「この間、とあるイベントに行ってきた」   『スリー・ビルボード』映画評(?)

「あ、どうも、出川哲朗です。
えー、ボクはこうみえて、結構ハリウッド映画通なんですよ。LAにも何度も行ってるし、ハリウッドスターなんかにも
「Hi!Tom!」
とかもう、ツーカーなんすよ。

そんなボクがこの映画を観させてもらって、ホントもうね、コレ、マジでヤバイっす。
マジ超ヤバいよ。ホント何がヤバいかよくわかんないくらいヤバい。
まず、タイトルがよくわかんない。
『スリー・ベルバード』?
『スリー・ベルマーク』?
ベルマーク集めてどうすんだよ!
え?『スリー・ビルボード』か。「ル」しかあってないじゃん!まあいいか。
「ビルボード」ってなんすか?「看板」?あー、「三つの看板」てことね、ハイハイハイ。

監督は、マーティン・マクドナルドさん。ん?
マクドナーさんか。イギリス人?
あ、ボク、イギリスも詳しいんですよ。ロンドンには、何度も「イッテQ!」で行ってるし、毎日、紅茶飲んでるしね。
あと、ビック・ベンはマブダチっすよ。ん?
人じゃないの?時計台?あ、そう。

でね、この映画のナニがすごいかって、主人公がワルいやつと戦って、最後はハッピーエンドとかっていう単純なお話しじゃないんすよ。だれにもすんなり感情移入できない、感情移入したら裏切られちゃうの。マジでそこがヤバい、ホント、マジでヤバい。あのね、ラストでドンパチあってワルいやつが死ぬとかないの、ホント宙ぶらりんのまま終わっちゃうのよ。
え、ネタバレ?まだみんな観てないの?
アー、これから観るのね、ホントごめん、ゴメンナサーイ!」

(会場、笑いと拍手)

「出川哲朗さん。ありがとうございました。
それでは、上映に先立ちまして、もうひとかた、お話をいただきます。
関西からお越しいただきました、ラジオ・パーソナリティ、浜村淳さんです。」

(会場拍手)

「ただいまご紹介にあずかりました、ありがとう、浜村淳です。
これから皆さんがご覧になる映画、『スリー・ビルボード』について、私からほんの少しだけ、お話させていただきます。

この映画は、マーティン・マクドナー監督の長編第三作目にあたります、2017年に公開されたアメリカ映画なんですね。原題は”Three Billboards Outside Ebbing, Missouri ”と言いまして、アメリカ南部ミズーリ州の架空の街エビングにある、道路沿いの三つの広告看板という意味なんです。

で、主役の中年女性ミルドレッドを演じますのは、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞しましたフランシス・マクドーマンドなんです。顔が面長といいますか、昔で言いますと嵐寛寿郎や伊藤雄之助のような特徴的なお顔ですので、一度観るとなかなか忘れられない個性的な女優さんなんです。


さあ、映画がはじまりますと、ミルドレッドは車で田舎道をすーっと走ります、そこには、聖徳太子も古いっと思うような、古ぼけた広告看板が立っているんですね。それを見たミルドレッド、ピーンとひらめくものがあって、その看板の広告会社「エビング広告社」へ行くんですね。で、その広告会社で働くレッドにむかって言います、「兄ちゃん、あの看板に広告出すにはナンボかかんねん?」。いきなり現れた青いジャンプスーツのオバハンに、レッドは面食らいながらも、5000ドルで契約を交わします。さぁ、いったいどんな広告を出すのかと言いますと、一つ目の看板には「うちの娘は強姦されて殺された」、二つ目には「犯人は未だ捕まってへんけど?」、三つ目には「どないなってんねん、ウィロビー警察署長はん?」と、こういう文句なんです。実は、このミルドレッド、7カ月前に娘がレイプされて殺害されたんですが、犯人がいっこうに捕まらないので、切歯扼腕してこんな広告を出す決心をしたんですね。そして出来あがった看板には、真っ赤に塗られた下地に黒い文字でババーンと、先ほど申し上げたエゲつない言葉が並ぶわけなんです。

