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#日プ女子 お気持ち表明④【トレーナー批判と権力勾配】

さて今日は日プ女子のトレーナーと権力勾配について書いていきます。主に仲宗根梨乃さんとYUMEKIさんの指導法についての批判です。

まずは注意書き。今回の批判はあくまで指導法の一部についての批判です。当たり前の話ですが、トレーナー陣の練習生への愛と献身を疑うものではありません。前回の記事で触れた二分化された思考をお持ちの方は批判=全否定だと勘違いしやすいと思いますので念のため。
また、我々が知りえるのは放送に載った部分のみです。裏でどんな指導やフォローをしているのか窺い知ることはできません。そこを加味したうえでそれでも書いておいた方がいいと思われる部分について記事にしています。

【仲宗根梨乃】トレーナーはお悩み解決マシーンではない

一番言いたいことはこれです。仲宗根先生はよく練習生の悩みを聴き、その悩みを解消してあげていました。エンタメとしては感動的でいいのかもしれませんが、僕は大問題だと思います。

まず#4 part1「Hype Boy」レッスンにおいて思い悩む田中優希さんに対しての指導を抜き出します。

田中「なんでこんなにできないんだろうって気持ち。マイナス多めな気持ちと、希望も持っている気持ち」
仲宗根「なんでマイナスなのか知ってるでしょ?」
田中「……」
仲宗根「できるからだよ」
田中「(泣きながら頷く)」

仲宗根先生はなぜ答えを知っていたのでしょうか?すごい人だから?経験豊富だからでしょうか?そうは思いません。

舞台に立つと心の裡がすべて表れてしまうことがあります。僕も演出をしているときに演者の気持ちが手に取るようにわかる瞬間があります。しかし、それは錯覚なんです。
結局、他者の気持ちなんてわからないのです。絶対に観測できないんだからわかったような気になっているだけか、または自分の経験から照らし合わせるとこうなんじゃないかと推測することしかできません。この「他者の気持ちは絶対にわからない」という地点に立脚していないと指導は危うくなります。

悩みというものは本人が解決していくものです。他者から答えを与えられてしまっては解決したことにならない。上記の場合、仲宗根先生は本人の言葉を待つことなく答えを与えてしまっている。それが本当に田中さんにとっての答えなのかわからないのに、答えらしきものをそれらしい雰囲気で語っています。これでは田中さんは「ああそれが答えだったのか」と錯覚してしまうかもしれません。もう一度書きますが、本当の悩みの種や気持ちは本人にしかわからないのに、他者から答えらしきものを与えてしまうとそれが答えだと思い込んでしまう。結局、微妙な機微やあやふやな気持ちを仲宗根先生の答えという一色で塗りつぶしてしまうことになります。

#4 Part5「Body & Soul」の櫻井美羽さんに対しても同じようなことがあります。仲宗根先生に櫻井さんが相談するところから抜き出します。

櫻井「周りの子には私あんまりいないタイプなんだなって思って。チームワークを乱してしまうんじゃないかなって…」
仲宗根「まだね 怖がってんだよね 美羽ちゃんは。違うことする自分への挑戦に対して怖がってるんだと思うんだけど。そことちゃんと向き合おう」

怖がっていることが当たっていたんだとしても、それは櫻井さん本人が気づき見つけるべきです。なぜ答えを与えてしまうのか。

これが対等な関係であればいいんです。仲宗根先生と対等に話せる相手であるなら「いやそうじゃないんだけど」と言い返すこともできるでしょう。でもトレーナーと練習生という強い権力勾配がある関係性において、トレーナーに言われたことは絶対になってしまう。権力勾配の上に立つ者は、下にいる者が反論しづらいことに自覚的であるべきです。
改めて書きますが、僕は仲宗根先生の技量と人格を疑っているわけではありません。その点は明確に書いておきます。あれだけ練習生に慕われているんだから素晴らしい人であることは間違いないでしょう。それに日プ女子はエンターテイメントなのでそこは差し引いて考えなければなりません。仲宗根先生も制約が多く時間が足りないなかでの指導であることは想像に難くありません。できる最善をしていたことは間違いないと思います。それを了解した上で批判しています。

