めんどうなこと

めんどうだなぁと感じるときが稀によくある。稀なのか、よくあるのか、わからないくらいの頻度で起こっている。ぼくのまわりで。

めんどうだなぁと感じることというのは、たいてい人がらみである。世の中の多くのものごとには、人が関わっているわけだから当然のかもしれない。違うのは雨が降ったから、とか寒いからといった天変地異に関することだろう。

さて、その『めんどう』という感情はどういうときに湧いてくるのだろうか。ということを少し考えてみた。ほんの少しだ。温かい珈琲を一杯飲み終えるまでに考え、書き終えるわけだから、たいした時間ではないということはたしかだろう。

そこで導き出された答えは、自分が予想していなかったなにかをされたとき、もしくは、なにかが起こったときにそう感じるということだった。

考えてみれば至極、当然のことだ。予想していれば、それに対する受け答えなのか対応策を考えているわけだから、その通りに粛々と実行すればいいだけの話なのである。そうじゃないことが起こったから、新たになにかを考えなければいけない。この『新たに考える』という行為に『めんどう』を感じているのだ。

これは不思議なことだ。予想して考えるのも、予期せぬできごとで考えることも『考える』という行為は同じだ。にもかかわらず、入り口が違うだけで『めんどう』を感じたり、感じなかったりするのである。

とここまで書いて思ったのだが、なんでこんな『めんどう』なことをぼくはしているのだろうか。書こうと思ってたことではなく、あらたに違うことを書こうと思ったからなんだろうな。

ちょうど珈琲を飲み終えたところだからキリはよかった。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。