そこへ、夜中にパトロールをしていたディクソン巡査が車で通りかかってビックリ仰天いたします、すわ一大事とばかりに、早速ウィロビー警察署長に電話をするんですね、「署長!えらいこってすわ!」。ちょうどウィロビーは別嬪の奥さんとかわいい娘さん二人と一緒にイースターのディナーの真っ最中。イースターといいますのは、十字架に掛けられて死んだイエス様が三日目に復活したことを祝う、キリスト教にとってはとても大事なお祭りなんです。話は少し脱線しますが、マーティン・マクドナー監督の作品にとっては「キリスト教」というものが大変重要なモチーフになっていまして、過去の作品を含め、いたるところにカトリック的な要素が出てまいります。

で、話を映画に戻しますと、食事中に電話が掛かってきたウィロビー署長、「いま家族とイースターの飯くうとんねん!ナニさらしてケツかんねん、ワレ!」、それを受けて部下のディクソン、「スンマヘン署長、せやけど、えらいこってすわ」と、事情を説明いたします。

翌日、ウィロビー署長とディクソン巡査は「エビング広告社」に乗り込んで、ディクソンは広告屋のレッドに「おどれ(お前)!ナニさらしとんじゃい、ワレ!あの看板外さんかい!」とスゴみます。はい、これは、ミルドレッドの怒り、娘を殺された上、犯人が見つからないというミルドレッドの怒りが、別の形で警察の怒りを生むという「怒りの連鎖」のはじまりになるわけなんですね。ところがレッド、あの看板、法律上は何の問題もないと突き返します。このディクソンとレッド、あとでどエラいことになるわけですが、ディクソン巡査というのは、黒人容疑者に対する暴行疑惑なんかがある、大変暴力的で人種差別主義的な最低の男として描かれています。

さて、こんどはウィロビー署長がミルドレッドを訪れまして、「なかなか捜査は進展せえへんが、警察も努力してるや。そのへん、わかってくれへんか?」と説得します、ところが、ミルドレッドはいっこうに動じません。「そんなこと言うてる間に、他の娘が犯されてるんやで」、表情変えずに言いはなちます。しかたがないので、ウィロビー署長、ある「告白」をいたします。「実は、ワシ、末期ガンで、もう先が短いんや」と。ところが鉄の女ミルドレッド、「そないなことは街中の人が知ってるわ。だからアンタが死ぬ前に看板出したんや」、言うんです。

はい、この映画、このあたりからだんだんとおもむきが変わります。「娘を殺されてかわいそうな肝っ玉おっかあ」と「役に立たない警察署長」という対立の構図から、「娘のためならどんなヒドいことも平気でやるアブナイおばはん」と「街中の人から尊敬されてる末期ガンの警察署長」という構図に変わっていくわけです。実際、ミルドレッドは街中の人から看板をやめるよう説得されたり、嫌がらせを受けたりします。
その一方で、警察署長ウィロビーはといいますと、愛する娘たちと遊んだり、美しい女房と愛し合ったりしてるんですね。ところが、ええこんころもちになったウィロビー署長、さぁどうするかと思いきや、泣く子も黙る丑三つ時に自分の頭を「ぶぁーん!」と拳銃で打ち抜いて、自殺をしてしまします。さぁ、この一件、またたく間に街中に知れわたり、ただでさえ追いつめられてられてきたミルドレッドはもちろんのこと、ウィロビー署長を敬愛していたディクソンにも大きなダメージをもたらします。

怒髪天をつくディクソンは、まず手始めに、通りをまたいで警察の向かい側にある「エビング広告社」に乗り込みますと、広告屋のレッドをケチョンケチョンに殴り倒し、必殺飛燕一文字五段投げ、エイやとばかり窓から外にほおり投げ、レッドに大ケガをさせます。さぁこのあとディクソンは何をしでかすかと思いきや、なんと新任の黒人警察署長に、勤務態度の悪さがゆえにあっさり警察をクビになるんですね、まぁ先の読めないこの展開!いったい全体この先はどうなるやら、というところで、ウィロビーがミルドレッドやディクソンに残した遺書が、大変重要な役割をはたすことになるんです。

