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「相手のために」私が輝く――笠原桃奈の勇気

PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS観てますか!僕は観てます!
元アンジュルムの笠原桃奈さんを応援しながら歯を食いしばって観てますよ。サバイバル番組ってこんなにつらいんだね……

アンジュルムを卒業してから1年数カ月振りに姿を現した笠原さんは、以前よりもパワーアップしたパフォーマンスと変わらない人柄でエネルギッシュに暴れまわってくれています。なんかあんまり分量(この言葉も最近覚えた)がないようですが、少ないながらも彼女の言動のひとつひとつがすごく輝いていて心動かされました。ファンが使いたくなる名言をもういくつも生み出していますからね。本当にすごい。

僕はアンジュルムと演劇についてのnoteを何本かアップしているんですが、今回も演劇の視点から笠原さんの言動のすごさについて解説を試みようと思います。


最初に結論

長々と論じる前に、一言で彼女のすごさをまとめてしまおうと思います。
なにがすごいって、「私」のことばっかり考えてしまうオーディションという場で「相手のために」行動し続ける笠原さんの勇気がすごすぎる!ということです。
パフォーマンスにおいて「相手のために」という概念がとても大切なんですが、笠原さんは常に相手のために行動しているように見えるのです。この「相手」というのは共演者であり、お客さんであり、自分以外の「他者」すべてを指しています。
番組の最初の方、練習生内での順位が発表されたときにインタビューで「悔しいです!率直に」と発言していたので、ああ自分の8位という順位が悔しいんだなあと思っていたらその直後に「(チームメイトの)心ちゃんの上にそんな半数以上いるなんて思えないし…」と言っていて52位だった加藤心さんの話だったのかと驚きましたし、他にも「あなたのためのステージだよ」と声をかけていたり加藤さんのためにパフォーマンスしている姿が印象的でした。

こういうお客さんのための声掛けも素晴らしいと思います。こういった些細なことにも「相手のために」の精神が表れています。

「相手のために」とは

相手の表現が自分の表現を決める

「相手のために」とはどういうことでしょうか。例えば、以下のようなセリフがあったとします。

A「いまさらそんな話むしかえしたってしょうがないだろう。もうやめよう」
B「ふざけんな!」
A「…怒鳴るなよ」

このケンカのシーンでBの俳優が演技プランを考えます。「よし、自分の役の感情の流れとして、ここは抑えた感じで静かにセリフを言おう」と決めて「…ふざけんな……!」と押し殺したような怒りの表現をしたとしましょう。すると次のAのセリフはどうなるでしょうか。Bが怒鳴ってくれないと「怒鳴るなよ」が言えなくなってしまうし、無理やり言ったとしてもそのセリフは嘘になってしまいます。これでは到底良い芝居とはいえません。
自分がどう演じたいかで表現を決めるのではなく、相手の演技を活かすためにはどうすればいいかと考えることで自分の演技が決まるのです。

※ただし「ここは抑えた演技をしないとそのあとが繋がらない」とか、どうしても相手に負担をかけてしまう表現になりそうな場合は、台本を修正するなど別の方法を模索していくこともあります。

舞台芸術一般において絶対になくてはならない3要素が①演者、②観客、③空間、だと言われています。観客つまり他者が必ず存在することが舞台芸術の特殊性であり、他者からの影響を受けなければそれは死んだ表現になってしまいます。(たとえば映画なら観る人が誰もいなくても映画という作品は完成しています。しかし演劇はお客さんがだれもいなければそれはただの稽古です。)
他者から影響を受け、他者に影響を与える「相手のために」という要素が舞台表現の根幹といえます。

