緒にバンドをやってきた人間は数多くいるが、その多くは辞めた。理由として一番多かったのは、恋人の影響によるものだった。

よくある「私と仕事どっちが大事なの!?」という恫喝に近いものだ。だが果敢にゴールを狙ったブラジルサッカー的ゴールイン夫婦のほとんどは離婚した。

珍しいことでもない。「Aも大事だけどBも大事」という問題は古今東西、存在する。文武両道もそうだし、長生きしたいけど老けたくないもそうだし、食いたいけど太りたくないもそうだし、大谷翔平の二刀流も同様だろう。

「なんとか両立させよう」というのはやはり難しい。というか甘いのだ。どっちつかずになる可能性が高い。

それでも「両立させる方法」はゼロではない。

芸人とボディビルダーだったり、絵本作家と芸人だったり、経営者とアスリートだったりと、成功例はゴロゴロ転がっている。

ただ、「それ相応のことをやるのだ」と思っていないとうまくいかないみたいだ。対立する要求を満たすことはイージーではない。
「低価格だけど高品質」なユニクロや「シンプルだけど個性的」なAppleの製品力も本質は同じだ。どちらも実現までに驚異的な情熱がいる。

この「矛盾」というのは「選択の狭間」とも言える。どっちも満たしたいけど、満たせないし選べないという極限状態だ。

しかしある程度、選択はバチっとしながら進まないといけない。話にならないからだ。ただ、ここでいう選択とは思考の選択ではなくて、行動の選択だ。行動は一種類しかできない。肉体が一つしかない以上仕方ないのだ。

でも「思考」は矛盾を矛盾のまま取り扱うことができる。人間の頭脳はそれぐらいのメモリが許されている。

「色々考えるとか集中できないわよ!」というひともいるかもしれないが、集中なんてそこまでいいものでもないと思うのだ。
次々と考えが飛んでしまう状態の方が、発想がジャンプして、いい結果を生んだりもする。「集中」が生む効果なんてそれほど大きくない。

大切なのは「頭の中では矛盾した道を同時に歩くことができる」ということだ。実際にAを歩いている瞬間に、Bのことへと考えを馳せることができる。
「今はできないけどいつかはできるかもしれない」と思考を止めない粘り強さこそが効果を生む。
矛盾するからと言って思考を切り離すのはもったいない。

「矛盾を活かす」と書くと大げさだが、こういう思考回路で僕は人間を続けてきた。むかしから「今は矛盾してるからできない。でもこの矛盾が未来永劫矛盾しているかは誰にも分からない」と常々思い続けてきた。

これからもテクノロジーの進化は止まらない。奇跡の出会いだってあるはずだ。
ならば何かしらブレイクスルーが起きて、矛盾が解き放たれて、対立するAとBを満たせるかもしれない。
そのとき、「Bのことを考えていたか、いなかったか」で成果が分かれる。

何度もこういった思いをした。

スマホ一個でここまでいろんな仕事ができる世の中が来るとは思わなかった。大阪に行きながらも、東京の仕事を進めることができる。

ここんとこ、「小説を書いてくれ」と頼まれたので書いている。四年近くブログを続けてきたが、ようやく他人から「お願いします」がもらえた。
本を作りながらCDを配りながらライブもして会社経営までやれている。それにしてもまだまだCもDもEもやりたいのだから、頭の中は矛盾だらけである。

ポコポコ人間を募集している。あんまりブラックじゃないので仕事を変えたい男や、働いてないので働きたい男を雇う。全部不問ではないけどまぁまぁ不問。幼卒不可。

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