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ナリワイながら暮らすとは

つばめ舎建築設計+スタジオ伝伝によって手掛けた練馬の職住一体型アパートリノベーションプロジェクト「欅の音terrace」。晴れて『新建築2019年2月号』に掲載していただきましたが、そこに載っている解説文とは違う文脈の、このプロジェクトの背景となる思想について個人的にまとめました。

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住居と労働を切り分けるという都市計画の機能的分離が推進されたのは、1933 年に実施されたCIAM 第4 回会議における成果である「アテネ憲章」に依るところが大きいだろう。
ここで都市は「太陽・緑・空間」を持つべきであるとして、都市機能は「住居」「労働」「余暇」「交通」の4つに明確に分離することが希求された。現代の都市居住形式は未だにこの近代都市計画を引きずっていると言えよう。

翻って、職住一体型の居住形式は近代以前の、近世において一般的に営まれていたものである。従って、「欅の音terrace」が提案した居住形式は決して新しいものではない。それは町家形式を参照したことからも明らかである。
しかしながら、当時と異なるのは、労働する場所の制約が少なくなっていること、あるいはハンナ・アーレントが言うところの労働ではなく仕事※( ここで言うナリワイ)を求める声が高まっていることだろう。もはや明確に住居と労働を区別することに然したる意味は無いのではなかろうか。

―平日は労働をしているが週末は自己充足のために仕事をしたい。労働のために交通によって都市に出るのではなく、住居で仕事がしたい。週の半分は労働に、残りの半分は仕事に充てたい。―

近世までは当たり前だった職住一体型の居住形式が、近代になって職住分離型の居住形式へと急激に方向転換しただけなのだ。
住居史において、近代という一時代こそがむしろ特異点なのかもしれない。だが、現代においてそれをまたドラスティックに転換するほど、果たして都市に力が残されているだろうか。
だとすれば、近代の延長で、近代と共存する形で、職住分離型と職住一体型がハイブリッドした居住形式こそが、現実味を帯びていると言える。

「欅の音terrace」は必ずしもここでのみナリワイすることを縛り付けるものではない。
そうではなく、これまで人々が近代都市で日々感じていた息苦しさを解放する手助けをするための建築である。
現代における健康的な生き方のための器としての一つの可能性を、ここで提供したい。それは、近代都市が暗に標榜していた健康とは別様の、近代都市がもたらした不健康さに対する健康なのである。
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※『人間の条件』ハンナ・アレント著、清水速雄訳

1991年神奈川県横浜市生まれ.建築家.ウミネコアーキ代表/ wataridori./つばめ舎建築設計パートナー/SIT赤堀忍研卒業→SIT西沢大良研修了