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LOG ENTRY: SOL 377

 財布がぼろぼろになってきた。お気に入りのトリコロールではあったが、しっかりしたつくりではなかったため、わずか2年でぼろぼろになった。

 一度は死んで、また復活してきた思い出などあるが(こちら「あとがき2」参照)、最近臨時収入が入ったので(SOL 366「ボイジャー賞」参照)ちょうどよい、ここらで新調しようと思い至った。

 しかし、ここはアメリカ。普段の生活でキャッシュを使うことなどほとんどない。ということは、もう従来の大きな財布は必要ないのではないか。

 携帯は必ず持ち歩く。車乗るし、年齢IDとして免許も必要。クレジットカードがあれば食事も買い物もできる。

 というわけで、スマホウォレットを購入↓↓↓うぇーい(✌՞ਊ ՞)✌

これ、こう見えて実はちゃんとしたCOACHの商品っていうね。NASAのロゴも現在の「ミートボール」ロゴではなく、伝説の「ワーム」ロゴ。

 ワームロゴは、アポロ後あたりから90年代初頭までの20年間使われていたロゴだ。現在のNASAのロゴはミートボールと呼ばれているが、実はミートボールはワームの前から使われていた。

 当時はどこのロゴも円の中に組織名を伝統的なフォントで書いて、周りを派手なイラストで囲ったものばかりだったそうだ。そんな中、ワームはとても未来的で、デザイン業界ではすこぶる評判が良かった。

 NASA内でも、ワームは若い職員に受けが良かったが、年配の職員には嫌われてしまい(ワームという名前ももともとは中傷的な意味で名付けられた)、結局18年ほどで元のミートボールに戻されてしまったのだった。

そのワームロゴのデザイナーRichard DanneがJPLを訪問。ワームにまつわるトークをユーモアたっぷりにしてくれた。注:視力検査ではない

ワームの使用方法を細かくデザインした伝説のグラフィックマニュアルを衝動買い。スペースシャトルからスタッフのユニフォームまで、ロゴを使用するすべてのものに、詳細な使用方法(位置や大きさなど)が指示してあり、デザイナーにとってバイブルとなっている。

 僕も一応、ロゴをデザインした経験がある。東大の航空宇宙工学科のロゴだ。当時僕は東大航空の学生だったが、僕がロゴデザインの依頼を受けたわけではなく、学内外から集まった34作品の中から、名前を伏せて投票を行い、選ばれた。

 その34作品の中には、当時東京藝大デザイン科に通っていた弟の作品もあり、最終3作品の中に、僕の作品と弟の作品が両方残っていたそう。最終投票で僕のロゴが勝ったのはちょっとした自慢だが、今振り返って、正直弟のデザインの方が未来的だったと思う。その後、弟は荒川区のロゴに選ばれている。

 今、東大航空のウェブサイトを見に行くと、僕のロゴはまだ使われているようだった笑。今のところ13年使われている。ワームの18年を超えることができるだろうか。

★彡

カッシーニの旅、終わる

 今回はやはりこの話をせざるを得まい。先日、土星探査機「カッシーニ」が20年のフライト、13年の土星系観測を終えて、土星の大気に溶けた。

 カッシーニの科学的功績は、JPL同僚の小野くんがいつものごとく(?)まとめてくれているので、そちらを参照されたい。僕もそこそこ宇宙ヲタクだが、小野のヲタクは頭一つ、いや二つ抜けている。

 この動画を見てほしい。もちろんこれはCGの想像図だが、こんなに美しい世界があるのかと息をのむ。

 僕は土星が一番好きだ。理由はふたつある。環っかがあることと、僕が土曜生まれだからだ(理由になってない)。他の惑星を描こうとしても、○だけでは何の絵かわからないのに、棒を一本引っ張るだけで∅、土星らしくなる。

