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宇宙に時間はあるのか

 ベテルギウスことオリオン座α星は、地球から約 640 光年離れている。

 つまり今夜空に見えるそれは、日本に室町幕府が誕生し、アジアに明やティムール帝国が興り、ヨーロッパでまだ天動説が信じられていた時代のそれだ。

 冬の大三角の一角をなすこの赤い星は、近々超新星爆発を起こすのではと言われている。近々といっても「天文学的近々」で、10 年後かもしれないし、10 万年後かもしれない。

 もしかしたら江戸時代にはもう爆発していて、その情報を「宇宙最速の飛脚」が 640 年かけて届けてくれる最中かもしれない。

 もしそうならば、すでに過去となった事象にもかかわらず、それを知る術がない僕らは、不思議な時代の狭間にいる。

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 夜空は過去だ。宇宙のあらゆる過去の天体現象を一度だけ上映するシアターだ。

 宇宙のあらゆる過去が僕らの現在を埋め尽くし、宇宙の現在は僕らのあらゆる未来を埋め尽くす。逆に、僕らの過去は宇宙のどこかで誰かの現在であり未来だ。宇宙では過去と現在と未来が錯綜する。

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本記事は宇宙メルマガ『THE VOYAGE』2019年1月号に掲載されたものの転載です。NASA JPLの同僚の小野雅裕の著書『宇宙に命はあるのか』へのオマージュとして「時間」をテーマに書いてみました。ちょっと哲学的です。転載許可はいただいてます。
※『THE VOYAGE』は、宇宙探査・宇宙開発の各方面で活躍する方々の寄稿が読める無料・ほぼ月刊のメルマガです。登録はこちら

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 では、時間とは何か。

 7歳の娘に「なんでじかんがあるの?」と聞かれたとき、僕は答えに詰まった。 この問いは簡単そうで、答えるのは存外難しい。物理学者も哲学者もずっと昔から議論してきた。

 哲学者アウグスティヌスは自伝『告白』の中で、「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」と語っている。1600 年が経過した今でも、僕はうんうんと頷いてしまった。 

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 1秒の定義はある。今でこそ、セシウム 133 原子を使って定義されているが、もともとは太陽の動きを基準として作られた。

 道具としての時間とは、太陽の動きのような周期的なものから世界共通のものさしを作り、そのものさしを別の変化するものにあてがって、理解や予測を得るためのものだ。

 ニュートンは、全宇宙に共通で一様の絶対時間が流れていると唱えた。誰がどこで何をしていようとも、絶対時計の針が示す真実の時刻というものがただひとつ存在する、と。

 アインシュタインは、時間が伸び縮みすると予言した。曰く、「速く動いている時計ほどゆっくり時を刻む」「強い重力を受けている時計ほどゆっくり時を刻む」と。つまり、観測者それぞれにとって時間は相対的なものである。

 スイスのどこかで、これを聞いた時計職人がぶっ倒れたそうだ。それもそうだろう。同じ時計が違う速度で時を刻むなど、にわかには信じがたい。

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 では、概念としての時間とは何か。

 いくつかの辞書を見てみると、「不可逆」「現象の経過」「前後関係」というキーワードが目に付く。

 つまり時間とは、原因→結果という因果律に沿って一方向にしか進まないもので、物理現象や化学反応が進行する方向が時間の進む方向だと言うことができそうだ。

 エントロピーという概念がある。熱力学的な定義はさておき、「物事の乱雑さ」と考えるといい。

 エントロピーは時間が進むにつれて必ず大きくなる。コーヒーにミルクを入れると混ざる一方だし、片付いた部屋も放っておくと散らかる一方だ。宇宙全体も、だんだんと無秩序な状態になり、もとの秩序に戻ることはない。

 この「エントロピーは時間とともに増大する」という法則は熱力学第二法則と呼ばれるが、僕はこの表現に違和感を覚える。

 なぜなら、エントロピーが増大する方向こそ、時間が進む方向だからだ。これは定義の再確認に過ぎない。

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 さて、時間というものが現象の経過を記述するために定義されるのであれば、たとえば月に時間はあるのだろうか。

 天体として地球の周りを回り、地球とともに太陽の周りを回り、太陽とともに天の川銀河の中を泳いではいるが、月をローカルに見れば極めて変化に乏しい世界だ。

 変化しない世界では、時間を考える意味がない。それこそ時間の無駄だ。

 現在はやぶさ2が探査している小惑星リュウグウや、オシリス・レックスが探査している小惑星ベンヌ。これらも、ローカルには、時が止まった世界と言っていい。ゆえに太陽系創成期の情報が保存されていると考えられているわけだ。

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 時間の進行は温度に関係するという見方もできる。一般に高温なほど現象の経過は速い。

 夏は食料品が腐りやすいことは誰でも知っている。冷凍庫は、人工的に凍結させることで腐敗を遅らせ、長期保存を可能にした。低温が時間の進行を遅らせることを利用した技術だ。

 ベテルギウスのような超巨大な恒星は、中心部がより高温高圧になり、核融合反応の進行が速いため、僕らの太陽よりも圧倒的に短命だ。

 一方、リュウグウやベンヌのような小惑星は、低温ゆえに太古の情報を冷凍保存してきた、いわばタイムカプセルだ。

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 遠い遠い未来に、宇宙のエントロピーが最大値に達したとき、時間はどうなってしまうのだろう。

 これは「熱的死」といって、宇宙のひとつの終焉の形として考えられている。宇宙の温度はどこもほぼ絶対零度になり、あらゆるものが平衡状態になって、人や星のような秩序立った構造はどこにも見当たらない。

 その時点で時間は止まってしまうのだろうか。

 少なくとも時間は意味を失ってしまうだろう。

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 時間は誰にとっても平等だ、というのは正確ではない。

 1日は誰にとっても 24 時間しかないが、人によって1日の価値や1日でできることは異なる。寿命が短い人にとって1日の価値は高いし、熱量が高い人や頭の回転が速い人は1日でできることが多い。

 そのどれが良い悪いというのではない。人は異なる。ただそれだけだ。

 人々に共通して進行する時間というのは、人間社会を運営していくのに便利な決めごとに過ぎない。同じ時間軸の上で比較し、優劣を決定する必要はない。優れて見える人は、人間がでっち上げた社会というシステムの中でたまたま上手に機能したにすぎない。

 だから「時間は誰にとっても平等だ」という思想には異なるものへの愛がない。

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 いつか人々が 100 歳よりも遥かに長い寿命を手に入れて、光速に近い速度で宇宙を移動できる時代が来ることを想像してほしい。その世界では、共通の時間という概念はもはや失われているだろう。

 優秀な誰かが何かすごいことを1年かけてやっている間に、あなたはあなただけが行ける世界に3年かけて行けばいい。

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