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映画をジェンダーの視点で読み解くために読む本 〜映画書籍篇❶〜

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フェミニスト映画/性幻想と映像表現
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アン・カプラン著*水田宗子訳*1985年

「フェミニスト映画理論と批判の分野は、1980年代に入って大きく発展していくだろう。私はこの本が、過去十年間展開されてきた考えを一つにまとめ、位置づけることによって、将来この分野のさらなる発展に寄与できたらよい、また、新しい仕事の出発点を提供できればよいと思う」

フェミニスト映画批評の古典的テキストと言われる重要書。第一部は主にハリウッド映画についての分析が行われる。グレタ・ガルポ『椿姫』、オーソン・ウェルズ『上海から来た貴婦人』、リチャード・ブルックス『ミスター・グッドバーを探して』など。一方、第二部のフェミニスト映画の分析では、マルグリット・デュラス『ナタリー・グランジェ』をはじめとして比較的容易にアクセスができない映像作品が数多く取り扱われる。また、精神分析的方法論にも傾倒しているため、そういったアプローチの仕方も学ぶことができる。末尾でカプランは問う。ローラ・マルヴィが唱えたハリウッドの古典的映画における<見る><見られる>のまなざしの力学が、ハリウッド以外の国の映画、たとえば日本映画やヨーロッパ映画でどれほど適用されうるものなのかと。

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ラヴェンダー・スクリーン
ゲイ&レズビアンフィルム・ガイド
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1993年*ボーゼ・ハドリー著*奥田祐士訳

「ゲイをテーマにした映画は、ふたつのレヴェルで受け取ることが可能だろうーーエンタテインメントとして、さらにはスクリーン上の社会学として。本書で取り上げた作品たちはーーいずれもゲイの主要人物が登場するか、ゲイ的な環境が舞台になっているーーどのようなグループの作品にも増して魅惑的であると同時に、映画の製作サイド、スターたち、そしてそのテーマについて、文化的、宗教的なバイアスについて、さらには変化をとげてゆく社会的状況について、通常以上に多くを明かしてくれる」

"ガイド"というだけあって、大判サイズで数多くの画像とともに映画が次々と紹介される様相は、まさにガイドブックそのもの。外国語の翻訳のためいくぶんか読みづらく感じる部分があるものの、その作品が公開された当時の社会的な評価、製作背景、批評など情報量はかなり多く、勉強になる。「性転換」→『マイラ』、「若草物語(男版)」→『真夜中のパーティ』、「異国趣味」→『蜘蛛女のキス』『ミシマ』、「音楽愛好家」→『ロッキー・ホラー・ショー』「ドレス・リヴァーサル(異装)」→『outrageous!』『Too Outra-geous!』『ビクター/ビクトリア』など、それぞれのテーマに沿ったLGBT映画が1~3作品ずつ取り上げられていく。

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スクリーンの英文学 読まれる女、映される女
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今泉容子*1999年

「本書は、イギリス文学の六つの作品とそれらの映画作品を比較考察する。六つの文学作品を年代順にならべると、中世の時にはじまって、誕生したばかりの十八世紀の小説をとおって、ロマン主義の森を抜けて、現代にいたるコースになる。ひとつの作品にひとつの章があてられて、全部で六章構成になる。各章には扉がついている。この扉をくぐるとき、作者や作品について簡潔な解説が得られるしくみだ」

イギリス文学の翻案映画を女性表象の視座から分析していく本。本書で取り上げられている作品は、それぞれ『カンタベリー物語』、『モル・フランダーズ』、『フランケンシュタイン』、『嵐が丘』、『オーランド』、『時計じかけのオレンジ』。ジェンダーとイギリス文学の翻案映画とくれば、もはや『フランケンシュタイン』、『嵐が丘』、『オーランド』といった作品は、必ずといっていいほど言及される常連の映画作品群。異質であるとすれば『時計じかけのオレンジ』だが、確かに同作は女性の身体が独特な方法かつ遊戯的に視覚化されていた。こう言えば、真っ先にあの真っ赤なドレスの胸部が乳房に沿って切り取られた描写が思い出されるだろう。この分析で、著者は女性の身体表象と暴力の問題を鮮やかにあぶりだして見せている。

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ザ・トランスセクシュアル・ムーヴィーズ 「菫色の映画祭」
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石原郁子*1996年