 実は天王星も環があるし、木星や海王星も薄~い環があるのだが、土星ほど象徴的なものではないので、やっぱり環と言えば土星だ。

 そんな土星に生涯を捧げたカッシーニが、9月15日、土星大気に突入した。

 僕はのそのそと午前4時に起き、自宅でNASA TVを付けた。本当はJPLに行こうかと思ったが、カッシーニ関係者限定のイベントしか行われないようだったので、自宅で最期を見守ることに。

 午前4:50。各サブシステムにミッションステータスを確認してまわる作業。皆「nominal(正常)」と手短に答える。打ち上げのときや着陸のときなら見慣れた光景だけど、通信途絶前のそれは初めて見た。不思議な気持ち。

 いよいよカッシーニが土星大気に突入した。

 カッシーニが放つ最期の信号を見守る。心電図モニターのような画面が現れる。X帯とS帯の電波信号。まるで人の死を看取るかのようだ。やがて、中央の緑のピークが、まずXバンドの方で消え、ほどなくしてSバンドの方でも完全に消えた。

 土星は今、15億km彼方にある。光の速度で5000秒。つまり、カッシーニが土星の空に溶けても、カッシーニが放った最期の信号は83分間宇宙を飛び続けたことになる。僕らは、発信者がもうこの世に存在しない信号を受け続けたことになる。

 通信途絶が確認され、プロジェクトマネージャーが口を開いた。

「たったいま探査機からの信号が途絶えました。そして45秒以内には探査機自身も消えてしまうでしょう。皆がこの素晴らしい偉業を誇りに思っていることを願います。皆、おめでとう。これは最高のミッション、最高の探査機でした。君たちは最高のチームでした。これをもってミッションは終了します。」

 しめやかにミッション終了が宣言された。「しめやかに」という表現がふさわしいのかはわからないけれど、打ち上げや着陸に見る爆発的な歓喜とは明らかに質が違う。画面の中の人々は確かに、しめやかに讃えあい、しめやかに喜びあっていた。

 悲しいわけではない。嬉しいのとも違う。だけど、涙は溢れた。この、名前のない感情に、涙は溢れた。僕は、エンジニアとして、研究者として、人間として、カッシーニのように生き、カッシーニのように死にたいと思った。

★彡

 上で紹介した映像のラストの一節がたまらなくいい。

In the skies of Saturn, the journey ends,
as Cassini becomes part of the planet itself.

土星の空で、旅は終わります
カッシーニは惑星そのものの一部となるのです

カッシーニが終わるのではなく、旅が終わるのだと(☍﹏⁰)。
13年見続けてきた惑星と、ついにひとつになれるのだと。・゚・(ノД`)・゚・。

 これからは、火星大気圏突入で燃え尽きることを火葬、土星大気圏突入で燃え尽きることを土葬と呼ぶことにしよう。

おれが死んだら土葬でお願い。

★彡

我が家はロサンゼルス、弟家族は東京。最近、妹家族がニューヨークへ移り住み、今両親がスイスへ旅行中。我が一族はいまだかつてないほど散り散りに。
撮影:カッシーニ

★彡

エレメンタリースクール、始まる

 話は変わって、先月とうとう娘のエレメンタリー(小学校)が始まってしまった。以前紹介したイマージョンスクール(SOL 188「イマージョンスクール」参照)だ。公立の現地校でありながら、英語と日本語の二言語で50%ずつ授業が行われるのだ。

 送り迎えのシステムが面白い。車でドロップする場合、学校前の道路に車が列をなし、教師や上級生のボランティアが歩道に待っていて、後ろのドアを開けてくれ、児童たちが降りていく。親は車から降りず、速やかにその場を去る。そうして、少しでも渋滞を緩和しているのだ。

 ピックアップも同様に、児童は歩道に並んで待ち、車はダッシュボードの上に児童の名前を書いたプラカードを置いておき、教師が児童名を確認して、ハンドマイクで児童を呼び出し、先生が後ろのドアを開け、児童が乗り込み、車は速やかに去る。

