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「金属加工工場を継いで」後編

長い長い前編を読み終えてくださった皆さまこんにちは、muracoの村上です。

前編を見て下さい。いきなり後編は「理解」という名のハードルが高すぎます。後半は、僕の事業運営における考え方を変えた2つの言葉から、新規事業(muraco)を立ち上げようという決断までの話です。

前編を読む!

「2つの言葉」

葛藤の末に株式会社シンワに入社した僕は、少しずつでは有りますが、業務改善や組織体の構築などを行っていました。

ちなみに製造業には、土地、加工機械、人材が必要です。土地に建屋を建て、機械を設備し、人が機械を動かし売上を作ります。単純ですが、我々のような、小規模な事業体では以下の課題と対策を、少ない資金の中で回し続けなければなりません。

課題→対策
狭い土地 → 設備スペースの確保
古い機械 → 新しい機械への更新
職人への技術集約 → 若手技術者の育成

その中にあって、少しづつですが、上記の課題を解決に向かって邁進していた、30代前半の頃に、僕の事業者としての考え方を変える2つの言葉に遭遇します。

1つ目の言葉

縁故で採用した男性社員Aには、「生産管理」の担当を任せていました。彼は、受注した部品をそれぞれの機械に割り振り、加工スケジュールを組み、納期の迫った部品の加工担当にはアラートを出し、その日の納品物の検査をプッシュし、梱包を手伝い、同時に機械で加工そのものも行っていました。

2010〜15年当時も会社は非常に忙しく、それに伴って社員の残業も多く、それでも納期遅れを発生させてしまうような状態でした。
既に社長職となった僕も、会長となった父親も現場で機械加工に携わっており、膨れあがる社員の残業代を抑える為、平日は社員の帰社後、深夜に掛かるまで、休日も返上して機械を回していました。
それでも、上に書いた「課題→対策」の為に出来る限りの時間を工場で過ごしました。

そんな中、一つ目の言葉が生まれます。
とある金曜日の朝会で、男性社員Aが、次の月曜日に納品しなければならない大量の注文に絡めて、冗談交じりに・・・。

「納期間に合いそうに無いので、週末、社長と会長で仕上げてください」

これが一つ目の衝撃の一言でした。
彼のキャラクター的には予測できる発言だったし、いかにもそんなような事をいいそうな社員なので、特に怒りとかは感じなかったのですが、その時に僕の頭に浮かんだのは、
「何故そんなに簡単に、父と僕に丸投げするような発言になるんだろう? 自分達でやらなければ。という考えにはならないのだろうか?」

というような率直な感情でした。それからしばらくその発言が簡単に出てきてしまった原因を考えてみました。

その男性社員Aは元サッカー少年で、サッカー好きなら誰もが知るような都内の強豪校出身で、日本人なら誰もが知るような有名な大学出身で、さらに世界中のほとんどの人が知るような、超一流企業に勤めていて、そんな彼が縁あって、埼玉の田舎のそれも近所の人だけがギリギリ存在を知っているシンワに入社しました。
彼は地頭が良く、真面目でした。そんな彼なら、「納期に間に合わない」ということに対して、様々な解決策が浮かぶだろうし、生産管理の担当として、対策の実行までできた筈です。

では何故、あの発言になったのか、僕の出した答えは、、

「経営者が現場で、従業員と同じ職責の中で働いているから」

という事です。でもこれは小さい会社では仕方のない事で、役員も含めて5,6人の規模の会社では当然の事です。
しかも少人数なので、「自分がやらなければ会社が回らない」と感じながら仕事をしなければなりません。もちろん、当時の従業員のみんなもそう思ってくれていたと思います。それでも最後は”誰か”がやるだろうと思われていたと思います。その”誰か”とは父であり、僕であるんだろうとも思っていました。そのあたりが、男性社員Aの発言の根拠なんだろうと。
この状態では誰かが、より忙しく働く事で成り立つ会社になってしまいます。その原因は良かれと思い、忙しく働いていた父や、僕自身だし、そういった体制にしていた経営の責任だと感じました。

そこで僕は現場を離れる決断をし、現場個人個人に責任を持たせる事にしました。でも当時主力として現場を回していた僕が抜けると現場は回りません。でも住宅地の中にあるプレハブの暗い町工場では、募集しても応募は来ません。当時工場は既に手狭になっていたのもあるので、事業所の移転を決意しました。

広い工場で設備増強を進めつつ、新たな人材獲得の為にも綺麗な社屋が必要だと思いました。そして、個人商店の集まりのような組織を、指示系統が存在する組織にしようと思いました。

2つ目の言葉

シンワの製造事業部が現在請負う主な加工物は、シェア順に、工作機械の部品、muraco製品部品、インフラ関連機器部品、建築資材などで、その 中で工作機械部品は父の代から続く主力品目です。その分取引先との付き合いも長く、40年近くも取引関係にある会社もあります。
父の時代は営業担当を置かずに、「技術と信頼」を看板に仕事を受けていました。当然新規の取引先は増えず、僕が入社した頃は4社〜5社の取引先しかない状態でした。その中の1社との取引割合は最大で全体の80%を超える月もありました。
その1社はとあるメーカーの元請け業社です。そこに対しては、お中元、お歳暮はもちろん、調達の方のご機嫌伺いから、値下げ要求全てをのみ、なんとか食らいついて行こうと思っていました。
そんな中、いつものように納品に行くと、その担当から、メーカーが下請を整理したいと言っている事を聞かされます。そして2つ目の言葉がその担当者から発せられました。

「ウチは大丈夫なんだけど、シンワさんはどうなるか分からないな」


僕は、父の代から長年苦楽を共にした会社だと思っていたし、この元請業社が仕事をしやすいように常に気を遣って来ました。でも結局はただ1社の取引先に過ぎないんだという事を、この一言で思い知らされました。長い付き合いだなんていう感情は、こちらの押し付けなんだと。
そこから僕は、他社の業績に左右され難い、自社が能動的に売上を作る為の"武器"が必要だと思い、製造事業部の設備、技術を活かした新規事業の立上げを決意します。これが、muracoの生まれるきっかけです。

この2つの言葉で、僕は会社の移転と工場の拡張を決意すると共に、加工現場を離れ新規事業の立ち上げ準備と、経営者としてのマネージメントの仕事の2点に専念するようになりました。

この2つの言葉を発言した2人にとっては、他愛もない会話の中で出てきた冗談まじりの一言だったんだと理解しています。それでも、会社は簡単に潰れてしまうと考えている僕には、非常にインパクトのある言葉でした。今ではこの2人に心からのリモート感謝をしています。

結局、後編も長くなりましたね。あいすいません。最後まで見てくれて嬉しいです。次は新規事業計画がmuracoになっていくストーリーを書いてみようと思います。

ちなみに・・・

愛機ハッセルブラッドでカバー写真を撮ってくれたのは、muraco公式サイトを作ってくれた、スーパークリエイターのlaunch福田さんです。muracoのwebサイトにおける理想と現実のバランスを同社代表のスーパークリエイター中野さんと絶妙にコントロールしてくれています。ハッセルブラッド。envy you!
ちなみに中野さんはSIGMA fp。envy you!!!

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