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NASAとエイリアンの闘い

MITの科学者がNASAの火星計画を圧倒的大差で打ち負かすと主張する構想を発表》とは、2015年11月、米国版Yahoo!ニュースに掲載された、とある記事の見出しだ。

「MIT」とは米国ボストンにあるマサチューセッツ工科大学のことであり、「MITの科学者」とは僕のことなのであるが、僕はNASAを「圧倒的大差で打ち負かす」などとは一言も言っていない。メディア特有の煽り見出しだ。

エイリアン

 かくして僕の研究は、メディアによってNASAの計画と敵対する構図を描かれたのであるが、それはさておき、外国人である僕が長い間NASAの前に立ちはだかる幾重もの重い扉と闘ってきたことは事実だ。

 米国移民局の用語を借りれば、米国在住で米国籍を持たない者は「エイリアン」と分類される。辞書で「alien」を引けば、宇宙人以外に在留外国人という意味が載っているはずだ。

 ここまで読んで、タイトルの意味を察していただけただろうか。宇宙人の話を期待された方には申し訳ないが、これはNASAに挑んだエイリアン本人の随想である。

母校の同窓会が毎年発行している同窓会誌「菁莪」より、2018年号に掲載分として、自身の随想を書いてくれないかとご依頼を受け、あまり人に話したことのなかったMIT時代の舞台裏を綴る機会に恵まれたので、こちらにも(あえて図や写真など挿入せずに)転載したいと思います。※転載許可はいただいてます。

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無知で無計画な留学

 2006年、MITに留学した当初は、高校時代に見たハリウッド映画から「宇宙やるならNASA、NASAに行くならMIT」という短絡的な図式を刷り込まれた、無知で無計画な留学生だった。

 渡米後ほどなくして、NASAでは外国人は働けないことを知る。NASAの職員は公務員となるため、米国籍が必須なのである。今思えば、当時インターネットもとっくにあったはずなのに、NASAを目指す人間が、よくもまあそんなことも調べずに海を渡ったものだ。

 カバーレターに熱意をしたためて夏のインターンに申し込むも、案の定、定型文のお祈りメール(不採用通知)が来て、あっけなく門前払い。インターンくらいならば外国人にもチャンスはあるのではないか。と、楽観的に考えていたが、あちらの立場になってみれば、何の実績もコネもない、英語も不自由な外国人を採用する理由がない。面倒が増えるだけだ。

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一縷の望みは残された

 では、外国人がNASAの職員として働く方法は本当にないのか。幸いにも、ひとつだけ可能性があった。カリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるジェット推進研究所(JPL)だ。

 JPLだけは、その歴史的な経緯により、NASAの施設でありながら、外国人でも正規の職員として雇うことができる。一縷の望みは残されていた。

 ただし、国際武器取引規則と呼ばれる何やらおっかない名前の規則のために、永住権のない外国人は一切関与することを許されない案件が多く存在し、僕は自力で永住権を取得する必要があることを認識した。

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宇宙物流

 アメリカの大学院生の多くは、どこかの研究室でスポンサー付きの研究を行い、授業料を免除され月々の給料をもらえる、リサーチアシスタント(RA)と呼ばれるポジションに雇われる。

 僕は興味のある教授たちに片っ端からコンタクトしていったが、ことごとく無視か門前払いかたらい回し。僕のRA探しは難航した。

 留学して2年、ようやく僕は「宇宙物流」なる新しい学問を研究している教授にRAとして雇ってもらうことができた。僕の研究は、端的に言えば「人類を火星に送るのに、宇宙にガソリンスタンドは必要か」を問う研究だった。

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二足の草鞋

 ところが、当時NASAは予算削減や大量解雇の流れの中にあって、僕のRAは1年で終わることになった。僕は突然仕事を失った。年間400万円もの授業料を自腹で払えるわけはなく、僕はまたRA探しを再開し、別の教授の下で働くことになった。

 普通なら、RAとして行うスポンサー付きの研究をそのまま博士論文にするものなのだが、僕はどうしても宇宙ガソリンスタンドの研究を捨てられなかった。なぜなら、そのことを考えているときが一番楽しかったからだ。僕は、歩みは遅くとも、二足の草鞋を履いて、宇宙ガソリンスタンドの研究を続ける道を選んだ。

