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あなたがどんな色だとしても、きっと一緒に生きることができると思うんだ。


「個性」とか「存在意義」といったような言葉をよく耳にします。そして、「俺は誰なんだ」「私は、何もできていない」「私って、どんなカラー?」という相談を受けることがあります。

私は、その問いかけに対して、「私からはこんな素敵な色に見えるよ」とか、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と伝えることは出来ても、なんだかずっと、自分が紡ぐ言葉が薄っぺらく感じて嫌でした。

私がアカリノタネの大家になっているのは、その先を一緒に紡いでみたいからです。「個性」とか「存在意義」とか、そんなものを超えて、私たちは一緒に生きることができるのか、探究してみたいからです。

本当の意味でのパブリックとは、「個性を問う」という先にあるのではなく、「個性」という概念から自分/相手を解した先にあるのではないか、という仮説があるからです。


そんなことを考えながら、今日は尼崎のサマーセミナーというところにお邪魔してきました。サマセミは、現役の高校をお借りして、誰でも先生になれる2日間のイベントです。そこで、「アカリノタネの大家」として授業をさせていただきました。

「学校」なので、いろんな人が来てくれました。「子ども」「大人」「障がいがある人」「大学生」「お母さん」「先生」、、、いろんな人が、来てくれました。

私は、この場はパブリックだった、と感じています。

でも、それは「いろんな立場の人が来てくれたから」パブリックだったということではなくて。
障がいがある、とか、子ども、とか、そんな「」ではなくて、”むらちゃん”と”岩切さん”だったし、”ときくん”だった。一人ひとりが存在している。場を紡ぎあえている。それだけで、私はパブリックなのではないか、と思っています。

最後の感想共有で、むらちゃんが「心が空っぽになったいい時間だった。それは、隣にいるひさくんのおかげだった。ありがとう」と言葉を残してくれました。文章を綴っている人の隣で、絵を描いている、など、なんとなくそれぞれの温度を感じながら一人の時間を過ごしている。その先に、こんな繋がりが広がっているんだなぁ、と。

嬉しかったです。アカリノタネの大家だから、というのはどうでもよくて、この場に存在できたことが、この風景を見れたことが、本当に嬉しかったです。

「ずっと来たかったんだ」と声をかけてくれたむらちゃん、隆子さん、岩切さん。「一緒にできること、あるかなぁ」と来てくれたゆーみ、くまちゃん。初めましてにも関わらず、来てくれたしげちゃん、智子さん、りほちゃん、あきちゃん、ときくん。何も言わず見守ってくれていた藤本おじさん。
本当に、ありがとうございました。


アカリノタネ、明日は私の故郷の静岡県三島市に帰ります。明後日は、いよいよクラウドファンディング公開日。
「集客数」や「お金」以上に、「どれだけ共犯者と出会えるか」という挑戦だと思っています。その挑戦の前に、こんなに素敵な景色を紡げて本当に嬉しいです。頑張れそう。


これからも、よろしくお願いします。
やっぱり、尼崎、好きだなぁ。


感謝と、祈りを込めて。

アカリノタネ大家 笹木珠代


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