仲宗根先生にはもうひとつ気になるところがあります。ファイナル直前スペシャル Part2で練習生からの仲宗根先生のエピソードとして
「すごくためになるんですけど、一番大切なところを英語でおっしゃられていて、正直内容をほとんど理解できておらず、わかったふりをしています」
と語られました。番組中では仲宗根先生の面白エピソードとして紹介されていて、練習生も笑っているし仲宗根先生も「ごめん!」と全力で謝っていたんですが、僕は笑えませんでした。相手に本当に伝えようと思ったらそうはならないはずでしょう。仲宗根先生はパッションの人だから、で片付けていい問題ではないと思います。「先生、言っている意味がわかりません」と言えない空間と関係性であったことが大きな問題です。

【YUMEKI】指導という名のドーピング

YUMEKIさんは練習生のなかから「怖い」という声がきこえたトレーナーだと思います。実際、練習生たちの指導中は下から伺うように鋭い視線を向けていました。まあ後半では練習生たちがその様子をマネして楽しんでいたので、YUMEKIさんも素晴らしい人柄であることは間違いないでしょう。そこはまったく疑っていません。
でも僕は疑問なのです。なぜ「怖い」と言われる雰囲気で指導するんでしょうか? 何の必要があって、なぜああいう表現になっているのか。特に僕が問題視しているのはため息です。良くないパフォーマンスを観た後、YUMEKIさんはよくため息をついていました。あれはどういう意味の行動なのか。
どういう意味も何も、自分が感じたことを素直に表現しているだけなのかもしれません。しかしそれではダメです。前述したとおり練習生とトレーナーには権力勾配があります。下にいる者は権力勾配の上に立つ者の一挙手一投足に影響を受けます。

友人の演出家が舞台のオーディションの審査員をやった時の話があります。友人は審査員として参加者の演技を見ていたんですが、最初の参加者が入ってきたときに誤って鉛筆を手からコロンと転がしてしまったそうです。参加者はその鉛筆に一瞬気を取られ、顔が強張ったそうです。たしかに自分がその参加者だったら不安になるでしょう。自分が入ったとたんに審査員が鉛筆を転がしたら「自分は問題外なのかな」と思ってしまっても無理はありません。
だから友人は、その次の人から全員、入ってきたときに鉛筆を転がしたそうです。そうしないとフェアじゃないと思ったんだそうです。
これは笑い話のように聞こえるかもしれませんが、素晴らしいフェアネスだと思います。自分が権力勾配の上に立っていて強い影響力を持っていることを自覚しているからこその行動です。

また、映画監督の深田晃司さんのハラスメントに対するステートメントを引用します。

全文読んでほしいのですが、ここでは一部引用します。

(中略)もちろん指導は必要です。それがどこから「罵倒」「威圧」になるのか、線引きは曖昧ですが、その曖昧さを逃げ道にせず、常に相手の心を傷つける可能性を意識します。もし傷つけてしまったときはまずは謝罪し、傷つけた相手の回復のために何ができるかを考えます。
(中略)
映画のクオリティを上記の行動の言い訳にしません。仮にそれによって映画のクオリティが上がったとしても、それらはドーピングによって得られた結果と同様のものと考えます。

僕はこの考え方に同意します。
スポーツでは薬物を使ったドーピングが厳しく制限されています。能力を向上させる引き換えに身体に大きな負担をかけ、時には取り返しのつかない結果を生むからです。
心においてもドーピングがあると思います。創作の現場において、強い口調で𠮟責し緊張感を高めることで良い作品ができることがあります。僕はこれを否定できません。そういう現場に当たったこともあるし、恥ずべきことですが僕がそういう手法を使ってしまったこともあります。でもこれはドーピングです。その瞬間は良い作品を作る手助けになるかもしれませんが、長い目で見れば演者の心に傷を負わせ、深刻な状況に追い込んでしまう手法だと思います。スポーツ同様、規制されるべきものです。

