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好きなもの。海に浮かんで見上げる空、オーケストラのチューニングの音、朝8時に坂道をかけ…

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好きなもの。海に浮かんで見上げる空、オーケストラのチューニングの音、朝8時に坂道をかけおりる子ども達の声、筆洗い用の牛乳瓶。

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  • たからばこ

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    片隅に残したくなった日々のこと。

最近の記事

1/1〜2/16 「でもさ、食べられてる林檎に共感してしまうってことも」

髪型を、念願の『かごめちゃん』にしました。毎日が嬉しい。 (近所のおばちゃん達には好評です。) * 「でもさ、食べられてる林檎の方に共感してしまうってことも、あるかもしれへんよな。」 演劇論の本を一緒に読んでいる3人で〈共感〉の話になった時、友達がふと気がついてしまったかのように呟いた。もう一人の友達(演劇をやっていた)は、少しびっくりした顔をして「いやいや、それは作り手のミスだわ。伝わってほしいように伝えられてないってことでしょ。」と言う。 私も“林檎”に出会った

    • 11/22〜12/12 月と祈りと子守唄

      人生で初めて”感謝”を心から感じたのは,いつだっただろう。「ありがとう」という言葉を覚えたときではなく,心で感じたとき。 「こういうとき,なんて言うんだっけ?」などと促されて,「ありがとう」と口にすることを覚える。そんな親子の場面は日常でもよく見かけるし,私もきっと,そんな風にして教わってきた。 でも,感謝を心から感じているときの,このあたたかいものを,最初に感じたのはいつだっただろう。「嬉しい」で終わらせられるときとはちょっと違う,この感じ。 歩きながら記憶を辿ってみ

      • 11/15〜11/21 鼻風邪と,炒り豆

        久しぶりに鼻風邪をひいてしまい,週末は寝ていた。季節の変わり目なのもあるけれど,ここ最近甘いものを食べすぎていたので,身体からストップがかかったんだと思う。 くしゃみが出そうな時に鼻のつけねを触ると,冷たくなっていることが多かった。そういう時はだいたい,手で温めるとムズムズがおさまった。 身体と友達になる。これからの目標。 * 「風邪ひいた〜」と伝えたら,母がすぐに松の葉っぱと林檎を送ってくれた。松の葉ジュースに最近ハマっているらしい。松の葉でジュースができるなんて知

        • 11/7〜11/14 その言葉が在る場所

          散歩道の土手一面に,すすきが靡いている。5月ごろには,黄色くて背の高い花がたくさん咲いていた。あの時,すすき達はどこにいたんだろう。あの黄色い花達は,どこへいってしまったんだろう。 そういえば,黄色い花達がいっせいに刈られてしまった日があって,自分でも不思議なくらい悲しかった。でも,一週間くらいしたら,また土手が黄色く咲いていて,その時に,なにか大きなものが笑っているような感じがした。 * いつもと違う八百屋さんに入ったら,お上品なお婆さんから「ねぇ,あなた,ちょっとち

        1/1〜2/16 「でもさ、食べられてる林檎に共感してしまうってことも」

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          10/31〜11/6 一本一本手渡してくれた花束

          チャイコフスキーを聴きながら,今日が命日だと知った。 「長調なのに,なんとも切ない音がする」と語った人の言葉を繰り返し想いながら,胸が締め付けられる切なさというよりも〈広がっていく切なさ〉というのがあることを実感している。それは,秋の空や光とも近いかもしれない。 ロシアの作曲家たちの曲が好きなのは,彼らが共通して表している〈情動〉に惹かれているから。それが何なのかは私にはわからないし,もしかしたら私が”ここ”にいる限り一生わからないのかもしれない。そして,触れてみたい,と

          10/31〜11/6 一本一本手渡してくれた花束

          8/7〜8/19 屋久島で、「魔女の宅急便」のような

          先週から、屋久島で暮らしている。(10月の頭まで) 昨日は、海に連れていってもらって、ウミガメと一緒に泳いだ。ウミガメをみるのは生まれて初めてだった。こんなに気持ちよさそうに泳ぐんだ。大きかったけれど、ドテッとした大きさじゃなくて、かろやかな佇まいだった。 半共同生活をさせてもらっているおうちの、さわちゃんと一平ちゃん。昨日は、はーちゃんとはーくんも。みんな、尽きることのない元気がぐんぐん湧いてくる。思いっきり笑って、全身で心を表現している、素敵な人たち。 たっぷり泳い

          8/7〜8/19 屋久島で、「魔女の宅急便」のような

          7/31〜8/6 大きな香り、絵の向こう側

          言葉にするよりも速く大きな波がぶわぁっと溢れてきて、泣いてしまうことがある。 今週は、絵の土台の木の板がほしくて材木屋さんに行ってきた。勝手がよくわからないまま、絵だけを持って訪ねた。 寸法を測ってから来るのが一般的だということ、板の上に絵を置かせてもらってその場で測りたいと思っていること、木をとても大切にしている材木屋さんだということ、でも私は板の上からペンキを塗ろうと考えていること、… 話しているうちになんだかとても申し訳ない気持ちになってしまって、(あ、これは)と気

          7/31〜8/6 大きな香り、絵の向こう側

          7/24〜7/30 背中に魔法を

          ソファの位置をかえて、本たちを並びかえて、大切な絵のそばに灯りをうつしたら、違う人の部屋みたいになった。ただ置いてあるのと「ちゃんと場所がある」のとでは、全然違うんだなぁ。嬉しそうで、嬉しい。 * チャイ作りにはまって、3日連続で作った。スパイスを煮出して、茶葉を加えて、牛乳と砂糖を注ぐ。実験みたいな工程が、なんだか楽しい。 近所の紅茶屋さんが季節ごとに違うチャイを出しているので、味を覚えて、メニューに書いてあるスパイスをメモして、真似してみることにした。夏のチャイは、