ミルドレッドに宛てた遺書にはこう書いてある、「別にワシは、アンタへの当てつけで自殺したわけやない。せやからその証拠に、あの看板の費用、ワシがなんぼか出すわ」。街中がミルドレッドの敵になっている中で、まさか話題の張本人が味方になるっちゅうわけです。はい、この映画の大事なポイントです、単純な「善悪二元論」では割り切れない、敵と味方、表と裏、本音と建て前、おかめとひょっとこ、ありとあらゆるものがグチャグチャに混ざりあったところに、本来の人間関係というものが存在する、そういう、ある種典型的なハリウッド映画に対するアンチテーゼとしての人のありようが描かれるわけなんですね。

さぁ、映画はその後どうなるかと申しますと、例の三つの看板に誰かが火をつけて燃やしてしまうんですね。頭にきたミルドレッド、やったのは警察だとばかりに、やけのやんぱち日焼けのナスビ、こともあろうに警察署へ火炎瓶を投げ込みます。

ところがそこに運悪く、ディクソンがいるわけなんです。ちょうどウィロビーがディクソンに宛てた遺書をとりに、たまたま警察署に来ていたんですね、しかも耳にイヤホンをして大音量で音楽を聴いているもんやから、なかなか火事に気づかない。炎につつまれた警察署で、ひとり無言でディクスンは、ウィロビーの遺書を読むわけなんです。「お前はいろいろ問題のあるやっちゃが、刑事になれる素質はある、でもなぁ、それには「愛」が必要やで」。そのまま炎に包まれて、ディクソンは大やけどを負うわけですが、この遺書をきっかけに彼は改心していきます。

ディクソンが病院に運ばれますと、たまたま同室に彼が大けがをさせた広告屋のレッドがいるんですね。ところがディクソンは顔を包帯でぐるぐる巻きにされているものですから、レッドには誰だかわからないんです。オレンジジュースを用意してくれるレッドに対して、ディクソンは正直に「オレはディクソンだ」と言います。怒りにかられたレッドですが、彼はディクソンを「赦し」、やけどで手が使えないディクソンのためにストローを指してやるんですね、この映画で最も泣かせるシーンのひとつです。

ここから、この映画には「赦しの連鎖」がはじまります。ミルドレッドが世話になった小人症の男と、彼女がレストランで食事をしていると、別れた旦那とその彼女、いかにもパッパラパーな若いネエちゃんがやってきます。元旦那が小人症の男を差別的にからかうので、頭にきたミルドレッド、ワインボトルを握りしめ、相手方のテーブルへ向かいます。さぁ一触即発というところで、例の若いパッパラパーのネエちゃんが、その風体には似つかわしくない意外なことばを口にするんですね、「怒りは怒りを来たらす」

しかしながらこのことばで、ミルドレッドは彼らを「赦し」ます。今までの「怒りの連鎖」から「赦しの連鎖」へと映画は移行していくわけなんですね。

その後退院したディクソンは、たまたまバーに居合わせた男が、ミルドレッドの娘を殺した真犯人ではないかという疑いを持ち、体を張ってその男のDNAを採取します。この一件を電話でミルドレッドに伝えるディクソンは、「粗野でレイシストのクソ野郎」から「命がけで犯人逮捕のために戦う元警官」に変わっていくわけです。残念ながら容疑者にはアリバイが証明されるのですが、その男が強姦魔であることには変わりない。そこでディクソンはミルドレッドに、「この男の住所はわかっているので、車で行こうと思うんやけど、一緒に来るか?」と持ちかけます。