だいぶ話が回りくどくなってしまいましたが、YUMEKIさんの指導法はハラスメントと呼べるものではないと思います。声を荒げたわけでもないし、相手を思いやって指導していると思います。でもそれならばなぜ。なぜもう一歩あゆみ寄らないのか。練習生に「怖い」と思われるような態度をとってしまうのか理解に苦しみます。もし無意識にそうなってしまっているのならトレーナーとして、表現者として自分をコントロールしてほしいと思いますし、意図してそういう態度をとっているのならばドーピング以外の方法を選んでほしいと思います。

多重の権力勾配

権力勾配は多重に折り重なっているものです。練習生とトレーナーという二者であればトレーナーが上にいるでしょう。でも番組プロデューサーとトレーナーではどうなるでしょうか。どういう力関係で番組が作られているのかわかりませんが、例えば番組プロデューサーから「絵になるような指導をしてほしい」と頼まれていた場合、トレーナーが権力勾配の下にいたらそれを断ることは難しいと思います。とはいえ、もしそうだった場合、そのしわ寄せを食うのはさらに下にいる練習生たちなので「トレーナー」という肩書を得た以上は練習生に対する責任を負ってもらいます。

権力勾配の上に立つ者ほど強い批判の風を浴びなければならないはずです。そして、それがお気持ち表明①【序章】でスタッフロールを書き写した意味です。
練習生とトレーナーは顔も名前も出して出演しています。それだけのリスクを負っている。ではもっとも権力勾配の上に立っているだろう(本当の)プロデューサーは? しっかりと批判の風に晒されて、その批判を受け止めているんでしょうか。
そして、国民プロデューサーはその権力勾配のどこにいるんでしょうか。名前も顔も出さず責任も負わずに投票権(力)だけ与えられた我々はどこに立っているのでしょう。

二分化された思考を持つ人は権力勾配に敏感です。自分より上にいると思えば無批判に信じ込み、下にいると思えば遠慮なく叩き潰す。そして権力勾配の高低をそのまま人間の価値の高低だと思い込む。
仲宗根先生のキャラをマネしたり、YUMEKI先生の笑顔のギャップにやられたり、キャラとして消費するのは自由です。でも画面のなかにいるのは自分となんら変わらない人間であり、すべての人は対等です。トレーナーだから間違いを犯さないということはなく、練習生だから叩かれて当然ということもない。そして本当に残念だけど、愚痴垢や匿名で誹謗中傷するような人ですら対等なんです。僕の考えでは愚痴垢とは対等であることに耐えられない人たちなんじゃないかと思っています。愚痴垢は練習生を貶めているように見えて、本当に貶めたいの自分自身なんだと思います。最低になってしまった方が楽だから。この辺の話は書ければまた別の記事でまとめたいと思っています。
人はみんな対等です。対等ではあるけど、立ち位置が違う。対等であることを認めつつ、自分が権力勾配のどこに立っているのかも意識し、濫用する者にはしかるべき注意や制裁を与える。それが目指すべき場所なのではないでしょうか。

最後に、笠原桃奈さんがロールモデルとする和田彩花さんのインタビューを引用して終わります。

「誰かのためのアイドル像はわかりやすいですよね。ファンの方々のために、元気や勇気を与える。でも私はこの関係性にずっと疑問を持っていました。アイドルが『与えて』、ファンが『求める』という構図が上下関係にみえてしまったんです。『与える』は言葉としても上から目線ですよね? 私はファンの方々と対等でありたい。ファンの方と一緒に生きて、自分が心地いいと感じる関係性で、アイドルでありたいんです」

選択肢を増やしたい。和田彩花「アイドル宣言」の真意 #30UNDER30 より


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