結果は全てであり全てでない

2022年11月23日深夜、日本列島が歓喜に沸いた。

Qatar World Cup2022 グループステージ第1節、
日本代表がドイツ代表に2-1で勝利したのである。

FIFA公式スタッツは以下の通り。

これを見るだけで試合展開を容易に想像できるであろう。

Optaによる分析では、
ドイツのゴール期待値=3.3
日本のゴール期待値=1.4
となっており、ドイツが決定機を悉く決め切ることが出来ず、一方で日本が多くないチャンスをモノにしたと言える。

だが、ここで展開したいのは勝利した要因や、選手の配置・立ち位置などといった戦術論ではない。
今回の日本の勝利をどのように捉えるべきかについて論じていきたい。

日本サッカーの目指すところ

日本サッカー協会(以下JFA)は「JFAの約束2050」と題し、2050年までのW杯優勝を掲げており、
また、それに向けた中期目標として「JFAの目標2030」として、2030年のW杯までにベスト4入りすることを公言している。

今回で22回目を迎えるW杯であるが、
その優勝国と回数の内訳は、

5回:ブラジル🇧🇷
4回:イタリア🇮🇹 ドイツ🇩🇪
2回:アルゼンチン🇦🇷 ウルグアイ🇺🇾 フランス🇫🇷
1回:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿 スペイン🇪🇸

となっており、見ての通り歴代優勝国は8カ国だけなのである。
オランダ🇳🇱 ポルトガル🇵🇹などといった国々でさえ、優勝経験は一度たりとも無い。

この名だたる強豪国の中に日本も加わろうというのだから、どれほど高い目標となっているか理解いただけたことだろう。

これを踏まえて日本サッカーの目指すところを言い換えると、
「欧州・南米の強豪国と“対等に”渡り合えるようになること」
ではないかと考える。

なぜなら、W杯で優勝するということは偶然性によって引き起こすことは不可能に近く、「強豪国に一泡吹かせてやろう」の精神でいるうちは“そっち側”に辿り着けないことを歴史が証明しているからである。


「結果が全て」の是非

では話を戻して、こうした観点からドイツ戦の勝利はどのように捉えるべきか。

私は必ずしも素晴らしいものであったとは思わない。

勘違いして欲しくないので述べておくと、「日本がドイツに勝利した」という事実が素晴らしい結果であることに異論は無い。

しかし、冒頭に示したスタッツを見る限り、私はあの勝利は偶然の産物であり、2発のラッキーパンチが炸裂したに過ぎないと考える。

「W杯なんて結果が全てだろ」
「スタッツで勝ち負けを決めるわけではない」

このような意見を多く目にする。
たしかに一部その通りである。
スタッツの良し悪しで勝敗は決しないし、何もかもかなぐり捨てて目の前の勝利を掴み取らねばならない試合も間違いなく存在する。

しかし、前述のように偶然でW杯を優勝することは出来ないのだ。
偶然の産物を正義としているうちは、到底JFAの目指すところに届きやしない。


テスト勉強や受験勉強を例に考えてみて欲しい。

本番で結果を出す為に、多くの人は計画を立てて勉強するであろう。
そして、“戦略”に基づいて培い身につけてきた力を以て、“戦術”を駆使して本番に臨むはずだ。

ある問題に対してどのような計画で勉強を進め、どのように対策を練り、本番はどのような時間配分でどのように解き進めていくのか。

そうした戦略・戦術が欠落した状態で本番に臨んで、本当に素晴らしい結果を得られるだろうか。

否。

今回の日本はまるで
“自分の実力以上の難題に対して手も足も出ず、鉛筆コロコロで解答したらたまたま正解してしまった受験生”
の姿そのものである。

その場凌ぎであればそれで構わないが、世界のトップという“結果”を目指すプロセスにおいて、それが通用するとは思えない。

スタッツとはプレーの質や再現性など、所謂“内容”を概ね反映したものであり、どのようなコンペティション・相手であってもこの“内容”を突き詰めていかないことには強豪国と対等に渡り合うことは難しいだろう。

したがって、真に力を身に付けJFAの掲げる目標を達成するためには、W杯という大舞台で強豪国を相手にしようとも、フットボールの質にもっと目を向けていくべきなのである。




“結果は全てであるが、全てでない”

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