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【モノを捨てるのが下手だという話】

ニトリで10年以上前に買った2人がけの座椅子を明日、粗大ゴミとして処分する。(神戸市の規定により1,200円も払わなければならなかった。泣)

家族の誰もが今は気にいっていないのと、部屋の模様替えをした結果、その座椅子が置かれてた場所に別のソファを置く方が良いと判断したためだ。

6,980円か7,980円くらいの安物だし、はっきり言ってそんなに座り心地が良いわけではない。笑

中の綿も背面から座面の方に偏ってきたりしたし、外面も髪の毛がつきやすかったりして、値段相応だと思う。(決してニトリの悪口を言ってるわけではないので悪しからず!むしろ、この値段でこれだけの座椅子を販売してくれるニトリには感謝しかないし、10年以上壊れなかったのだから大したモノだと思ってます!ニトリの人ありがとうございます!笑)

もちろん、この十数年間、ずっとテレビを見る時などに重宝したし、気づいたらこのソファで寝てたこともよくある。

でも、今、家族の誰もが必要としなくなってしまった。

だから処分が決定した。
それだけの話なのだ。

ただ、まだまだ全然使うことはできる。(座り心地はそんなに良くないとは言え。笑)

はっきり言って、普通の人からすれば、要らなくなったモノを処分するだけだが、うちの家族は結構その手の処分が苦手だと思う。

誰かがいらなくなったけど、まだ着れる服とかは、母親が捨てずに置いておいて、ファッションに無頓着な父親のものになってたりする。
父親も今となっては誰も使ってないデスクを処分しようとしたら、まだ置いといてと言ってた。

もったいないと思ってしまうわけだ。
(違うかも。別の気持ちもあるかも。)

今もこの文章を書きながら、1200円かけてまでこの座椅子を捨てる必要が果たしてあったのか、他にどこかで使えないのかなど、考えてしまう。

確実に遺伝だと思う。笑

新しい服を買ってはいらなくなった服を処分できる人、自分の目標達成のためにどんどん次のステージへ進める人、人間関係についてもある意味で割り切ってしまえる人。

そういう人が、今の大量生産大量消費の時代では圧倒的に仕事ができると思うし、社会からも求められてると思う。

一方で、座椅子を処分すればいいだけなのに、こんな長文まで書いて時間の無駄にしてる自分がいる。笑

この文章を書くことによって、処分することの罪悪感を消したいのか何なのか。

夕食の時間になったので、続きは後で書くかもしれないし、書かないかもしれない。笑

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