公演の宣伝にはどれだけの情報が必要なのか

コンビニの弁当の蓋が透明なのはなぜだろうか。デパ地下の弁当の蓋が開いて陳列されているのはなぜだろうか。それは弁当の中身を知った上で購入したい人が多いから。購入者はどんな商品に対してもそう望むはずだ。それが形のないものであっても。

ところが、演劇等の公演の宣伝には中身がよく分からないものが多いような気がする。抽象的な写真やイラスト。作品のジャンル程度しかわからないストーリー紹介。役の想像のつかない役者の写真。チラシを見ても当然、役者の声や身体性は分からない。

観客はできることならリスクを負いたくない。面白いか、自分の好みに合っているか、そういったことを保証してくれる情報を求めているのではないだろうか。

映画の場合は予告編の映像が用意されている。チラシやDVDパッケージの裏には印象的なカットがプリントされている。もちろん映画と演劇とでは事情が違う。演劇の場合はチラシが出来た時点で稽古が始まっていなかったりすることが多い。場合によっては脚本が完成していないこともある。それでも後から情報を発信していくことは可能だと思う。

例外はある。観客が作品や団体や出演者を知っていて、それらが公演の内容や質を保証してくれる場合。それから説明的ではなく感覚的な表現を求めている場合。けれども、そうでない人に対して漠然とした情報で観に来てくれと誘うのは無茶ではないだろうか。

では、作り手側はどうすべきか。ひとつは親切丁寧に情報を提供してやること。発信力。特に量よりもその内容をより観客の視点で考えて発信していくこと。「稽古頑張ってます」というのは当たり前。内輪の盛り上がりよりもっと興味を引く内容があるのではないか。

もう一つは自らの存在で内容を保証してやることだろうか。「私が作っているのだから大丈夫」「私が出演しているのだから大丈夫」と。ブランド力を高めることでもあるかもしれない。これは積み重ねが大事なので時間がかかるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?