「本書には、混沌という言葉がしばしば使われ、混沌のイメージで始まって混沌のイメージで終わってゆくが、それも、二つの方向性と無関係ではない。一つは、同性愛者であるがゆえに長いあいだ偏見のまなざしで見られ、貶められてきた人々を、そしてそうした人々を真摯に描こうとする映画を、ごく自然で尊厳に満ちた者として社会の中に復権させる方向。そしてもう一つは、男と女にはそれぞれの役割分担があって家庭と社会の中でそれにいそしみ、子供たちを産み育てて家門繁栄をめざすのが幸福、という穏健な常識に対してそのすべてを拒絶することによって揺さぶりをかけ、かつ、そうやって常識を揺さぶることこそすてきだ!と主張する、という方向だ」

まず、「きわめて個人的なまえがき」と題された導入部で、著者は自らの葛藤を率直に告白する。当事者ではない女性である自分が男性同性愛を扱った映画について書いていいのだろうか、という葛藤を。(今風な言い方をすると腐女子ということになるのだろうか) そんな著者によって書かれた本であるので、美少年やBLへの偏向は認められつつも、取り上げられている作品は多様なクィア映画に開かれている。本書タイトルの「トランスセクシュアルムーヴィー」は、おそらく今でいうところの「トランスセクシュアル」(医療手段によって性別移行を望むトランスジェンダー)を意味する用語としてではなく、性を越境する者たち、というくらいの意味合いで使っていると思われる。終盤で「お奨めトランスジェンダームーヴィー」として紹介されている映画作品も、そのためトランスジェンダーの映画作品だけではなく、様々なクィア映画が取り上げられる。そのラインナップはマニアックな作品やB級作品も数多く、クィア映画をかなり見ていると自負しているシネフィルでも、新しい作品に出会える可能性は十分にある。

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男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望
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四方田犬彦著*斉藤綾子*2004年

「本書でわれわれが「ホモソーシャリティ」という概念を通して依拠したセジウィックは、その意味で、トラヴェリング・セオリーがきわめて特異の成果を収めた例であるということができる。(中略)本書は、そのイギリス文学研究から生じた方法論に、今一度、大西洋、インド洋、太平洋を渡る長旅を体験させ、セジウィックが予想もしなかった東アジア映画に向き合わせるという、前代未聞の試みである」

「ホモソーシャル」とは、イヴ・セジウィックが『男同士の絆ーーイギリス文学とホモソーシャルな欲望』などで提唱した、 ミソジニー(女性嫌悪)やホモフォビア(同性愛嫌悪)と密接に関係し、女性を介して強められる絆を有する男性社会の構造のことを意味する。本書は、欧米中心になりがちなジェンダー映画研究をアジア圏に敷衍させた点でも価値があり、難解なセジウィックの原書を映画を通して理解する手立てにもなるだろう。たとえば、『アメリカン・ビューティ』はまさにこの理論を援用するに最適な映画だということを教えてくれるように。取り上げられている主な作品は、日本映画の『拳銃無頼帖』シリーズ、『人生劇場 飛車角』、『ツィゴイネルワイゼン』、香港映画の『さらば、わが愛 覇王別姫』、『非常探偵』、『ホールド・ユー・タイト』、『千言萬語』、韓国映画の『カル』、『JSA』など。

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虹の彼方に レズビアン・ゲイ・クィア映画を読む
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出雲まろう編*2005年

「比較的新しいジャンル、レズビアン・ゲイ・クィア映画のひとつひとつを、当事者を含めた複数の執筆者が縦横に論じること。映画を語ること、読むことによって、ここに啓示された「彼方への視線」は、男・女・性の固定観に支配された、あるい切り抜けようとした、映画という表現をさまざまな角度から検証することになるだろう」

”LGBTの映画を観てみたい。さて何から観よう?”という人には最適な本。各映画作品が5ページ前後で解説されていく。編者に拠れば、スクリーン上に多様なジェンダーが登場し始めたのはおよそ1982年ごろだという。斉藤綾子さん、竹村和子さんら豪華執筆陣が、1982年から2004年までの映画作品を年代ごとに紹介していくため、LGBT映画という一ジャンルの時代的な変化をそこから読み取ることもできるだろう。取り上げられる映画も国やジャンル問わず様々で、レズビアン映画の名作『GO fish』や、ハリウッドにおけるLGBT映画史の変遷を描いた重要映像資料『セルロイド・クローゼット』など、押さえるべきところを押さえたラインナップだと言える。その他、実話を基にしてFtMトランスジェンダーを描く『ボーイズ・ドント・クライ』、実在のゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクを描く『ハーヴェイ・ミルク』、ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』、ペドロ・アルモドバルの『欲望の法則』&『オール・アバウト・マイ・マザー』&『トーク・トゥ・ハー』(アルモドバル多め!)など。

