2017.2.26

ぼくはミーハーだから、売れているはやりの本を読んだ。
ユヴェル・ノア・ハラリのサピエンス全史。

うおぉう、むずかしい内容を非常にかんたんな言葉と、分かりやすい例示でまとめている。
そりゃこの人の本売れるわなぁという感想がまず第一にうかんだ。

簡単な内容はサピエンス(筆者は他の人類と区別するため、今社会に生きる人類をこう呼ぶ。まぁ「ヒト」と認識して良い)がこの地球上に産まれてから、どのように他の人類種を蹴散らし、そして狩猟採集を主に行っていたサピエンスはなぜ農耕民族へと変貌を遂げたのか。について書かれている。
そこで重要や役割をはたすのが、「想像上の秩序」というワードだ。
これは実体の存在しないルール、信仰、モラル、法律などなどをまとめたことばだ。

これがまぁ面白い。
今の人間の社会の基盤であり、かつ自らを動かす原動力である「想像上の秩序」の実態のなさ。これを筆者に指摘されるまでぼくはすっかり気づかなかった。
例えばわかりやすい例で言えば一万円札が挙げられる。
これが価値を持つのはみなが「1万円札は店頭で、または銀行で一万円札として価値を持つ」と信じているからだ。信用が一万円札を流通貨幣たらしめている。貨幣における信用の重要性は、世界史を学んだ人であれば知っているであろう。
「想像上の秩序」が猛威をふるうのは、もちろん経済だけではない。詳しくは本を読んで欲しい。こんなに鋭い視点を持つ人が世の中にはいるのだなぁとページをめくる度に思わされる。


この本の中では、筆者は社会の構成員はみな、実体のない「想像上の秩序」を信じ、それに「縛られている」ため、安心して社会の一員として生活できる。と述べている。

例えば、殺人は今日の日本で罪である。警察の手によって殺人犯は捕まり、その罪の程度によっては刑務官によって処刑される。
殺人犯は人を殺したことによって、殺される。殺人犯を殺す刑務官はもちろん殺されることはない。
何故か。法律でそう定められているから?少し違う。
法律という「想像上の秩序」にのっとって動く多くの人は、殺人犯を異端として認めず、刑務官を同胞として認めるからである。

このようにして実態のない「想像上の秩序」によって団結し集合体を作ることサピエンスは他の動物を圧倒することができた。
そしてサピエンスと他の動物の違う点は「想像上の秩序」を信じることが出来る点のみであると筆者は言うのだ。

なるほど、そのとおりだ。
人間はもちろん人間なんだけども、「動物」でもある。
このことを改めて認識しておかなければならない。人間なんてけっきょく、想像上の絆で団結することができるだけの動物にすぎない。
このことを強く認識していると今日多くみられる衝突(テロなどの大きなものだけでなく、職場学校でのいざこざなども含め)も正しく捉え、対処することが出来るようになるであろう。

けっきょく、ぼくもかばんちゃんも、おなじくヒト(サピエンス)という動物で、
だからどったんばったん大騒ぎもするし、 高らかに笑い合えばフレンズであり、
夢(これも想像上のものである)を語り合うことで、グレートジャーニーへのゲートが開かれるのである。すごーい。たーのしー。




追記
ミーハーなぼくはやはり流行り物ネタに逃げたが、
けものは居ても のけものは居ない
といまの僕達の社会を評価する訳にはいかない。

今のぼく達の社会の根幹となる、想像上の秩序。ではその秩序から見放された(と感じてしまった)人はどうなる?死んでもいい、どうでもいいと全てを諦めてしまった人はどうなるのだろう。

これらの全てを諦めてしまった人を2ch創設者のひろゆき氏は無敵の人と呼ぶ。

仲間が一人もいないから、失う財産も何もないから、ただ衝動に任せて暴力を振るうことのできる人を無敵と呼ぶのは本当に皮肉的だが、言い得て妙であると思う。
ぼくたち、想像上の秩序の住人はこういった無敵の人と敵対した場合、対抗しうる手段をもたない。僕らの攻撃手段はみな、相手も想像上の秩序の住人である前提で用意されているため(警察、法律などなど)無敵の人には効かないのだ。無敵の人に襲われそうになった場合、すぐさま助かるためには殺すしか無い。それはぼくたちも無敵の人と同じ土俵で戦うことを意味する。
想像上の秩序の住人のままで、無敵の人を追い払う方法はないのだ。

結局、のけものとなってしまう人の為にも、そしてぼくたちの安全のためにも、
のけものとなってしまうヒトを救うための
のけものをつくらない秩序づくりが重要であると

最近ぼくは考えている。

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