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チャンス到来

 留学して6年、博士課程にようやく終わりが見えてきた頃、JPLに就職活動をするチャンスが巡ってきた。

 永住権を持たないエイリアンはシステム上エントリーすらできないのは百も承知。僕は熱意だけでなく、研究経験と上達した英語力でカバーレターを書き、人事部に直接コンタクトし、「近々永住権を申請する予定で、卒業する頃には取得できているはず」と、永住権を「前借り」して、何とか採用プロセスにねじ込んでもらった。

 そして2か月後、僕は現地の最終面接を終え、確かに手応えを感じていた。この時点で僕は「もしかしたら永住権よりも先にジョブオファー(内定)をいただくこともあるかも」と楽観的にとらえてさえいた。僕は意気揚々とボストンへ戻った。

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結果は不採用

 ところがそれから3週間、何の音沙汰もなく、痺れを切らして返事を催促してみると、結果は不採用だった。セクションマネジャーは僕にこう告げた。

「残念ながら現時点で欠員はないが、君が永住権を取る頃には状況も変わっているかもしれない。また連絡を取り合おう」

 何とも微妙な言い方だ。自分で永住権を取ってくればオファーを出すよ、ということなのか、お決まりの断り文句でやんわりと落とされたのか。いずれにしても、現時点でオファーがないならば、僕にできることは、永住権を申請して待つよりない。

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永住権への挑戦

 博士課程を終え、幸いにも引き続き同じ研究室に博士研究員として雇ってもらうことになった僕は、永住権に挑戦することに決め、移民弁護士を雇った。

 ここでは詳細は割愛するが、全ての申請書類が整う頃には、1年の歳月と100万円近い費用がかかっていた。ここから永住権が認可されるまでに、さらに1年ほど要するだろう、というのが当時の弁護士の予想だった。

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宇宙にガソリンスタンドは必要か

 僕の博士研究員の仕事は宇宙とは全く無関係だった。僕は相変わらず二足の草鞋で「宇宙にガソリンスタンドは必要か」の研究も続けていた。結論は「必要」。それも、NASAの有人火星探査計画にかかる費用の約3分の1で行ける、というものだった。

 僕の構想は、月面の資源から燃料を作り、それを月の軌道上に配置した燃料貯蔵庫に運び、人類を乗せた宇宙船は直接火星を目指すのではなく、月の軌道上で燃料を補給して火星に向かうというもの。僕はこの研究を学術雑誌に投稿する準備を進めた。

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NASA最高技術責任者

 その頃、MITのある教授がNASAの最高技術責任者としてワシントンDCのNASA本部に出向していた。

 僕はその教授とちょっとした因縁があった。その教授とは、僕がMITに留学して一番最初に門を叩き、門前払いされたその人であり、博士論文の最終審査会で審査委員をお願いしていたのに別件で無断欠席されたその人であった。

 卒業式で僕が人前に出て紹介される晴れの舞台で、彼は目の前にいながら目を逸らしていた。彼は最初から最後まで僕と向き合ってくれなかった。

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8年分の氷解

 2014年の暮れ、その彼が休暇でボストンに戻ってくることがあり、僕の先生が彼に声を掛け、僕の研究の話を聞いてもらう時間を1時間取ってくれた。僕にとっては因縁の相手だっただけに正直戸惑ったが、NASAの最高技術責任者だ。研究の話をする相手として、これ以上の人はいない。

 僕は会議室の壁いっぱいに資料を投影し、全身全霊でプレゼンし、目一杯議論を交わし、1時間はあっという間に過ぎた。疲れ果てた僕は、8年分のわだかまりが氷解したような感覚になぜか涙があふれた。

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NASAラングレーとの闘い

 彼はその後、僕の論文を持ち帰り、僕の研究はNASA本部に出回った。中でも、有人探査局の局長が気に入ってくれたようで、同様の研究をしていたNASAラングレー研究所に「MITが3分の1の費用で火星に行けると言ってるぞ。すぐ調べろ」と検討要請を出したようだ。