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映画と身体/性
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斉藤綾子著*2006年

「わたしたちがとりあえず取り組むべき問題は、映画と身体あるいはセクシュアリティをどのように捉え、語るか、そして、どのような映画史や映画理論の文脈の中で、「身体」という問題が浮上し、そこから何が新たな問題として浮き彫りになるかであろう。そして、このような理論的文脈の中で、日本映画といったローカルな視点を導入したときに、わたしたちはどのような新たな問題に直面するのか。以下に本論が試みるのは、映画史と映画理論が交差する場としての身体の位置を振り返ることである」

日本映画を中心とした身体論集。「女性映画の監督」とも呼ばれた成瀬巳喜男の(女性)映画から身体と空間の関連性について分析される他、「メロドラマと身体性」や「俳優の身体」、「戦争と女性身体」などのテーマが展開される。取り上げられている映画作品は、『若者よなぜ泣くか』、『西鶴一代女』、『或る保姆の記録』、『陸軍』、『春琴抄』、『清作の妻』、『華岡青州の妻』、『めし』、『浮雲』、『くノ一忍法』、『百合祭』、『シュガースイート』など。最も興味深く読んだのは、溝口彰子による「「百合」と「レズ」のはざまで--レズビアンから見た日本映画」。日本映画ではある時期まで、所謂「レズ」や「百合」ではなく、成熟した成人のレズビアン女性が共感し得るような「レズビアン」表象が描かれてはこなかったと指摘している。その上で、ではレズビアンの観客はどのようなリーディング/読みを行ってきたか。彼女はそこで「ヤオイリーディング」と「宝塚リーディング」を提唱する。「ヤオイリーディング」はたとえば『ブエノスアイレス』など男性同士の恋愛映画を自分自身の物語に置き換える読み方、「宝塚リーディング」はたとえば『タイタニック』のディカプリオに自らを投影して感情移入する読み方である。この章では、(主にレズビアンの)観客の身体的反応の理論化が試みられている。

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シネマとジェンダー アメリカ映画の性と戦争
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   塚田幸光著*2010年

「スクリーンが隠蔽/開示(イン・アウト)する欲望は、如何に「性」と「暴力」に接続するのか。映画の政治学、或いは性の政治学。これらは相補的に時代の欲望を語るだろう。本書の試みは、その欲望のかけらを拾い、終わりのないパズルを組み立てる作業に他ならない」

『レベッカ』や『真夜中のカーボーイ』など、ハリウッドのメインストリーム映画を中心に分析した本。キャプチャを使いながらスタンダードな分析が行われているので、とても読みやすい。特に面白いのが、第5章皮膚とジェンダーの『羊たちの沈黙』論。この作品を巡り、なぜフェミニストとゲイアクティビストたちが対立したのか?殺人鬼ビルは、なぜ「日本」のジャケットを着ているのか?など...。そして、当然ここではクラリスという女性の存在が「視線」のポリティクスによって語られている。これ一冊を読み込むだけで、ジェンダーの観点から書く映画批評/論文のノウハウがかなり掴めるはず。

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映画の身体論
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塚田幸光編著*2011年

「本書では、映画と身体をめぐる表象/言説を八つのアスペクトから分析・考察する。「映画の身体論」--このアプローチは複数の可能性へと開かれるだろう。(中略)本書に収められた8編の論文は、映画と身体という複層的な関係に対し、些細な理論的波風を起こすに過ぎないのかもしれない。知の迷宮--それは果てしない宇宙空間であり、誰一人としてその全容を把握することはできないからだ。だが、少なくとも、映画というテクストと向き合うことで、その核心部分に触れることは可能だろう」

特にジェンダーに密接に関係する章が、川本徹による第3章カウボーイと石鹸の香り、名嘉山リサによる第4章ブラックスプロイテーション映画のアクション・ヒロイン、そして「シネマとジェンダー」を著し、本書の編著者である塚田幸光による第8章メイル・ボディの誘惑。