          7/24〜7/30 背中に魔法を

          7/17〜7/23  レーズン入りの卵サンド

          しばらく連絡をとっていなかった友達に、かき氷の写真を送ったら、数時間後にはうちで会っていた。 「いろいろ、あるね。」 そう話しながら作ってくれた卵サンドの中に、彼女が大好きなレーズンがたっぷり入っていた。言葉よりもそのレーズンが、いろんなことを伝えてくれている気がした。あやちゃんがこの卵サンドを食べながら生きていることが嬉しかったし、今まで食べたことがないくらい美味しい卵サンドだった。 それから、いろんな話をした。〈かなしみ〉の話をしたり、〈故郷〉の話をしたことは覚えて

          7/17〜7/23  レーズン入りの卵サンド

          7/10〜7/16 あぁ、この人は音楽に

          今週は、いつもより速く歩いているなと思いながら、ゆっくり歩くってどうするんだっけ、とわからなくなっていた。 まだよくわからないままの言葉たちがどこかに沈んでいってしまいそうで、同時に、新たに知りたいものにもっと手を伸ばしたくもあって、おぼれそうになっていたのかもしれない。 木曜日、ふと、去年やっていたように壁に力を借りてみようと思った。 そうしたら、”地面”ができた。言葉たちが「そこにいる」。わからないままでも安心して、読み進めたかった本に向き合えるようになった。 今

          7/10〜7/16 あぁ、この人は音楽に

          7/3〜7/9 それはどこかにあるのではなく

          唐突に、白い家具たちをペンキで茶色く塗った。塗った感じが残って、いい具合の机が生まれた。まだまだ一緒にいられそう。 * 「ほしいもの」メモの一番上に書いていた画集をついに買ってしまった。『耳をすませば』の監督の近藤善文さんの『ふとふり返ると』。 (このブログのおかげで出会えました。青春ゾンビさん、宝物をありがとうございます。) 雨の日の下校時間、ちょっかいを出す男の子。銭湯の前でバスタオルをかぶって遊ぶ弟たちをおこるお姉ちゃん。保育園の遠足でひとりしゃがんでつくしを見

          7/3〜7/9 それはどこかにあるのではなく

          6/26〜7/2 ピッチカートを食べることができたら

          〈音楽〉を言葉にする、というのは、私にとって、光にふれるのと同じような場所にある。そこに向かって自身をひらいている人がいて、そうして逢えた言葉のおかげで、私も受け取った光をまたどこかへ渡していけるような気持ちになる。〈受け取っていた〉と気がつかせてもらえるのは、そういう営みに支えられているのだと、想う。 * とてもとても見たかった映像が大学図書館にあることがわかり、山を登った。ビデオスペースが視聴できないようになっていたけれど、図書館のお姉さんがあけてくれて見ることができ

          6/26〜7/2 ピッチカートを食べることができたら

          6/19〜6/25 あの時、母からもらったもの。

          ここ数日は、身体だけ神戸にあるような感じで、なんだかそわそわした感覚が続いていた。 さっき、宅急便で三島から荷物が届いた。額装した絵たちや、読んでいる途中だった本たちが棚に置かれ、やっと「帰ってきたんだ」と落ち着いた。 * 先週は、行ってみたかった荻窪の本屋さんに行くことができた。 2階のギャラリーに飾られていた絵本の原画が、とてもよかった。女の子と画家さんの〈あいだ〉に、いろんなものが含まれていて、それを言葉にせずただ見守っている〈青色〉と〈風〉が、よかった。帰り道

          6/19〜6/25 あの時、母からもらったもの。

          6/10〜6/18 故郷だから好きだというより、好きな場所がたまたま故郷だった。

          朝、レンタサイクルに嬉しそうに座っている女の子がいた。たぶん2歳半くらい。お父さんに支えてもらいながら、手をいっぱいに伸ばしてしっかりとハンドルを掴み、まっすぐ見据えた目から嬉しさが溢れていた。目の前にあるのは壁だったけれど、彼女に見えていたのは、きっとひろいひろいどこかだったのかもしれない。こちらまでにこにこしていると、お父さんと目が合って「自転車がほんとうに好きなんですよ」と嬉しそうに話してくれた。もう少し大きくなったら、二人で自転車に乗ってどこかへ行くのだろうか。 *

          6/10〜6/18 故郷だから好きだというより、好きな場所がたまたま故郷だった。

          6/1〜6/9 今週は、バレンボイムときゅうりの春巻き。

          小さな音が、近かった。大きな音よりも、ずっと近くにいた。 音楽というよりも、空間で、〈ここ〉のことを懐かしんでいる自分がいた。泣いていたのは、安心したからかもしれない。音を音として感じる前に、音があって、音が生まれている場所の肌触りに泣いていた。 〈聴こえる〉というのは、〈憶えている〉ということかもしれない。 この響きを、忘れてしまうかもしれない、と思うと目をつぶりたくなった。耳をふさぐのではなく、目をつぶりたくなったのはどうしてだろう。 次の日、他のピアニストの30

          6/1〜6/9 今週は、バレンボイムときゅうりの春巻き。

          モノクロームの世界にある、クレヨン。

          モノクロームの世界にある、クレヨン。