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新規事業がmuracoになるまで。

みなさんこんにちは。muracoの村上です。既に4回目の記事になりますね。2回目の記事からfacebookやInstagramでも記事のシェアをしたところ、思いの外反応をいただき、アウトドア業界で共に切磋琢磨するメーカーの方々、卸先の販売店の方々、更には前職の上司(課長)の上司(部長)の上司(本部長)にまでご連絡をいただく事に相成り、当時は話をするのも緊張していたのですが、今では普通にfacebookのメッセンジャーアプリでやりとりをし、久しぶりにお会いできるという事態にまで発展し、大変光栄に感じております。

さて、前置きが長くなりましたが、4回目の今回は、新規事業を始めようと思ってから、それがどのような過程で「muraco」に行き着いたのかを書いてみようと思います。

ちなみにその前にこちらをお読みいただくと、より理解が進みますので、是非お時間のある方はこちらを先に。

結婚式の引出物。

さて、父の経営する株式会社シンワに転職した直後に結婚した僕ですが、結婚式にはトランスコスモス時代に僕の人生を変える程、お世話になった上司や、先輩方もお呼びしていたので、「お、村上頑張ってるな」と思わせなければなりません。
そこで鋳物の町、高岡で活躍する「能作」が鋳物の錫(すず)の綺麗な風鈴を中心にブランド展開しているのを思い出し、風鈴を旋盤で、削り出しで作ったら良いかなと思い、切削性の良い真鍮を使ったオリジナルの風鈴を作りました。
完成系がカバー写真です。(義理の母が撮ってくれました。) 酸化して相当味が出ていますね。

加工するためのプログラムは容易に作成できましたが、実際の加工は混迷を極めました。それでもなんとか約200個製作し、手作業で火傷しながらバフをかけ、紐、舌を付け、箱詰めして引出物らしくなりました。

御列席の皆様の反応は上々で、自社の機械で作る物でも、こんな風に喜んで貰えるんだ。という気付きを得る事が出来ました。それは今まで受託生産した部品が、結局どこにどう使われ、どのように部品として役に立っているのがすらわからなかった状態の僕としては、いい意味で衝撃でした。

これが、新規事業を始めようと決意できたポイントのひとつです。

が、事業としてみたときに・・・。

そこで量産を想定するのですが、削り出しという加工法はとにかく精度は出ます。ほぼ個体差というものは存在しません(厳密に言えばあります)。一般消費財でそこまでの精度が必要だとも思えません。でも材料を削って、削りカス(キリコと言います)はスクラップ業者に出してしまうので、材料+加工賃を考えた時に、鋳物性の商品よりも確実に高くなります。そもそも風鈴はシーズナリーも相当あり、これだけを作ったところで事業になるのか?という大きな疑問を持ったまま、風鈴だけでなく、茶筒、キャンドルホルダー、小さなシーリングランプのシェードなどを製品群として考え、デザインをしていきました。

実は就職活動の時に、好きな事を仕事にしたいなどと甘っちょろい事を言って、就職活動を途中で辞めました(後に中途入社するトランスコスモスにエントリーシートも提出せずに!)。

そして募集すらもしていなかったインテリアセレクトショップのアクタスに掃除要員でもいいから働かせて欲しいと手紙を送りつけ、「奇特な奴だ」と言われながらもそこで5年ほど働いたのですが、そこで家具やインテリア雑貨などを毎日近くで見ていた経験から、先述した商品群ではギフト用途として需要はあるが、まぁ厳しいだろうなと感じました。

新規事業を考えていた時に、技術力を売りにした金属加工工場が繰り出す、3万も4万もする、高精度のマニアックなスマホホルダー的なものに見えてしまっていたのです。

誰かが熱烈に欲して、且つ自社の設備(技術)が活かせるものは無いのかとも考えていました。

気付きと発見は突然に

そんな最中に久しぶりに家内とキャンプに行こうという事になり、みんな大好きTHE NORTH FACEを手がけるGOLDWINさんが輸入するALITEというブランドの椅子が真新しくてカッコ良かったので、当時3歳になった長女の分も含め、3脚購入しました。
で見つけました。1つの部品です。言ってみればただの部品です。でも金属切削加工業の僕からしたら、to Cビジネスではほとんど見かけない、切削加工の部品だったので、衝撃でした。上の写真のフレームが集束する丸いパーツがそれです。 

そこで気がつきました。
自社でできない部分は、他社に任せればいい。
単純な事ですが、単一な加工しか出来ない当社としては、なかなか気付けないポイントでした。
アウトドア用品は、雨、風、日光に曝される為、金属が効果的に使われています。自社のフィールドが必ず活かせるし、僕自身アウトドアが好きだったので、この業界でのチャレンジが良いだろうと考えました。そして妻にも協力をもらいながらweb、アウトドア用品店などでどんなブランドが、どんなプロダクトをどんな素材を使って作っているのかを調べ、またそのブランドが、日本市場でどんな立ち位置でビジネス展開しているか調べました。
そしてドメスティックブランドとして、スノーピーク以降誕生していない、アウトドアの総合ブランドを自らの手で生み出すと言う、大袈裟な目標を掲げました。
それがmuracoの始まりです。


次はmuracoのアイコン、黒のテントについて記事を書こうと思います。

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