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柿はもらうもの

天高く我肥ゆる秋。
美味しいものがいっぱいで沢山食べすぎてしまう秋。
秋になると思いだすことがある。

まだ娘が小さい頃。
畑が多い地域に住んでいた。
駅からも徒歩20分と遠く、静かなところだった。
よく娘を連れて散歩した。
遊ぶ場所はふんだんにあって、お寺や神社、小さな公園などあちこち娘と歩いた。
よく畑仕事をしているだろう方々から声を掛けられた。
その頃から少子化と言われて小さい子は珍しかったようだ。

秋晴れのある日、お庭で手入れをしているだろう女性から声を掛けられた。
「お嬢ちゃんといつも散歩しているわよね」
はい、と答えるとちょっと待っててと言われ、しばらく待つと沢山の柿が入った袋を渡された。
「お父さんと二人じゃ食べきれないくらい柿がなるのよね」
そのおうちには大きな立派な柿の木があった。
「良かったらお嬢ちゃんとお父さんと食べてね。甘い柿だから」
びっくりしていると

「いいのよ、遠慮しないで」

ありがとうございます。と頭を下げて家に持ち帰り、早速柿を剝いて食べた。
とてもとても甘くて美味しかった。
畑の多い地域だったのでよく無人の野菜販売所もあり、そこで娘の顔くらい大きな春キャベツや不格好な人参、胡瓜などを購入していた。
それもびっくりするくらい美味しくてびっくりするくらい安かった。
野菜嫌いだった娘はその無人販売所の野菜だけはモリモリ食べた。

秋晴れの下、ふと金木犀の香りのする頃に思い出す。
あんなにのんびりと娘と歩いて生活していて。
沢山善意を受け取って。
秋の散歩、あの頃あちこちで柿をいただいた。
娘は柿はもらうものだと思っていた。
スーパーに行ったとき、柿が売られているのを不思議そうに見ていた。
御礼も出来ずに引っ越してしまい、ただただ不躾な親子だったなと思う。
今はそこの地域もすっかり開発されて沢山家が建ってしまった。
あの柿の木も無くなってしまったのだろうか。

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