さぁ、いよいよクライマックスです!ミルドレッドとディクソンは、二人で車に乗り、バンには銃を積んで、強姦魔のところへ向かいます。道中、ミルドレッドはディクソンに「警察に火をつけたのワタシよ」と「告白」します。それを受けてディクソン、「あんなことするのはアンタしかおれへんがな」。はい、ここで二人はお互いを「赦しあい」、さらにこの映画を観ている観客も、思わずこの二人を「赦して」しまうんですね、ここで、この映画の「赦しの連鎖」は完結し、私たちの心に「浄化=カタルシス」が訪れます。

ラストシーンでディクソン、「あの男を殺すんか?」にミルドレッド、「それは道々で決めたらええわ」。はい、結局最後はどうなるのかは誰にもわからないまま、ここでこの映画は一巻の終わりを迎えます。

はいこれで、簡単ではございますが、ワタクシの話は終わらせていただきます。
みなさんはこれから上映される、映画『スリー・ビルボード』を存分にお楽しみくださいませ。ご清聴、ありがとうございました!」

(会場、拍手)
(映画『スリー・ビルボード』上映)

「それでは、終演後のトークショーをはじまさせていただきます。
大きな拍手でお迎えください、ミスタータイガース、掛布雅之さんです。」

(会場、拍手)

「どうも掛布です。えー、この映画はですね、なんといいますか、非常にこうキャスティングがしっかりしてると言いますか、役者の配球の妙ですね、これがボク、大変印象に残ってます。本来であれば、インハイに一球速いタマを見せておいてからの外へのスライダーといった、なんといいますか、極めてオーソドックスな組み立てではなくてですね、相手の裏をかく、ええ。例えば、普段であればアウトローの守備範囲が多かったウディ・ハレルソン選手がですね、実はいいプレーヤーで、「刑事になるのに必要なのは“愛”だ」といったような台詞をですね、言うわけですよ、ええ。これなんかはボクはとっても意外でしたね。

あるいはフランシス・マクドーマンド選手もですね、序盤でみせた「深い悲しみを背負いながらも凛とした母親」像から、中盤にかけての、なんといいましょうか、「マッド・マザー」的なスタンスですね、ええ。それから8回、9回と、怒りや悲しみの中にも人間味あふれる情緒といいますか、静謐さの中にもある種の優しさの萌芽を感じさせる、これやっぱりベテランの味といいましょうか、しっかり映画をとらえている感じがして、見事なプレーだったと思います。

ただですね、そんな中で、ボクが一番印象に残っているのが、サム・ロックウェル君ですか、アカデミー助演男優賞をとりましたけれども、彼の持つ「暴力性」と「幼児性」と「ユーモア」といった持ち味が、一番出せた映画なんじゃないでしょうか。非常にクセのある、イヤな感じを相手に与える選手ですけれども、いままでコンスタンスに結果を残してきたなかで、今回ついに大輪の花を咲かせたんじゃないでしょうかねぇ、ええ。映画の物語のなかでは残念ながら犯人逮捕は出来ませんでしたけれども、映画そのもののなかでは、しっかり結果を残せたとみていいんじゃないでしょうか。

ですから、この三人の選手をクリーンナップに起用してチームを編成したマクドナー監督は、試合前から作品に対するかなりの自信があったんじゃないでしょうかね、ええ。それとですね、脇を固める選手たちも、いままで舞台や映画で一緒にプレーしてきた選手を揃えているところにですね、非常に安心感といいますか、ある種の安定感をもたらしたとみていいんじゃないでしょうか。

あと、マクドナー監督の作品はですね、ボク、『ヒットマンズ・レクイエム』と『セブン・サイコパス』を観させてもらいましたけれども、彼の持ち味である脚本の構成の素晴らしさ、暴力の中のユーモア、あるいはキリスト教的な「贖罪」ですか、そういったものがいままでの作品にも表現されていたわけですけれども、やはりこの『スリー・ビルボード』というものがですね、完成度という点においては、一番上位にくるんじゃないでしょうか、ええ。映画の難しさといいますか、最後までどうなるかわからない試合展開のなかで、最終的には監督の思い描く形が出来たんじゃないかな、と思いましたね、ええ。
えー、本日はどうもありがとうございました。」

