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多摩川水景:兵衛川(多摩川旬報220911)

多摩川水系のあらゆる景色を集める「多摩川水景」。
今回は、多摩川の支流である浅川、の支流である湯殿川、のさらに支流にあたる兵衛川(ひょうえがわ)に行ってきました。

宅地造成前を知る小川

七国峠の宇津貫緑地の調整池から、八王子みなみ野シティのなかを突っ切って、隣の片倉駅付近で湯殿側と合流する、大体3キロ程度の小さな川です。
源流の宇津貫(うつぬき)緑地から、宇津貫川と呼ばれることもあるのだとか。

八王子みなみ野シティは、1997年から宅地造成が始まったいわゆる「ニュータウン」。
宇津貫緑地内の小径を歩いていると、八王子みなみ野シティのすっきりしたアスファルトの下には、こんな道が広がっているのかな、という気分になります。

源流の調整池はこんな木々に囲まれている
宇津貫緑地から伸びる小径には、宅地開発される前の風情が漂う

源流にあたる調整池から、兵衛川はしばらく暗渠になります。
開渠部分を目指して小径を下っていくと、どこかから水音がします。
音の源を辿ってみると、足元にこんな豊かな水が流れていました。

ようやく開渠するのは和田内橋の辺りから。
見上げるとJR横浜線が通っています。

和田内橋の上から撮影。振り返ればニュータウンの整備された道が広がる

横浜線の下をくぐって上流側から見るとこんな感じ。

写真下部の四角く縁どられた部分が兵衛川の水

ニュータウンの底部をまっすぐ流れる兵衛川

兵衛川は短い川です。
湯殿川に至るまでの短い道のりには、さっぱりと整えられた宅地が並びます。

川を基準に地平を見れば、ゆるやかながらも傾斜がわかる

宇津貫の昔を知る熊野神社

兵衛川側道を東に逸れて坂を上ると、小高い丘に向かって熊野神社の鳥居が表れます。

曲がり角をのぞき込むとすぐに鳥居が見える

現在わかる限りでは、境内に1751年に建てられたとみられる角石塔などもあり、少なくとも江戸時代にはすでに存在していたことが認められている神社です。

石段の途中、右手にはプリミティヴな道祖神たち

境内の狛犬は人の顔に見えます。1765年に建てられたのだそう。

宇津貫熊野神社の狛犬は人面

およそ3キロの間にかかる20の橋

兵衛川は、きわめて短い距離に等間隔に橋が架かっていて、この計画的な配置がニュータウンらしい景色をかたちづくっています。

そんなこぢんまりとした橋を超えていくなかで、この付近の低地まるごと、JR横浜線も兵衛川も一気にわたってしまうみなみ野大橋の大きさは、やっぱり目立ちます。

西片倉橋辺りから振り返るとみなみ野大橋のアーチがよく見える

湯殿川との合流点から数えて3つ目にあたる藤谷戸橋の右岸側には、藤谷戸公園が広がっています。

谷戸という名前の通り、浸食によってできた崖を利用した緑地で、高台からは兵衛川を一望できます。

向かって右側の緑地帯が藤谷戸公園

そして兵衛川最下流の橋、川久保橋を左岸側に渡れば、もう湯殿川との合流点です。
中州には山王神社が建っています。

山王神社は中州の小さな祠。祠の左側が湯殿川、右側が兵衛川になる
合流点を湯殿川の東橋から。向かって左が兵衛川。写真中央付近の大きな木の陰に山王神社

編集後記

周到に計画された宅地や車道。兵衛川の大半はそんなニュータウンの底部を静かに流れています。
しかし上流域を辿ってみれば、宇津貫緑地内の小径には乱暴なアスファルトとうっそうと茂る緑があり、整然としたニュータウンの景色を一枚めくってしまったような気分になります。
街の歴史は、水利の歴史であり、それは河川制御の歴史です。
川を辿ることは、一種のタイムトラベルなのではないかと思える散歩でした。(安藤)

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