なじまない表現

3月は別れの季節、と形容されることがある。

学生であれば卒業式、社会人であれば多くの企業が決算期。それに伴う異動や転勤、退職もあるだろう。さまざまな事情のなかで人と人の別れがあり、そう呼ばれている。

ぼくも学生の頃にお別れはあった。小学校、高校の卒業式だ。ちなみに中高一貫だったこともあり、中学でのお別れはなかった。

今となってみればなんてこともなく、卒業式であったり、その周辺の出来事に思い入れはない。もちろん、友人たちとの「なにか」はあるけれども、3月に起こったわけではない。言うほど別れたあとに思い出すことはなかった。これからもきっとないだろう。

だからなのか、「別れの季節とはいうけどさぁ…」と言うのが正直な感想だった。それ以上に、3月は始まりの季節としての認識が強い。


それはプロ野球のペナントレースが始まるからである。高校野球の春の選抜が行われるからである。社会人野球のスポニチ大会が始まるからである。MLBが始まるからである

そう、野球が本格的に始まるシーズンなのである。その刷り込みがあるから、ぼくいにとって「3月は別れの季節」というのがピンとこないのである。

これは一例にすぎない。世の中ではあたりまえのように使われるおなじみの表現でも、自分にとっては馴染みのないものはたくさんある。

それは「ことば」に限らない。食べ物だって、飲み物だって国や故郷(くに)によって食べるものは異なる。その地方でおなじみでも全国的じゃないものはたくさんある。

ぼくはおとなになるまで山芋鉄板だって芋煮だって知らなかったよ。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。