Haru

さあ、何を感じよう

Haru

さあ、何を感じよう

最近の記事

はじめてのインプロ(即興演劇)

初めてインプロの(Zoom)ワークショップに参加したので、その体験をここにまとめてみようと思う。教わったということよりは、あくまで自分が体験し感じ学んだことを書きとめようと思う。「インプロをやってみたい」、もしくは「指導者として初心者の感想を聞きたい」という方の参考になれば嬉しい。 「インプロってなに?」という方はこちら→ ワークショップ参加の動機私がインプロのワークショップに参加した理由は2つ。 「表現への恐怖心を乗り越えること」と「瞬間の楽しむことを楽しむこと」。

    • 期待はずれの『ミッドサマー』

      まずはじめに、「期待外れの」などと、まるで品のない広告文のようなタイトルをつけたことをお詫び申し上げたい。『ミッドサマー』は、噂通りの、美しく、神秘的な映画であった。 私が「期待外れ」だと感じたのは、その完成度にではない。裏切られたのは”奇妙なホラー映画であることを期待していた私”だ。衝撃的な表現はあれど、怖さは感じなかった。むしろ、ホラー映画と評されていることが怖いといった方が良いかもしれない。 私は、この映画の物語こそ、私たち人間のあるべき姿を描いている思うのだ。これ

      • 言葉を捨てて、言葉を生み出す

        言語化の本質を考えてみると、それは諦めることなのではないかと思う。そしてもっと言えば、諦める勇気を持つことだ。 デザインの語源Wwkipdiaによると“Design”の語源は”dessin”であり、「計画を記号に表す」を意味すると言う。 デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。 無から有を生み出す、創造的に何かを加えると言った意味で捉えられることが多いが、創造の前には編集と削除のプロセスが必要で

        • 尊敬する大人へ

          「いいと思う」そうやって背中を押してくれる人がいる。 「僕から話してみるよ」そうやって道を繋いでくれる人がいる。 自分では一生かかっても手に入れられなかった機会を作ってくれる方に私は何ができるだろう。 「ありがとう」以上の何かを、言葉以上のありがとうを、探してこう。

        はじめてのインプロ(即興演劇)

          『グレープフルーツ・ジュース』を読みながら

          オノ•ヨーコの『グレープフルーツ•ジュース』を読みながら考えた。 パラレルリアリティがあったとしても、なかったとしても、今私がこの時点で知覚している現実や過去や思想や想いは同じの時間軸上にあって、1つなのだけども、オノ•ヨーコはそこに新らしい目を与えてくれた。 それは、写真にかざすフィルターのようで、今までのものが見えなくなったり、今まで見えてなかったものが見えてくる。立ち止まって、フィルターをかざして、覗き込んで、そこに落胆したり、新たな発見をさせる。 『グレープフル

          『グレープフルーツ・ジュース』を読みながら

          この気持ちはなんだろう

          この気持ちはなんだろう。 目に見えない、けど確かにそこにある、 この気持ちはなんだろう。 春に咲くつくしが、隣ののっぽを見上げるような 秋の山が、隣のイチョウ林を見つめるような 遠くから見ても、近くから見ても青いその芝を、 私は喜び、そして見つめる。 雨の夜、噛み締めるのは、そんな気持ち。 分かってる、でも、なんだろう。

          この気持ちはなんだろう