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アポロとJPL、アルテミスで演じる役

1969年7月20日。アポロ11号が月面に着陸し、ニール・アームストロングが人類で初めて月の地に降り立ちました。今年はそれからちょうど50年の記念すべき年です。ここNASA/JPLがあるパサデナでもアポロの偉業を祝うイベントが催されています。

しかしながら、JPLをご存知の方は「JPLってロボットを使った探査が専門でしょ?宇宙飛行士関係ないじゃん。アポロのとき仕事してたのかな?まさか休暇だったんじゃ…」と思われているかもしれません。

このnoteでは、普段あまり語られることのないアポロとJPLの関係性、ニール・アームストロングが月に立ったとき、JPLのエンジニアやサイエンティストは何をしていて、何を考えていたのか?そして現在NASAが進めている月探査計画「アルテミス」にはどのように関わっていくのか、をお話ししたいと思います。

ジェット推進研究所(JPL)はNASA の中でも無人宇宙探査ミッションを担当していて、太陽系のすべての惑星に探査機を送り込んだ世界唯一の研究機関です。代表的な探査機には現在も火星で探査を続けているローバーのキュリオシティや星間空間に到達した人類初の人工物であるボイジャーなどがあります。

ピーナッツの力

当時、アポロ計画で月に人を送るのに先立って、ロボットを月に送ることで技術を実証し、着陸地を偵察することが試みられました。その役割を担ったのがJPLです。1959年、その試みはロボットを月に向かわせてハードランディング(衝突)させる「レンジャー計画」からスタートしました。しかし、プロジェクトは難航します。6号機まで月に到達できたものは、一つとしてなかったのです。

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レンジャー1号:ロケットの不具合で軌道投入に失敗

失敗が続き暗い雰囲気の管制室。ここで当時のプロジェクトマネージャーがメンバーの緊張をほぐす為に「ピーナッツでも食べながら気楽にやろう」と提案します。するとついに、レンジャー7号が地球周回軌道を離脱、月軌道に投入され、月面に衝突するまで画像を地球に送り続けることに成功したのです。1964年のことでした。7号の成功でリズムに乗ったレンジャー計画は9号までを立て続けに成功させ、計画は1965年に幕を閉じました。

このピーナッツのおかげでミッションが成功したのかどうかは定かではありませんが、この時から現在に至るまでJPLでは火星着陸や軌道投入などミッションの重要なイベントが起こるときにはこのラッキーピーナッツを食べる慣習があります。

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同僚のジェフとラッキーピーナッツ(重要なイベントがない時でも食べられます。)

月に人、沈まないよね?

当時の月面に対する大きな疑問の一つが「人間が着陸しても沈まないか?」というもので、これに答えるためにJPLが次に取り掛かったのは月面へのソフトランディング(ゆっくり降りる)技術の実証と地表を調査する「サーベイヤー計画」でした。

1966年から1968年にかけて行われた計画では、月面に送られたサーベイヤーの探査機7機のうち5機が軟着陸に成功、それぞれの探査機はテレビカメラを搭載し地表の詳細な画像を取得しました。さらに3号と7号にはロボットアームとサンプラーが搭載され、月面を掘削して調査しました。JPL内にあるミュージアムにはアポロ12号の宇宙飛行士が持ち還ってきたサーベイヤー3号のサンプラーのパーツが展示されています。

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サーベイヤー1号:搭載されたロケットエンジンで時速10000kmから5kmまで減速し月面着陸に成功

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アポロの宇宙飛行士が持ち還ったサーベイヤー3号のサンプラーのパーツ

実はサーベイヤー6号機とアポロ計画の間に、サーベイヤーに月面ローバーを載せて送ろうという計画があったらしいのですが、計画は中止され、行き先を失ったローバーはしばらくJPLの中をうろうろすることになりました。これが後の火星ローバーのプロトタイプになったとの言い伝えです。

アポロとの別れ

このようにしてJPLはアポロ計画に先駆けて、その行く道を切り拓いた立場にありました。しかしながらJPLはアポロ計画にそれ以上は深入りしようとしませんでした。なぜでしょうか?当時を知るJPL専属の歴史家はこう語ります。

“ロボットを使って月や惑星を探査するというJPLのスタイルは当時すでに確立されていたのさ。だからそれ以上にアポロ計画で存在感を出そうという動きは特になかったと思うね。“

つまりJPLはロボットを使った科学探査ミッションにしか参加しないというポリシーを貫き、アポロ計画そのものには参加しなかったことになります。アポロというグラマラスなミッションがすぐ目の前にあるにも関わらず、フラフラ惑わされたりせずに、自分たちのスタイルを守る姿勢は筋が通っていて僕は好きです。

ちなみに、映画「オデッセイ」でもマット・デイモン演じる宇宙飛行士のマーク・ワトニーが火星に一人取り残されているというのに、NASAからの支援要請があるまでJPLはいっさい動こうとはしませんでした……。映画の中でさえ、この姿勢は恐ろしいほどに徹底されています。

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映画「オデッセイ」で一人火星に取り残されて途方に暮れるマーク・ワトニー。

アルテミスで演じる役

では50年たった今NASAが進めている、月有人探査計画「アルテミス」ではJPLはどんな役割を演じるのでしょうか?

アルテミスとは2019年にNASAから発表された半世紀ぶりに宇宙飛行士を月面に着陸させる計画です。2024年までに8回の打ち上げを行い、月着陸と並行して、月周回軌道への小型宇宙ステーション「ゲートウェイ」の建設も行います。

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月有人探査計画「アルテミス」2024年の月面着陸を目指す。

トランプ政権からNASAの2020年度の予算要求が発表された今年の3月、JPLでも所長から職員へ「NASAが民間とともに進めている有人月探査周りの予算が5億ドルほどアップした。これにはJPLもローバーやロボットアームの開発で参加していくだろう。」との説明がありました。

僕個人としては、今後の月探査にJPLが関わる機会は、アポロ計画の頃に比べると増えるのではないかと考えています。なぜならアポロ計画では月面に人類を送り調査することが目的だったのに対して、アルテミス計画やその先のビジョンでは月面にインフラを築き、持続的な探査を行い、さらにそこから火星に人を送ることが目的であり、月面での作業量が圧倒的に多くなるからです。

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将来の月面探査のイメージ 
Forward to the Moon: NASA's Strategic Plan for Lunar Exploration より

この作業を宇宙飛行士がすべてやるわけにはいかないのでロボットの出番が必然的に増え、JPLの技術を生かす場面も増えるのでは、と予想しています。探査機の熱設計を担当するサーマルエンジニアとしては、2週間も続き温度も-180℃まで下がる月の夜を、各チームがどうやって攻略するのかも見ものです。この長く寒い夜を乗りきるのは無人探査機でも非常に厳しいもので「熱」を制する者が月を制すと言っても過言ではなく、今後も月面開発の動向から目が離せません。

Photo Credit: NASA


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この記事は、2019年7月15日付でJPL内部のニュースサイトに掲載された記事 The JPL Apollo Connection By Jane Platt を参考にしています。
この記事は、宇宙メルマガ 「THE VOYAGE」 2019年7月号に掲載された記事に加筆・修正したものです。

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