(会場、拍手)

「それでは、本日のトークショウ、最後にスペシャルゲストをお呼びしたいと思います。」

(恐山から来た老女のイタコが登壇)
(会場、騒然となる)

「ただいまより、今は亡き映画評論家、淀川長治先生に“降臨”していただきます。」

(イタコの「口寄せ」が開始される。イタコに「淀川長治」が憑依する。)

「はい、こんばんは。みなさん、お久しぶりですねぇ。淀川です。

ワタシねえ、長いこと“あの世”におったでしょ? そしたら急に映画の話しろ、ゆわれて、慌ててこの『スリー・ビルボード』観てきました。ホントに、ホントに面白い映画でした。こんな面白い映画を観せてもらえるんやったら、ワタシ、なんぼでも“降りて”きますよ。

でもねぇ、“あの世”、みなさんご存知ないでしょ?ワタシも知らなんだ、死ぬまで。ワタシ、この世でいいことあんまりしなかったから、地獄へ落ちるか思ってたの、ベルイマンの映画みたいなとこで裁かれて、フェリーニとかパゾリーニの映画みたいなゴチャゴチャしたとこ、行くんか思たの。

Det sjunde inseglet (The Seventh Seal)(1957)

Fellini's Satyricon (1969)

そしたら、まぁ、まぁ、うれしいことに、「映画の神様」いう、ヒチコックみたいなオッサンが現れて、ボク、天国へ行けたの。その神様がいうには、「お前は映画のために一生を捧げたので、ええとこ連れてったる」いうてね、ボク、そこへいったの、そしたら、まぁ、ビックリしたねぇ。もうお亡くなりになった映画監督や映画スターたちが、そこに皆おったのね。ボク、毎日毎日、いろんな監督のとこいったの。チャップリンとスケートしたり、ウィリアム・ワイラーとお茶したり、溝口健二と歌舞伎観たり、楽しいこといっぱいなの。ジョン・フォードとセシル・B・デミルが殴りあいの喧嘩したり、トリュフォーが女と揉めてたり、もうみんな相変わらずで、ホントにいいとこよ、天国。あ、そうそう、『スリー・ビルボード』の話、せないかんかったね。ボク、話し出すと、止まらなくなるから、ゴメンなさいね。堪忍ね。

はい、この映画、じつに脚本が見事、上手ですねぇ、面白いですねぇ。まだ長編三本目で、こんなにしっかりした脚本書くの、すごいなぁ思たら、このマーティン・マクドナー監督、元々はイギリスで舞台の脚本と演出やっとった、もうベテランの人なんですね。最初の長編が『ヒットマンズ・レクイエム』、これもとっても変わった映画でした、原題が、『In Bruges』ゆうて、ベルギーのお話なのね。コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソンの二人組の殺し屋が、ベルギーでレイフ・ファインズのボスに追い掛け回されるの。まぁ、サスペンスゆうか、コメディゆうか、いろんなジャンルが混ざったような、それでいて宗教的なところや幻想的なとこもある、面白い映画でした。

Colin Farrell and Brendan Gleeson in In Bruges (2008)

それから次に、『セブン・サイコパス』撮りましたね。これは、黒澤明の『七人の侍』やそれのリメイク『荒野の七人』なんかのパロディなのね。正義のために戦う強い男を集めるんやなくて、七人の“サイコパス”、ちょっとコワい、平気で人殺ししそうな人を集める、これまた、変わった映画を撮りました。この映画には、『スリー・ビルボード』に出ていた、ウディ・ハレルソンとサム・ロックウェルも出てましたね。

Christopher Walken, Sam Rockwell, and Colin Farrell in Seven Psychopaths (2012)