周りが主役をつくる

こういった話をすると「ああ自分を殺して抑えればいいのね」と理解されてしまうこともありますが大きく違います。
ヒーロー物をイメージするとわかりやすいのですが、悪役の俳優が「相手(ヒーロー)のために」自分を弱く見せる演技をしたとしましょう。それでもヒーローが際立つかもしれませんが、全体の緊張感は薄れてしまうと思います。やはりヒーローがもっとも際立つのは強大な悪役を倒したときですよね。つまりこの場合は、悪役として強く大きく輝くことが「相手にために」なります。私が目立つことが「相手のために」なることもあるのです。
みんなが全体のことを考えて、出るべきところは出て引くべきところは引く。みんながみんなを主役にし合う……それがもっとも魅力的な表現だと思います。
……さあみなさん、なにか思い出しませんか?僕はAWAKEのパフォーマンスはまさにこれだと思っています。

相手のために動く勇気

番組をご覧の方は十分ご存じだと思いますが、笠原さんは常に共演者のために行動して発言し続けています。そのあたりは「Yes,and」の精神が根幹になっているんですが「Yes,and」については過去noteにまとめてありますのでそちらをご参照ください。

「まず私がやる」難しさ

アンジュルムにいたときは「Yes,and」だったり「相手のために」という精神がグループで(無意識に)共有されていたと思います。なんなら先輩たちから笠原さんに伝えられた文化なのでアンジュルム内でそういった行動をとることは難しくはありません(いや難しいんだけどね!もう根付いているという意味ではやりやすい)
ただ、そこから一歩飛び出した外の世界で実践していくのは本当に難しい。「Yes,and」や「相手のために」は自分だけがやっても意味がなく、チーム内でお互いに支え合うことが前提になっています。誰も返してくれないのに自分だけ相手のために行動し続けていたら干からびてしまいます。
とはいえ、誰かが始めなければなりません。相手からお返しがもらえないことを恐れてとどまっていてはいつまでたってもチームとしての素晴らしいパフォーマンスができません。最初は伝わらないことを前提として「相手のために」行動し続ける。そのうちそれを受け取った仲間が「相手のために」行動し始める。そうやって少しずつチームとして成熟していくのですが、この最初の一歩には本当に勇気が必要です。
だから笠原さんがアンジュルムを離れて初めて会う「仲間」たちとのなかでアンジュルムの精神を実行していることに心から感動して、その勇気に尊敬の念が絶えないのです。

勇気を持つ体感覚

笠原さんが持っているもっとも素晴らしいものはこの勇気だと思っています。自分が培ってきた経験や常識が伝わらないかもしれない場所において、勇気をもって一歩を踏み出す。そして他者からの影響を受けて自分も変わっていく……これはアイドルやステージパフォーマンスだけのことではなく、たとえば転職したり、進学したり、新しい環境に身を置く経験をした方ならその怖さ、難しさを理解できると思います。

この勇気は笠原さんがもともと持っていたものではなく、アンジュルムでの経験によって生み出され支えられているものだと思います。

正直今は寂しくて、本当はとても不安で、夜一人になると、
自分一人にどれほどの価値があるのかなって思う瞬間だってあるのです。

だけど、仲間と呼べる仲間と出会って、いつ何時も私が思うのは、
きっと、出逢えるというのはすべての人に平等には訪れないんだろうなということ。
このあたたかさを、優しさを知っている私は私を、特別だと思えます。

言葉にせずともお互いに伝わる愛情が、私の世界に在ることを教えてくれた、あなたをやっぱり愛しています。
離れ離れになっても、どこにいても、この先どう生きようとアンジュルムのことが大好き。
アンジュルムを好きな人たちのことが、大好きです。

笠原桃奈 卒業メッセージより抜粋

卒業メッセージからわかるとおり、笠原さんは「自分が自分にとって特別である」ことを理解しています。私はいつだって私にとって特別である、と体感覚で理解しているからこそ、未知の世界に飛び出して行っても恐れながら勇気をもって一歩踏み出していけるのではないでしょうか。

ここで「体感覚」という言葉を使ったのは「体で理解している」ということと「感覚で理解している」ことには大きな隔たりがあるためです。
ここでもう一人「相手のために」行動した練習生・櫻井美羽さんについて書いてみたいと思います。

相手チームといっしょに練習した櫻井さん

櫻井さんはシグナルソングのセンターであり、過去のサバイバル番組にも出演されていて注目度が高い方です。クールな外見ですが、なんか面白い人っぽさもあって魅力的です。

(後半ずっとマスカット食ってる……)

