離れたいならば
不思議と一緒にいてしまうひとがいる。
「そんなつもりはなかったのに、すっかり長い付き合いになってしまった」みたいなひとだ。
「離れたくない」と強く思ったひととは離れ離れになってしまうのに不思議なものだ。肌に合う肌に合わないという話なのだろうか。それともただの腐れ縁だろうか。
「相性」という言葉に集約するのは乱暴だが、どうやら「相性」は「好み」とは違う次元で動いているらしい。
様々なひとと出会い、学び別れ、その結果生きてきた。
「あの出会いが無ければ死んでいた」なんて出会いがらいくつかある。あのひともあのひとも命の恩人だ。破滅願望が強い人間にとって、優しくしてくれるひと、はその存在自体が神だ。
自分にとって「ただの知り合い」ぐらいのひとだったのに、「今や神!」のようなケースもある。
どんなレベルの親友も最初は赤の他人だ。親子や夫婦だって、「はじめまして」のタイミングでは「よく知らん人間」だ。
「存在」というのは成長が遅く、ある程度の期間を要する。
一年前はさして影響を受けなかった年下が急にハイレベルな哲学を展開してきて自分を越えてしまうことだってある。
逆にエネルギーが枯渇した年上に幻滅して離れたくなることだってある。
自分がそんな年下にもなり得るし、そんな年上にもなり得る。
もちろんインスパイアというものは、受け手の力量によるところが大きい。自分の変化も相まって、影響力は秒単位で変わる。
だから離れた方がいいタイミングでは離れた方がいい。接近した方がいいタイミングでは、接した方がいい。
「流れに身を任せるのがベストです」というやつだ。
執着せずに手放すことだ。より自然なカタチに変形していくのが人間関係におけるベストだ。
それが今のあらゆる苦しみを吹き飛ばすんじゃないかなぁと思う。
「痛み」なんて大体が不自然から来るものだ。
エネルギーはプラスとマイナスが綺麗に炸裂して生み出される。人間関係に当てはめると相性だ。
「なんだか炸裂しないなぁ」という感覚と「やべぇ炸裂しそう」という感覚を大事にしていくとうまくいく。
「イマの自分」なんて偶像でしかない。とりあえず連結してきたものに過ぎない。
流れるままにエネルギーに引き寄せられて、引き寄せていく。
それだけでわりとうまくいく。いるのはほんのちょいの勇気だけだ。
めんどければ離れて別れる。近づきたかったら近づく。そのときに発生するストレスにおける耐性ぐらいはほしいものである。
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