★彡

 第3週目から早速宿題が出た。これからの15年だか20年の宿題人生の幕が切って落とされたのだ。宿題は毎週月曜に出て、金曜に提出というルールのようだ。週末を宿題から解放するための工夫だろうか。

 娘にとって人生最初の宿題は、自分の名前をアルファベットとひらがなで練習すること。6歳にもなれば、自分の名前くらい書けるようになっている子もいるが、娘のクラスは半分が日本語ネイティブ、半分が非日本語ネイティブなので、とりわけ後者にとって日本語で自分の名前を書くのはおそらく初めて。だから、このような初歩的な宿題からスタートするのだろう。

 宿題をちらっとのぞいてみると、最初の数回は、誘導するための点線が打ってある。ということは、先生は児童一人一人に個別に宿題用紙を作成したということになる。本当にご苦労様です<(_ _)>

★彡

 通い始めて2週間くらいの頃だろうか、妻が娘に英語の発音を直されるということが立て続けに起きたらしい。2週間でこれか。。

「1回目に正されたときは子どもの成長を感じ、にわかに嬉しかったのに、それが2回目となると、今後も折につけ正されていくのかと、ややゲンナリした」そうだ。

 しかし、妻は仕方がない。奴は四天王の中でも最弱。アメリカ歴も短いし、英語の環境に常に身を置いてきたわけでもない。

 ところが、子どもを2人育て上げたJPLの大先輩曰く、アメリカに10年以上いる僕でも年内もつかどうか、らしい。。まじか。。

だけどおれは負けないよ╭( `⌒´)و

★彡

 いずれにしても、娘が毎日楽しそうに学校に通っていて良かった。

 MIT時代、彼女をプリスクールに7ヵ月ほど通わせたことがあったが、ちょうど日本語をしゃべり始めた時期だったこともあって、100%英語の環境がどうも辛かったみたいだった。毎朝プリに着くと泣き出す娘。通過儀礼と分かっていても、泣く娘から逃げるようにしてドロップするのは、少し胸が痛んだ。

 だから、イマージョンの環境は、娘が当惑せず、自信を失わず、自分にも皆にもできることとできないことがあるから助け合うんだよ、という視点を持つのに良い。

★彡

 一方で、プリスクールに通い始めた二女は、完全な英語環境のプリなのに、そんなことお構いなしに、誰にでも日本語でガンガン話しかける。ハートが強い。その強さに、僕は救われている。

 二女の教室の壁には、子どもたちが描いた絵と、好きな食べ物や好きな遊びなどが先生の字で書かれた紙が貼ってある。が、二女の紙には、何も書かれていない。先生の英語の質問に全く答えられなかったからだ。何かそれが微笑ましかった。

 二女はお友達の名前なんか一人も正確に言えない。しかし、それでもお友達と楽しく過ごし、なんとなく通じ合っているのだからすごい。

 繊細な姉、大胆な妹。同じ屋根の下に育っても、こうも違うものなんだな。

★彡

娘たちの学校にお弁当が必要なので、ついでに僕も不定期で作ってもらっているのだが、ある日の弁当はまさかの白飯だけ?!と思ったら、水筒みたいな方にカレーが入っていた。斬新だった。

★★★彡

うちのセクションの秘書のデスクにはチェスが置いてあり、誰でも好きなときに一手指すことができる。指した人は白か黒のチームに名前を書く。僕はルールはわかるが、腕に覚えはないので、今のところ静観している。将棋やりたいけど、将棋盤置いといても誰も指さないだろうなぁ。。

★彡

魚は、コリアタウンのHマートの鮮魚コーナーが、鮮度・品揃えともロサンゼルス最強。ここを超えるとこがあれば教えてください。僕はここに来るたびに新鮮なサーモンを買って帰り、寿司を握っています。


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