そんな櫻井さんがグループバトルにおいて、同じ曲をパフォーマンスする対戦相手といっしょにダンスレッスンしている姿が放送されました。これはまさに「相手のために」行動しているといえます。だってサバイバル番組なんだから、自分がデビューすることだけ考えるなら相手にダンスを教えるなんて意味ないじゃないですか。相手をレベルアップさせてどうする。でも櫻井さんはそれじゃダメだということをわかっているんだと思います。
しかしそれと同時に、自分のチーム内での振る舞いや立ち位置に悩み苦しむ様子も見られました。デビューしてグループとして活動したことがない櫻井さんはチームとしてどう動けばいいのかまだわかっていない、というニュアンスで放送されていたように思います。でもそうは思えないんですよね。だって相手チームといっしょに練習して「相手のために」行動していたじゃないですか。たぶん櫻井さんはチーム内で相手のために行動しなきゃいけないことがわかっている。感覚ではわかっているけどどう動けばいいのかがわからないんじゃないかと感じました。
「Yes,and」や「相手のために」を感覚でなんとなくわかっている方は多くいると思います。でも感覚だけだと行動に移すことが難しいのです。でも笠原さんのように「体でわかっている」場合は思考よりも先に行動することができます。ここが素晴らしい強みだと思うのです。
当たり前ですが、これは優劣の話ではありません。笠原さんは体感覚として身につける経験があって、櫻井さんには残念ながらまだ時が来てないということです。だからこそ僕は櫻井さんを応援しています。笠原さんといっしょに絶対デビューしてほしい。二人がお互いのことを支え合って高め合いながら世界に羽ばたいていく様子をどうしても見たいのです。

サバイバルの荒野で

舞台表現に限らず、世の中のほとんどのものは勝負であり協力プレイであると思っています。スポーツだって勝つために何をしてもいいわけではなく、良い試合をするためには両チームの協力が必要だし、そのうえで勝ち負けがつくのです。勝負であり協力プレイである、という一見矛盾した状態こそ最高のパフォーマンスを発揮する理想的な状態です。
日プ女子もそうで、練習生のみなさんはデビューをかけて戦う敵同士といえます。だからいがみ合えばいいというわけではなく、競い合いながらも協力しながらお互いを高め合い、矛盾した環境のなかで成長していくんだと思います。
もうひとつ、常にカメラで撮られていて評価される、ということも大きな葛藤になるでしょう。自分の本心から出た素直な行動であったとしても、カメラを通すとお客さんの目には違う形で伝わってしまうかもしれない。さらにいえば自分の本心すら疑ってしまいそうです。たとえば誰かを助けようとするとき。自分の本心であったとしても「自分は点数稼ぎのために良いことをしようとしているんじゃないか?」と自分のなかに疑念と葛藤が生まれてしまうのではないでしょうか。

矛盾と葛藤のなかで表現することを強いるサバイバル番組は本当に残酷だと思います。批判したいのではありません。その残酷さが面白みにつながることは否定のしようがないし、僕自身、ハラハラしながら毎週観てしまっています。笠原さんはもちろんのこと、サバイバル番組という荒野に一歩を踏み出し夢をつかもうとする練習生のみなさんの勇気には頭があがりません。
最後まで残れたとしても、途中で脱落してしまったとしても、この荒野で出会った仲間たちとそこで踏み出した勇気の一歩を誇りに思ってほしいと思います。
そしてその勇気と誇りの体感覚を「すでに持っている」笠原さんが「相手のために」行動することで、画面のなかの荒野を飛び出し我々視聴者にも影響を与えてくれるはずです。笠原さんの振る舞いに「なんなんだこの子!?」って思ってくれた方はたくさんいるんじゃないでしょうか。そうやって画面の内側と外側で世界を少しずつ変えていってくれる笠原さんの一助に僕もなりたいと思っています。というわけで目をそらさずに最後まで投票するぞ!(つらいけど)


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