第3章カウボーイと石鹸の香りでは、『ランダース』、デルマー・デイヴィス監督の『カウボーイ』、『お熱いのがお好き』などが取り上げられる。ハリウッド映画は、女性の入浴シーンを描くことに力を注いできたが、ここでは、女性ではなく男性の入浴シーンに注目し、男性の身体がどのように描かれているか、またそれはどのような意味を私たちに伝えるのかを分析していく。また、締めくくりには多様な身体性をみせてきたクリント・イーストウッドの映画における入浴シーンの分析を行なう。第4章ブラックスプロイテーション映画のアクション・ヒロインでは、『フォクシー・ブラウン』、『ダイナマイト謀報機関 クレオパトラ危機突破』などが取り上げられながら、ブラックスプロイテーション映画=黒人搾取映画において、黒人女性の身体がどのように描かれているかを分析される。第8章メイル・ボディの誘惑では、『欲望という名の電車』、『俺たちに明日はない』、『真夜中のカーボーイ』などが取り上げられながら、ニューシネマにおける男性身体について分析される。

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彼女は何を視ているのか 映像表現と欲望の深層
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竹村和子*2012年

竹村和子氏の死後、彼女が遺言として残した「美しい本を作ってほしい」という意向に沿って編者が作った本。そのため、彼女によるこの本に対する前書きや後書きはない。比較文学者のレイ・チョウや映画学者のローラ・マルヴィの講演翻訳と竹村氏による応答文、ベトナム出身の女性映画監督トリン・T・ミンハとの対談、ジェンダー理論家のジュディスバトラーのジェンダー理論を援用したレズビアン映画分析など、学際的で難解な議論が続くため、読み終えるには体力を要する。そして、理解するよう努めれば、更なる体力を要する。同性愛としては、ゲイよりもレズビアンに傾倒しており、あまりとりたてて壇上にあがってはこないように思えるバイセクシュアルにも一章をあてられている。章の間に設けられた映画レビューは一息ついて読めて、かつ勉強にもなる。扱われている映画作品は、『マルホランド・ドライブ』、『ナイトレイ・キス』、『夜の子供たち』、『ロリータ』、『ビクター/ビクトリア』、『悪魔のような女』、『イヴの総て』など。ちなみに、竹村氏は本書の中で、最近の日本の若者の間で流行っている「カジュアル・レズビアン/ゲイ」が「一時的なファッション」で終わるのかはたまた結婚制度をはじめとする社会制度や異性愛規範を解体していく契機となるのかを判断するにはまだ時間が必要だ、と述べているが、7年経った今、それが少なくとも「一時的なファッション」ではなかったととりあえずは言いたい。

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映画で実践!アカデミック・ライティング∞∞―――――――――――――――――∞∞

カレン・M・ゴックシク他著・土屋武久訳・2019年

「大学での論文・レポートは、商用文の「ビジネス・ライティング」とも、小説や詩歌や劇作といった「クリエイティブ・ライティング」とも違う。しかし、共通する部分もある。たとえば、一定の書式にしたがって明快に書く点ではビジネス・ライティングと似ているし、独自性が求められる点ではクリエイティブ・ライティングと同じである。よい論文・レポートは、上質の推理小説のように、読みやすく、またたまらなくスリリングである。本書はそうした心得を、平明に解説している」

訳者に拠れば、本書「Writing About Movies」(原題)は英語圏の300を超える大学で教科書として採用されているという。それほどに基本的な映画の見方や書き方を丁寧に指南してくれる、まさに映画を書こうとしているすべての人向けの入門書。主題がジェンダーじゃないためジェンダーについて言及されている部分はそこまで多くはないが、第4章「文化的分析」でジェンダー、セクシュアリティの項目がそれぞれ設けられている。ジェンダー分析においては、ユダヤ教徒を描くイスラエル映画『フィル・ザ・ヴォイド』が取り上げられ、フェミニズム映画批評について触れられている。また、セクシュアリティ分析においては、「セクシュアリティをあつかった映画として誰もが知る映画」として『ダラス・バイヤーズクラブ』が取り上げられ、「正常な」性的アイデンティティではないそれを、あるいは異性愛規範的メッセージを、映画がどのように伝えているかなどを検討するクィア理論について触れられている。外国語の翻訳本でありながら、訳者による文章がとても読みやすいため、労せず完読することができるだろう。

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児玉 美月

映画執筆家◆言葉なきイメージの海を潜りながら言葉にすることを呼吸として泳ぎ続けています◆https://twitter.com/tal0408mi

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