はい、それで、この人、暴力的なの好きなのね、サム・ペキンパーみたいに、バンバン人を殺して、血がピューと出て、そんなん好きなのね。ところが、そのコワいシーンのなかに、まぁなんともいえんユーモアがあるのね。はい、残虐なシーンのなかのユーモアいうたら、そう、タランティーノですね。『レザボア・ドックス』、『パルプ・フィクション』、ありました。『イングロリアス・バスターズ』なんかもそうですね。タッチは違うけれど、そういう人ニッポンにもいますね、そう、北野武ですね。マーティン・マクドナー監督は、この二人の影響受けてるのね、『セブン・サイコパス』の冒頭のシーンなんて、完全にクエンティン・タランティーノよ。男二人が延々とストーリーに関係ない、どうでもいい話してるところね。また、『セブン・サイコパス』には、主人公の二人が映画館で『その男、凶暴につき』観てるシーンがあるのね。それから、『スリー・ビルボード』の歯医者のシーン、これ、『アウトレイジ』でビートたけしが石橋蓮司襲うシーンが元にあるのよ、生理的な痛みとユーモアを混ぜる感覚ね。そんなわけで、マクドナーさん、タランティーノと武のいいとこ、マネしてるんですね。

Samuel L. Jackson and John Travolta in Pulp Fiction (1994)

Takeshi Kitano and Kippei Shina in Outrage(2010)

ただ、このマーティン・マクドナー、英国の、そうイギリスの人なので、なんともいえん、ヨーロッパの、幻想的なとこもあるんですねぇ。それはどういうとこからきてんのか、いうと、ヒントが『スリー・ビルボード』にあるんですね。サム・ロックウェル扮する警察官と、そのおっかさんが、テレビで映画を観ているシーンありましたでしょ?あそこで警察官の息子がおっかさんに「またその映画観てんのか?」言いますね、そうするとそのおっかさん、「ドナルド・サザーランドが好きなの」言うのね。ドナルド・サザーランド、いい役者ですね、TVドラマ『24』で大人気になった、キーファー・サザーランドのお父さんですね。で、このおっかさんが好きな映画、『スリー・ビルボード』の画面には映りこまないけれども、1973年の映画『赤い影』なんですね、監督は、ニコラス・ローグ。ニコラス・ローグは、もともとキャメラマン出身なので、キレイな、キレイな凝った映像、それでいて、とっても、とっても幻想的で妖しいムードの絵作りをする人で、サスペンス映画が上手な人でした。『スリー・ビルボード』の冒頭のシーンも、ハッとするほど美しいシーンですけれども、ローグのようなキレイなキャメラの映画、マクドナー監督も勉強してるんですね。『ヒットマンズ・レクイエム』でコリン・ファレルがレイフ・ファインズに走って追いかけられるシーンは、ニコラス・ローグのタッチでした。

Don't Look Now (1973)

Donald Sutherland in Don't Look Now (1973)

そういうわけで、マクドナー監督は、タランティーノの台詞と、武の暴力描写と、ニコラス・ローグの映像美のいいとこをとった監督さんなんですね。

はい、続いて、この映画の役者についてもお話しましょうねぇ。主役のオバハン、コワいコワい、けれども、なんともいえん愛嬌ある顔した人ですけど、みなさん、あれ?どっかで観たことあるなぁ、思いましたか?そう、この人、フランシス・マクドーマンドいうて、『ファーゴ』でお腹のおおきい、妊婦の警察署長やりました。それで見事にアカデミー賞とって、一躍スターになりました。ちなみに、この人の実の旦那さんは、ジョエル・コーエン、『ファーゴ』の監督さんなんですね。弟のイーサン・コーエンと兄弟で、製作・監督・脚本をしています、すごいねぇ、えらいねぇ。そういえば、コーエン兄弟の作風も、「ユーモア」「暴力」「映像美」やから、このマクドナー監督と似てますね。ですから、この女優さんとの相性もいいんでしょうねぇ。

Frances McDormand in Fargo(1996)