 それからしばらく僕らMITとラングレーとのやりとりが始まった。ラングレーにしてみれば、どこの馬の骨ともわからない研究者にメンツを潰された格好で、NASAの威信にかけて、僕の研究を洗いざらい徹底的に調べ上げなければならない。僕の研究は厳しい目を向けられ、定例の電話会議では何度か険悪な場面もあった。

 同時進行で、僕は研究論文を学術雑誌に投稿していた。これは憶測の域を出ないが、おそらく査読者のひとりはラングレーの一派だろう、厳しい査読にかかった。こちらとしても、費用を3分の1にできるという計算はあくまでいくつか仮定を置いたうえでのひとつの数学的最適解でしかなく、現実には技術的・政治的・時間的問題が障壁となることなど百も承知だ。そのあたりの注意書きを至るところに加筆することで、最終的な妥協点を見出した形となった。

 僕の論文は約10か月に及ぶ査読をくぐり抜け、無事出版された。そのタイミングでMITの公式サイトのトップにも記事が掲載され、いくつかインタビューを受け、あらゆる言語で数百のネット記事が書かれた。NASAを圧倒的大差で打ち負かすと書かれた冒頭のYahoo!ニュースもそのひとつだ。

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運命は偶然でできてる

 この頃、ちょうどロサンゼルスに住む友人の結婚式に招待された。僕はこの偶然を利用する手を思い付いた。

 学生時代からのコネを使って、半ば強引にJPLで講演する機会を設け、火星プログラムの上層部にも声を掛けたのだ。

 JPLを訪れたのは3年前の最終面接以来。先述のとおり、NASAの火星計画に盾を突く研究だっただけに「敵陣」に乗り込む気分だった。

 意外にも、と言うべきか、講演はウケが良かった。これがもしラングレー研究所だったらば、針の筵だったかもしれない。

 講演後、上層部の方々とのランチで「近々永住権が認可されたら、もう一度採用を考えてほしい」と伝えた。2015年11月のことだった。

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エイリアン、永住権獲得

 2016年1月、ついに永住権が認可され、待望のグリーンカードが手元に届いた。準備に1年、認可に1年5か月。実に2年半もの歳月が、たった1枚のカードを手に入れるために費やされた。

 僕はすぐJPLにコンタクトした。時間はかかったが、僕は永住権を得て、もう一度JPLの門を叩いている。

 僕がメールを送った翌日、JPLのあるグループのマネジャーと電話で話すことになった。電話に出た彼は開口一番、僕にこう告げた。

「君に今すぐオファーを出す」

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エイリアン、NASAの一員となる

 3年前に一通り採用プロセスを経たこと、そして数か月前に講演したこともあって、採用プロセスは全てスキップするとのこと。予想もしない急展開で、僕の夢はあっけなく叶った。

 いや、決してあっけなくなんかなかった。高校時代に始まって、最初の10年漠然と心に抱き、次の10年本気で思い続けたNASA。インターンや就活で何度も突っぱねられてきたNASA。

 こんなにも長い間、片思いを続けてきた夢が、今まさに叶ったのだ。僕はこのオファーを承諾し、エイリアンはついにNASAの一員となった。

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NASAの新構想

 このほどNASAは、2020年代に月の軌道上に宇宙ステーションを建設し、深宇宙への有人探査の拠点とする新構想を発表した。これに、人類を火星に送る宇宙船が出入りする予定だ。

 火星を直接目指すと言っていたNASAが月にシフトしてきている。

 これには賛否両論ある。国際宇宙ステーションの建設で有人宇宙探査は40年以上足踏みしていた、という意見もあり、月の軌道にまたステーションを建設していては人類が火星の地を踏む日は遠のくばかりだ、と言う人々もいる。したがって、この新しい宇宙政策が吉と出るか凶と出るかはまだわからない。

 が、どこかのエイリアンの宇宙ガソリンスタンド構想が、幸か不幸か、NASAを新構想に踏み切らせたきっかけのひとつとなったことはおそらく間違いないだろう。エイリアンがNASAを動かしたのだ。

 そのエイリアンは今、NASAという巨大なピラミッド組織の末端の末端で、火星探査ローバーを設計している。



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