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母が救われた記念日の説教

 すっかり中高年のSNSになってしまったfacebook。若い世代がそっぽを向いてから面白くなくなってしまった。いや面白くないからそっぽを向かれた、というほうが正しいか。
 しかしその中でハッとさせられるのは、自分が忘れていたような過去の思い出を不意に掘り起こして知らせてくれる機能である。これは良い機能だ。
 今朝、私に思い出させてくれたのは、今から9年前の今日(2015年1月19日)、当時中央聖書神学校の神学生だった私が、実習で派遣されていた埼玉県日高市のべテルキリスト教会の主日礼拝で説教を担当させて頂いた日だったことだ。
 決して近いとは言い難いが、実家のある街から車で40分ほどの場所だったこともあり、この日の説教担当が決まった時、思い切って両親に来てくれるようにお願いした。私を教会に連れて行ってくれた当事者でありながら未信者であった両親(そのあたりのことはこちらの記事参照)。何とかイエス・キリストを信じてもらいたかった。しかしそれまではなかなか大胆に福音を伝えるという勇気がなかったのだ。
 だがこの時は、「息子が教会で話すらしい」ということで母は二つ返事で「行くよ。」と言ってくれた。父は気が進まなかったようだが、母の意志を尊重して、運転免許のない母を連れていくという名目を立て、二人で来会してくれたのであった。
 本来礼拝説教は、特定の誰かに向けて語ってはいけない。しかし比較的高齢の信徒さんが多かったということもあり、両親の救いを念頭に、その世代に刺さるであろう例話を用いながら説教をさせて頂いた。
 神は私の祈りに応えて下さり、説教後の信仰決心の招き、
「皆さんの中でイエス・キリストをご自身の救い主として信じると決意した方はいらっしゃいますか?」
 という投げかけに、母ははっきりと手を挙げたのだった。このシーンがくっきりと私の目に焼き付いており、彼女が亡くなった時もこの事が揺るがぬ希望となった。
 後に認知症が徐々に進行し、特養ホームに入所してからの面会時にイエス様に一緒に祈ってから帰ることを習慣にしていたし、やはりそれが喜びであった。
 以下母が信仰決心をした日の伝道説教原稿(要旨)である。

2015年1月18日 べテルキリスト教会礼拝説教要旨
「あなたは永久に不滅です!」

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネによる福音書3:16)

 お正月にテレビでミスターこと長嶋茂雄さんの特集を見た。今から40年前、 現役引退試合後のセレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です!」と絶唱したの は50代以上のプロ野球ファンにとって は忘れられない名場面。ご多分に漏れず 当時11歳だった私もテレビの前で呆然と号泣しながら、生まれて初めて夢にはいつか終わりが来ることを知ったのであった。現役引退後、長嶋氏は2度に渡っ て巨人軍の監督を務め、挫折と栄光を味 わいながら、国民に夢と希望を与え続け た。しかし十年前、突然の病魔が彼を襲 う。重度の脳梗塞である。だが彼はあきらめなかった。番組では今まで明かされることのなかった深刻な病状や、それを克服するための壮絶なリハビリの様子、 更には決して否定的にならず、困難に打ち勝とうとする彼の「今」が記録されていた。私にとっては大学の先輩、人生初めてのヒーローである彼の生きざまに年初から至極感動と大きな励ましを受けた。 本当に感謝なことである。しかし考えたくはないが、そんな不撓不屈の彼もやがては死ぬ。「死」という厳然たる事実からは誰も逃れることは出来ないのである。

1.滅びることへの恐れ

 この聖書箇所は、聖書の真理を集約し ている、文字通りの珠玉の言である。ま ず「ひとりとして滅びることなく」とあ るが、これは裏を返せば人間は全員が滅 びる存在であり、死の支配下にあるとい うことを言っている。だが神の願いは「信じる者が、ひとりとして滅びない」ことだと言っているのである。
 時にヨハネ3章は、ニコデモというユ ダヤ人の指導者に対し、「神の国に入る」 には何をするべきかをイエスが答えている問答から始まるのであるが、これは彼にとって大きな課題であった。努力によって人生を築き、良い教師と呼ばれ、遂には誰もが尊敬する議員としての地位を築いたニコデモであったが、その彼にしてなお天国は「よくわからない」ものであった。それは長嶋の活躍と共に必死に働き、高度成長を成しとげた多くの日本人と同じだと言えよう。どこかに恐れをもっているのであり、そしてその最大のものは「死」への恐れである。
 聖書は神は永久の初めから永久の終わ りまでの存在であり、その国に入る、す なわち神のご性質である「永久」に与る ことこそが人間本来の姿だと証言する。
「滅び」=「死」は元来存在しなかった が、人間が神から離反してしまったこと(罪)への刑罰として侵入した。だがこの年配の指導者にはこの罪からの解決は無かったのである。

2.身代わりとしての「ひとり子」

 この切実な悩みに対しイエスは、新し く生まれることこそが唯一の答えである と明言した。新しく生まれる。それは生 き方を方向転換し、人の子となられた神 を信じることに他ならない。
 私には3人の孫がいる。上の2人は可 愛い盛りで彼らと遊んでいると、息子と 娘がその年頃だった頃のことを思い出し 愛おしさで胸が一杯になる。また「もし 彼らが私より先に命を落とすようなこと があったら…」と考えるだけで深い悲し みに支配され、自分が身代わりになって もいいから彼らを生かして欲しいと願う。同じように神は天地を造られる前から 私たち一人一人を選び、かけがえのない存在として自らの息を吹き込み、命を与 えて下さった。また神はご自身から離反 した私たちが「ひとりとして滅びること がない」ための驚くべき方法を用意された。それは、ご自身のひとり子であるイエスを私たちの身代わりとして十字架という極刑で罰することだった。だから「ひ とり子を与えたほどに世を愛した」とは熱烈かつ切実な神の痛みであると同時に神の愛の究極の現れなのである。ひとり子イエスの死によって人間は不滅な存在 へと回帰することが可能になったのだ。

 巨人軍の2014年は打線が固定出来 ず、相当な苦労をしたものの、セ・リー グ3連覇を成しとげた。長嶋氏もまたラ ンニングが出来るまでに回復することを 目標として、現役時代を彷彿とさせるよ うなハードなリハビリに取り組んでいる。 全く驚くべき78歳である。私も一ファンとしてその日が来ることを信じたい。 とはいえ巨人軍が永久に不滅かというと、 そんなことは有り得ないし、いくらリハ ビリに励んでも長嶋氏が永久に生き続けることもない。皆わかっているのだ。しかしあえて「永久不滅」を信じるふりをすることで自らの「死」と「滅び」の問題をうやむやにしているのではないか。 現実に直面することは確かに恐ろしい。 だがひとり子を十字架に架けたほどの神の愛を今日信じて受け取るならば、あなたの「死」は「滅び」ではなくなる。「死」は完全に駆逐され、あなたは神の国に入れられ、不滅な者とされることが約束される。今、ひとり子を信じよう。その決断があなたを不滅な者にするのだから。

当日の写真(撮影:大坂太郎牧師)

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