はい、そのフランシスさん、この映画でミルドレッドをやるのに、どんな人の動きをマネしたの、聞いたら、彼女、「ジョン・ウェイン」言うたのね、今の若い人は知らんかもしれんけど、ワタシぐらいの歳やと、西部劇の大スター、アメリカ人でジョン・ウェイン知らん人いないのね。ジョン・フォードの『駅馬車』、『捜索者』、ハワード・ホークスの『赤い河』、『リオ・ブラボー』、いいのがたくさんありました。歩き方に特徴あって、のっしのっしと歩くのね、そのどっしりとした感じをミルドレッドに取り入れたのね。

John Wayne in Rio Bravo (1959)

あと、彼女、いつも青いジャンプスーツに、バンダナしてるでしょ?あのバンダナどこからきてるかわかる人、おりますか?はい、そうですね、クリストファー・ウォーケン、マイケル・チミノの『ディア・ハンター』に出てくるバンダナです。クリストファー・ウォーケンは『セブン・サイコパス』にも出てました。そうやって、役作りのために、いろんな映画を参考にしてるんですね、やっぱり、エラい人はみな、よう映画を勉強してるわ。

Christopher Walken in The Deer Hunter (1978)

でも、今の若い人たちは、ミルドレッドが登場したときに、もう一人の大スターを思い出した思うんですね。誰でしょう?はい、そうですね、クリント・イーストウッドです。ミルドレッドのフルショットの立ち姿は、まるで、「マカロニ・ウエスタン」みたいでしたね。ちなみに、「マカロニ・ウエスタン」って、ワタシが考えたんですよ、もともとは「スパゲッティ・ウエスタン」いいました。ミルドレッドが登場するときの曲も、エンニオ・モリコーネ風で、まさに、セルジオ・レオーネの世界ですねぇ。イーストウッド、いうたら、彼が監督した映画と、マクドナー監督の映画もちょっと雰囲気似てるのありますね、『ミスティック・リバー』のムードもそんな感じでした。

Clint Eastwood in The Good, the Bad and the Ugly (1966)

他の役者の話もしましょうね。ウディ・ハレルソン、この人、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ありました、この映画、監督はオリバー・ストーンですが、原案はタランティーノなのね。人殺しの役が多くて、『セブン・サイコパス』でもマフィアのボスでした。実は、この人、実のお父さんが殺し屋だったんですねぇ、まぁコワいねぇ、でも、血は争えんねぇ。でも、そんな人が今回の映画でウィロビーみたいな、いい警察署長やるなんて、面白いねぇ。

はい、最後はサム・ロックウェル、『グリーン・マイル』で凶暴な囚人やって、有名になりましたねぇ。この映画では、暴力的で、人種差別的だけど、マザコンで、ちょっとゲイなのね。ボク、ゲイの人はすぐわかるの。でも嫌なやつだけど、どこか憎めないとこある、なんともしれん面白い人物をやりました。この人、とってもよかったねぇ。オスカーもとったねぇ。

そんなんで、役者たちがとてもいい、この『スリー・ビルボード』、大ヒットしましたねぇ。批評家の評判がとってもよくって、お客さんもたくさん入って、ホントにいい映画でした。はい、今日は、『スリー・ビルボード』、お話しましたねー。

それでは、みなさん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラー!」

(会場、大きな拍手)
(イタコ、ぐったりとして退場)

「これをもちまして、『スリー・ビルボード』特別上映トークショーを終了させていただきます。本日はどうもありがとうございました。」



※このトークショーはフィクションです、実際の団体、企業、個人とは一切関係ありません



※この記事は、【2018・秋】明日のライターゼミ 
https://lounge.dmm.com/detail/1117/
田中泰延さん講義「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」の
事前課題「映画『スリー・ビルボード』映画評論(4000字以上)」向けに
記述した内容を、一部加筆修正したものです。

※嵐寛寿郎さんと伊藤雄之助さんの画像出典は「Amazon」、それ以外の画像出典は「IMDb」です。


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宮下卓也

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