あたらしい

何に夢中か

アッカーマンの『ゲーテとの対話』に「人は外からの事物に対する奴隷だ」というフレーズが出てくる。
その事物によって僕たちはつまらない人間にもなるし、クールなやつにも見えるのだとゲーテは言っている。

ドイツの大文豪が言うことはやはり違う。

たとえば『あしたのジョー』が大好きで、ジョーみたいになるために人生を捧げている僕は『あしたのジョー』の奴隷なワケだし、プロ野球観戦に熱中ばかりしているひとは、そのテレビの奴隷だと言える。

またあるひとは恋人に夢中で、恋人の日々の変化や一挙手一投足を気にしていて、まさしく恋人の奴隷だ。

大げさだけど、人間は何かの趣味や嗜好品、誰かの奴隷状態を維持していないと生きている実感がわかない神経質な生き物なのだ。でもそれはきっといいことだ。「奴隷」という言葉に潔癖にさえならなければ、夢中になれるものに取り組むというだけなのだから。

「奴隷は疲れますやん」と思いそうだが、たぶん疲れるのはお金と時間が無いときだ。ギリギリ感もなく、楽しんでいる状態なら疲れないはずだ。

きっと「人生という貴重な時間を何に捧げるかでそのひとの面白さが決まる」とゲーテは言っているのだろう。

「自分のことしか満たしませんよ」というのでは、やはりつまらない。

人間をやっていれば、自分のことだけで手いっぱいな時期はもちろんある。自分のことすら食わせられない季節もある。人生は三年ごとに春夏秋冬が訪れると雀鬼・桜井章一も言っている。冬がくれば、次は春がやってくるのだ。

どんな季節にいても、というのは難しいかもしれない。

だけど、せめて自分がいい時期にいるのなら、少しずつ「誰かのために」という時間を増やしていくと「面白いやつ」になれるのではないだろうか。

「他者に何をどう与えるか」でもまた一つ「そいつの面白さ」は練られていくのかなぁと思う。

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